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冬空と君の手

作者: 芝田 弦也


 僕が君の姿を認めたのは、塾の帰り路に通っているベンチと自販機だけが置かれた簡素な公園でだった。俯きながらベンチに腰掛けて白く立ち上る吐息を出し、両手を上着のポケットに仕舞い縮こまっていたのが気になってしまい、僕は飲む気もないのに自販機でドリンクを買ったあと君の隣に座り込んだ。

 あたかも飲み物を飲む為に腰掛けて居合わせた人を演じる様に。ドリンクを飲みながら流し目で君の横顔を盗み見ると、曇り空に負けないくらいどんよりとした沈鬱な表情をして俯いている。

 話す切っ掛けを探る所から始めるつもりだったのに、その表情に居た堪れなさを感じてつい声をかけてしまった。

 僕に声を掛けられる瞬間まで隣に人がいた事に気付かなかった君は、驚きのあまり短く呻いたあとポケットから手を出して仕舞い込んでいた何かを落としてしまった。


 地面に転がり落ちたのは長方形型の何かだった。寒さを和らげるための充電式カイロかなと思いながら屈みこんで掴み取ろうとするよりも、君は咄嗟に拾い上げてポケットに戻してしまった。

 不審者に思われたくなくて、突然声を掛けた事と物を落とさせてしまった事を詫びた。君はその間、少し震える唇と揺れる瞳で僕のことを見定めるように見つめている。顔に穴が開くんじゃないかと思うほど凝視されて少したじろぎかけたけど、言葉を切らしたら駄目だと思って思いつく侭に言葉を紡いでいたけど、君はおもむろに立ち上がって公園から出て行いったのを眺める事しか出来なかった。


 機会を無くしてしまったかと思いきや、明くる日も君はベンチに腰掛けていた。正直、なんでこんな時間にこの場所に留まっているのか気になって仕方ない。通り抜け様に、君の顔を盗み見ると紫色の痣が出来ているのが目についてしまった。

 昨日はなかった、卵のようにつるっとした顔に浮かんでいる不自然な痣。これはただ事ではないと思い、お節介も承知の上で懲りずに声をかけた。君は僕の問いには態度で示すかのように無言で立ち上がって、その場から立ち去ろうとしたから咄嗟に右腕を掴んで引きとどめた。

 君の顔にはそぐわない、困惑と苦痛が滲み出ていた表情にもどかしさを感じて、なんとか心を開けないかと本気で願った一夜。僕の想いなんか知る由もなくて、無理やり力任せに振り解こうとしていた。

 「待って。僕は君の味方になりたいんだ」

 咄嗟に出た言葉に耳を傾けてくれたのか、振り解こうとしていた力が緩んだ瞬間。全ての感情が抜け落ちた様な表情で僕の顔を凝視してきたから、その視線から決して逃げないと、態度で示すように君の双眸を見つめ返した。

 時間にして数分のことなんだろうけど、その時は延々と続くように感じられた時でもあった。

 沈黙が支配していた二人の時間を壊したのは君だった。

 「何? 何が判るというの」

 きんと冷えた冬空に響く、君の想いが込められた問いに好機を与えられた僕。何も判らないけど、君のことを解りたくて仕方なくて思いの丈を全身でぶつける。

 「判んないよ! 判んないけど君のことがほっとけないから知りたいんだ!」

 「あなたには関係ないでしょ」

 「関係なんか、これから作っていけばいいじゃん」

 初めは拒絶を示していたけど、僕が言い放った言葉に腑に落ちたのか、苦しみに彩れていた顔が緩められた時でもあった。鼻で笑ったのを見逃さず、僕は冗談で言ったのでは無い事を伝えるためにも改めて言い放つ。

 「気になって仕方ないんだ君のことが。何でもいいから知りたいんだ」

 君は目を見開いて、僕の事を見返していた。

 互いに相手の顔を見つめていたら、先に視線を逸らしたのは君だった。

 「なら、付いてきてよ」

 何が待ち受けているのか判らないけど、君から発せられたしるしを受け止める事に成功した僕。なんだってやってやるさ。それが君を苦しめている何かなら尚更さ。


 君の背中を見つめながら、眠りゆく街で歩数を重ねていく。

 何処に案内されているか解らないけど、君を苦痛で束縛している何かに立ち会える瞬間を与えてくれるのなら、それから解き放ってみせるよ。二階建てのアパートが見えてきて、君は自宅に戻るように電子錠の数字を打ち込んで家の中に吸い込まれていく。その後を追うように僕も歩み続けた。

