新説・駅の七不思議。
わたしたちの学校最寄りの駅は、やや古い感じがする。そのせいか、わたしたちの間では、代々 『駅の七不思議』 なるものが囁かれている。
まず、その1。
改札の横、薄暗い階段の下に置かれた、お地蔵さん。
昔、この駅で中学生・高校生の集団自殺があった後、慰霊のために置かれたと言われていて、なんでも夜中に動くらしい。
ちなみに集団自殺したのは、わたしの学校の生徒だってことに、なっている。
けど、中高一貫の私立のお嬢様学校に、そんな噂は許されないらしい。
先生方は年に1、2回、 『そんな事実はありません』 とわざわざ言明してくださる。
――― それでも、噂が消えないのは、皆、その気持ちがなんとなく分かるからじゃ、ないのかな。
そんなことを思いながら、わたしたちはお地蔵さんの前を通る時、ぺこり、と頭を下げる。
半分憧れて、けど半分では、そっちに引っぱらないで、と祈るのだ。
その2は、駅の雨漏り。
雨が降ると、ビシャビシャとホームの一部を濡らす。
直しても直しても、すぐに雨漏りしてしまうそうだ。
噂では、『視える人』 が見ると、その雨水が作った水溜まりからは、黒く細い蛇がシュルシュルと無数に這い出ては、近くの人の脚に絡んで転倒させるという。
こけても線路に落ちたりする位置じゃないけど、打ち所が悪かったあるお爺さんは、死んでしまったということだ。
納得できないお爺さんは、今でもそこにいて、蛇と一緒になってホームを行き来する人を転倒しているのだとか。
その姿は、顔だけを残して全身蛇になってしまっている、と言われている。
その3は、埋め立てられた池。
この駅は昔はとても風雅で、なんと、駅構内には鯉の泳ぐ池まで、あった。
が、わたしたちが生まれる前の地震で、ポンプが上手く作動しなくなって水温が異常に上がり、鯉が死に絶えてしまったのだという。
で、何が不思議かというと、その場所ではなぜか、熱中症が多発するんだそうだ。
――― わたしも前に、この駅で熱中症になりかかった人を見かけたことがある。わたしが走って駅員さんを呼び、友だちの舞衣と晴がそばについていて、なんとか無事だった。
その場所がちょうど、池があったと言われてる、ホーム中央のちょっとしたスペースだったから、その後しばらく、わたしたちは 『鯉の呪い』 ネタで楽しく盛り上がってしまった。
ちょっと申し訳ない、かも。
その4は、駅のあるあるネタ。
夜中に、来るはずがない電車が来るやつ。乗ったつもりが、線路へ転落、である。
夜中に酔っ払いが転落から人身事故を引き起こすと、翌朝、すっかり片付けられた線路の上を動く電車で出会った舞衣が、こう言い出す。
「なんかさー、 『終末電車』 きちゃったらしいよ」
舞衣は、こんなネタが好きで、地元ニュースをアプリでチェックしているのだ。
もちろん、わたしと晴は 「うっわー!」 「こわ……!」 と盛り上がる。盛り上がるためにネタを出してくれてるのだから、当然だ。
そして、その5、その6はそれぞれ、 『駅のトイレの夕子さん』 、 『改札を通る時に1人多ければ、夕子さん』 という、いかにもな話が続く。
夕子さん、というのは8年ほど前にイジメを苦に自殺した、近所の公立校の生徒。
駅のトイレでの首つり自殺だった。
これは本当の話だそうで、この古びた駅の中でトイレだけが割と新しいのは、夕子さんの事件の後で改装したからなのだ。
で、七不思議の最後の7番目も、やはり 『夕子さん』 ネタ。
『ホームの鏡の夕子さん』 だ。
――― ホームの中央奥にあるトイレの入り口横に掛けられた、四角い縦長の鏡。
なんでも彼女は普段、その鏡の中に住んでいるそうだ。
そして、鏡を磨きながら 『夕子さん夕子さん、私の悩みを聞いてください、私の願いを叶えてください』 と言うと、表面に現れ、問題解決に力を貸してくれるらしい。
ただし、イジメっ子は逆に、夕子さんから報復を受けるのだという。
――― だから、わたしたちの間では 『駅の七不思議』 の7番目は、あまり話題にならない。
わたしたちは、普段は誰もそんなことを話さないけど、イジメが意外なほど簡単に起こることも知ってるし、誰でも1回は、被害者にも加害者にもなってるものだから。
『お嬢様学校』 なんて呼ばれてる学校に通っているわたしたちの間には、目立って大きなイジメは起こらない。
…… 皆、ほどほどに満足していて、ほどほどに不満で、ほどほどに賢く善良で、ほどほどに邪悪なのだ。
その枠から外れて問題を起こす子はいても、それは 『イジメ』 というよりは 『援助交際』 や 『万引き』 という形になるのがほとんどだ。
それがバレた子たちが大人から一方的に咎められ、黙って学校を去っていくのを、わたしたちは遠巻きに無関心に見送り、そして忘れ去る。
だから、道徳の時間に 『黙って見過ごすのも加害者』 だなんて言われたら、わたしたちはもう、自分がどれだけの人を傷つけているのか、わからなくなってしまう……。
わたしたちにとって、『駅の七不思議』 7番目の 『ホームの鏡の夕子さん』 は非常に微妙なネタだったのだ。
けど、そんな七不思議の7番目が、わたしにとって急に重要なものになったのは、夏休みも近いある日の下校時のこと。
いつも通り、わたし、舞衣、晴の3人は、駅のホームにたむろして電車を待っていた。
「知ってる? タニマのやつさー、『終末電車』 に遭ったんだって」
舞衣が例によって、ニヤニヤと教師の噂を口にし、わたしたちは 「えー!」 「生きてんじゃん!」 と楽しく声を上げる。
いつも通りの、他愛ない会話……だけど。
実は、数日前から、わたしと友だちとの関係は気づまりなものに、なっている。
理由は、わたしが、サラリーマンのおじさんとホテルに入るところを、晴に見られてしまったから。
信じられない、という目をした彼女に、わたしは咄嗟に 「内緒にしてね。付き合ってるの」 と嘘をついた。
晴は 「うん」 と首を縦に振ってはくれたけど…… たぶんその後、グループ内でコッソリ情報交換したに違いなかった。
だって、わたしでもそうするだろう。悪意なんか全然なくても、こんな面白そうなネタ、見逃すわけがないんだから。
――― もし彼女らに援交がバレたら。
話は、どこまで広がるだろう。
学校にバレたら、わたしも退学になるんだろうか。
そして、これまでそうした子たちに、わたしたちが散々向けてきた無関心な眼差しが、今度はわたしに向けられるんだろうか。
想像すると、悲しくて寂しくてこわくて、胸がしめつけられる気がする。
今、この駅で当たり前に話していてさえ、友だちの笑顔に貼り付いているのは凶悪な好奇心で、その裏にはもう、無関心な眼差しが準備されているんじゃないだろうか……。
「タニマのやつ 『終末電車』 乗っていっちゃえば良かったのに」
「キモいよねーあのオッサン」
「絶対あれ、胸みてるよね?」
「あたし 『ブラは白無地だろ! 校則守れ!』 って言われたことある」
えー、とか、やだー、という笑みを含んだ声。
舞衣が 「セクハラオヤジまじで死ね」 とぼやけば、晴が、うんうん、とうなずく。
「それは、さすがに、かわいそうなんじゃ」
言いかけて、言葉をのんだ。
この会話が普通だったんだ、と思い出したから。
友だちは変わらない。わたしが、変わったんだ。
援交の現場を見られて。
思っていたより、それが、ずっと重たく心にのしかかって。
――― 援交に好奇心で手を出した時は、見つかって退学になっても全然平気、こんな水槽の中でなきゃ生きていけないほど、わたしはヤワじゃない…… そう、思っていたのに。
むしろ、何もかもを壊してしまいたい、みたいな思いもあった気がする。
けれど、実際に友だちに見つかって、そんな気概は、自分自身を知らなかったからこそ出てきたバカバカしいものだ、とわかった。
現に、わたしはこわくてたまらない。
友だちの好奇の眼差しも、その後にくる、遠巻きに無関心にわたしを見送るだろう瞳も。
――― ひとりだ。
――― だれといても、わたしは、ひとり。
「滋乃、優しい」
誰かがからうかうように言った。
「そういえば、滋乃はすっごい年上と付き合ってるんだよね? どんな人? もうエッチしたんでしょ?」
まだ、バレてないんだろうか。
それとも、引っかけ?
晴に見つかった時の相手の特徴を言ったら、舞衣が 「あれ? 前歩いてた人と違うくない?」 とか言ってきたり、するんだろうか。
そしたら、別れた、と答えなければ。……そしたら、何と言われるだろう。何と、思われるだろう。
「ごめん、ちょっとトイレ」
息苦しくなってきて、わたしは立ち上がった。
「電車がきたら、先に行ってて」
言えば、彼女らは、けらけらと明るく笑う。
「そんなの、待ってるよー!」 「友だちじゃん!」 「大きいのでも1時間は待つから!」
わっ、と2人が沸く。 「それ長過ぎ! どんだけ大きいねん!」 と、ツッコミを入れるのも、いつもの、誰がトイレに行っても起こる、お約束の会話だ。
――― なのに、今のわたしには、それが 「逃がすわけないでしょ」 「まだ尋問は終わっていない」 と聞こえてしまう。
普段は 『夕子さんが出る』 から入らない、トイレの奥側の個室で、なるべくゆっくり用を済ませ、タメイキをつきながら手を洗った。
戻ればきっと、また、尋かれる。
それがどれだけ、わたしを追い詰めるかなんて、考えもしない、笑顔で。
――― わたしも笑顔で、たくさんの嘘をつかなければならないだろう。
どれだけ、もつのか。
いつ、破綻するか。
――― イヤダ、イヤダ、イヤダ、イヤダ。
――― 逃げたい、逃げたい、逃げたい、逃げたい……!