 君が上がり框で靴を脱ぎ捨てていた時、部屋の中から野太い声が響いてきた。

 「おせぇーな! はやく飯を用意しろ!!」

 その言葉に、全ての動作が凍り付いてしまったのかマネキンみたく動きを止めてしまった君。僕は瞬時に事の重大さに改めて思い知らされた。

 家の中で浴びせられる、悪意をもった言の葉に追い詰められていた君。 事の元凶は、本来なら心休まる場所がそうでなくなった為に起こってしまったんだね。君が動けずに居たから、僕がその代わりに歩みだした。


 白色灯が眩しいリビングに脚を踏み入れると、顔を真っ赤にした男が座卓の前で缶ビールを手にしていた。

 「誰だてめぇ」

 4、50代位の男は酒を片手にしたまま、敵意を剥き出しにして据わった目で睨んでくる。僕は無言のまま相手の事を見定めるように見下ろしていたら、男の堪忍袋の尾が切れたのか怒鳴り声を上げて立ち上がってきた。

 「誰だって訊いてんだろ!」

 大声を上げて威嚇すれば相手が怯むとでも思っているのか、がなりたてるのが鬱陶しい。もしかしてこの男は、いつもこの様にして君のことを支配していたというのか。黙ったままでいたら男は缶ビールを投げ捨てた後、空いた手で僕の腹に拳を打ち込んできた。突然の事で呻いてしまい、君が僕の元に駆け寄ってくる。

 「だ、大丈夫!?」

 「このくらい、平気だよ」

 僕は君の掛け声に応じながら、男の動作を見続けていた。この男のせいで君は居場所を失ってしまい、いつもあそこにいたというのか。そう思うと、今うけた痛みよりも心が痛んでしまって仕方ない。

 「返事くらいしろ!!」

 男は微動だにしない僕を見かねてか、更に怒りだして次の拳を繰り出そうとしたから、咄嗟に右足で男の腹に蹴りを入れてやった。男は土手っ腹を抱える様に前かがみになったから、その隙に更に足元に蹴りをいれて足払いをしてやった。男は体制を崩して前のめりに倒れ込んだから、とどめの一発として背中を思い切り踏みつけてやった。

 短い雄叫びをあげた後、力尽きたように動かなくなった。男を見下ろしながら僕はスマホを取り出して、警察に連絡を入れる為に操作をした。



 あんな奴でも保護者だったらしく、父親が捕まった事により君は今まで住んでいた家から出なくては行けなくなった。

 そのせいで地元から離れることになり、僕の側から居なくなってしまうことになるとは予想もつかなかった。会えなくなると思うと、あの時の選択は間違っていたのでは無いかと思う自分が嫌になる。でも君の表情には、憑き物が落ちたような晴れ晴れとしたものが宿っているように見えた。

 「あの時はありがと」

 初めて会った時と同じ場所、夜の公園内で僕と君は向かい合っていた。君は感謝の言葉を告げた後、小包を僕に差し出した。

 「あげる」

 「ありがとう。なんだろう?」

 期待しながら包装紙を開けると、あの晩見かけた充電式カイロに見えたものだった。改めて手に取り確認してみると、それはカイロではなくて、刃先が折りたたまれたナイフで、広げてみると月に照らされて光る切っ先が殺傷の鋭さを物語っていた。

 「なに、これ」

 君は真剣な眼差しで、ナイフと僕を交互に見つめたあと口を開く。

 「それであいつのこと殺そうと思ってたの」

 可愛らしい笑顔から、その顔に似つかわしくない物騒な言葉が出てきた。

 僕はその先を促すように、黙ったまま君の顔を見つめて次の言葉を待っていた。

 「君のおかげで必要なくなったから、あげる」

 「要らないよ」

 君は僕の返事を聞いて、一拍溜めてから頷いた。

 「だよね。おしつけて、ごめん」

 「そんなこと無いよ」

 こんなものに縋らないと行けないほど追い詰められていたなんて。頼るものが無くなって空いてしまった両手が虚空を掴むように僕に差し出されたまま。

 「捨てよう」

 「え?」

 「こんな物は、君にはもう必要ないんだ」

 君は黙って僕の言葉に耳を傾け、寂しげに揺れる瞳。


 僕らは公園内に併設されているゴミ箱に向かい、僕はナイフを君に手渡した。

 「君の手で捨てるんだ」

 無言でナイフを受け取り、少し目を瞑った後、ゆっくりと手を開いてゴミ箱に捨てた。

 月光に照らされて君の目元から生まれ落ちていく滴の存在に気づき、拠り所を失ってからっぽになってしまった手を握りしめた。君はそれに応じるように、僕の手を強く握り返してくれた。心の中で疼いて仕方ない思いが溢れてきて口を開きかけたけど、寒空には白い吐息が霞みながら立ち昇って行くだけ。

 言葉の代わりに更に強く握り返すことにしたんだ、僕の想いを込めて。

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