ずんずん重くなっていく心を引きずるように、トイレから出た。
「あれ?」
ふと、傍に掛かった鏡が目に止まる。
そこについているのは、誰かの手の跡。
……これを拭けば、時間稼ぎが、できる。
もしかして、友だちが探しにきてくれたら、話題が七不思議にそれるかもしれない。
『駅の七不思議』 7番目、 『ホームの鏡の夕子さん』 。
「皆で試してみようよ」 って持ちかけて、鏡に向かってきゃあきゃあやっているうちに、わたしのことなんて、忘れてくれるかもしれない。
――― わたしは、ウェットティッシュを取り出して、鏡にくっきりとついた手の跡を、こすりはじめた。
いつ頃ついた汚れなのだろうか。
普段、気にも止めてなかったからわからないけれど、白く残った指の形は、なかなか頑固でちっとも崩れない。
力を込めて磨きながら、わたしはいつの間にか呟いていた。
「夕子さん、夕子さん、わたしを助けてください…… なにもかも、無かったことにしてください……」
ゆ ら り 。
鏡の表面が、一瞬、ゆがんだ気がした。
「え?」
見れば、鏡の向こうから、暗い眼差しが、こちらを見返す。
鏡の中の、わたし。
ナチュラルな色のリップを塗った唇が、動く。
タ ス ケ テ ア ゲ ル 。
ワ タ シ ハ ア ナ タ 。
「うそ……」
呆然と呟く、わたしの前で、ゆらり、と鏡の表面が揺れて。
ぐ い っ
強く、腕を引っ張られた。
今、拭いていた手の跡のところから、出てきた、手に。
引きずり込まれる……!
助けて、誰か、誰か助けて……!
(助けてあげる)
ナニかが、優しく囁いた。
(ひとりぼっちの、かわいそうなあなた。かわいそうだった、わたし)
少し硬い、制服の布が、さっとわたしの横をすり抜けた。
(わたしはあなた、あなたはわたし)
振り返って、鏡を…… わたしの前にある、見えない透明な壁を、トン、と叩いた顔は、まぎれもない、わたし。
「そこに、ずぅっといて、いいからね」
ナチュラルな色のリップを塗った唇が、にっ、と歪んだのを最後に、周囲が真っ暗になった。
――― 駅のざわめきは聞こえるのに、なにも、見えない。
「滋乃、遅いよー!」 「本気で大きいのだった?」
舞衣と晴の声が近づいてきた。遅いから、迎えにきてくれたんだろう。
「なに? 夕子さんの鏡、みてたの?」
「うん、コンタクトがずれちゃって」
「あれ、コンタクト、してた?」
「昨日から」
気づいて、と暗闇の中でわたしは願う。
わたしは、コンタクトなんて、してない。
……きっと、これから、小さな違和感が重なれば、誰かが気づいてくれる。
……きっと……!
「目、そんなに悪かったんだ?」
「うーん、ちょっと、見えにくい程度かな」
他愛もないおしゃべりに被せるように、電車の到着を告げるメロディーが響く。
「やっときたー」
「待ってるのも、暑いよねー」
「ホームもクーラーあればいいのに…… せめて扇風機」
話し声は、遠ざかっていってしまう。
……わたしは、ここに、いるのに。
気づいて、気づいて、気づいてよ……!
わたしはここだよ……!
ここから、出して……!
ばんばんと、周囲の壁を叩くけど、誰も気づいてくれない。
しばらくして、電車がホームに滑り込んでくる音がした。
みんな…… いっちゃう。
なんで、気づいてくれないの!?
けど、次の瞬間。
「きゃぁぁぁぁぁっ!」
誰かの悲鳴があがる ――― あれは、『わたし』 の声?
電車の警笛と急ブレーキの音。
大きくなるホームのどよめき。
わたしの学校の名前や、自殺、飛び込み、といった言葉が切れ切れに聞こえて、心臓が跳ねあがった。
「舞衣! 晴! なんでーっ!?」
『わたし』 が大袈裟に、友だちの名前を叫んでいる。
……舞衣と晴が? ウソだ!
……出して! 出して! 出して!
バンバン、周りを叩くわたしの耳に、駅のアナウンスが届いた。
――― 人身事故のためー、列車の運行を見合わせます。復旧の見込みは……
(何もかも、無かったことにしたい、って言ったでしょ)
こそり、と耳元で、誰かが囁いた。
(うまくやるから、しんぱいしないで。わたしは、あなた……
せっかく、出られたんだもん)
くすくす、と楽しそうな忍び笑い。
――― ずうっと、ここに、いていいよ……。
遠くでは、救急車の音と、パトカーのサイレンが響いていた。
読んでくださり、ありがとうございます!
7/21 アドバイスをいただき、ラスト大幅改稿しました。
八刀皿 日音さま、アドバイスどうもありがとうございます!
また、ラストの一部の案を、砂臥 環さまよりいただきました。
砂臥 環さま、どうもありがとうございます!
7/22 誤字訂正しました! 報告下さった方、ありがとうございます!