序章
不倫をテーマにしていますが、性描写はありません。結構、退屈な物語かもしれません。悪しからず・・・。しかも恋愛というカテゴリーで不倫の話を進めますので、無理があるかも知れません。
私の名前は”鮫島真琴”34歳の平凡な主婦である。
仕事は京都市内の不動産賃貸管理の会社に、経理事務として勤務し2年になる。
出版会社に勤める37歳の主人と、13歳の中学1年生の娘が私の家族だった。
二十歳で主人と結婚して娘を授かり、娘の手が離れたのを機に再就職をした。
再就職の為にパソコン教室に通っていたのが役立ち、今の会社に就職出来た訳だが、やはり家庭と仕事の両立は厳しいものがあると感じた。
朝から朝食を作り掃除と洗濯を済ませ、会社が終われば買い物をして家に帰り、洗濯物を取り込んでから夕食の準備をしなければならない。
その他にも、家の中は雑多な仕事が存在するし、PTAのことや近所のお付き合いなど、やらなければならない事は山ほどある。
私は毎日の忙しさに、仕事を始めたことを後悔している自分に気づいていた。
私の忙しい生活から考えると、主人を見ていると気楽な気がしてならなかった。
主人は殆ど家庭内の事はせず、家ではビールを飲んで御飯を食べ、テレビを見ながら笑っている気楽なオジサンになっていた。
主人の趣味はパチンコと海釣り、おまけに最近になってゴルフも始めていたので、週末の殆どは自分の趣味に費やし、家にいないのが普通になっていた。
6年前に買った分譲住宅のローンも有り、娘の教育費も嵩むので、少し主人の趣味も考えて貰わなければならないと思い始めていた。
その上、一番頭に来る事は主人の私に対する態度だった。
主人は熱烈なプロポーズで私を口説いて結婚したくせに、最近は単なる同居人のように思えるほど、私に関心を持ってくれていない。
髪形を変えても、髪の色を染め替えても気づかないし、ダブルベッドに一緒に寝ているのに、私の身体を求める事も最近は無くなっていた。
ともすると、私は主人の”お手伝いさん”のような存在に思えてくる時もある。
昔から、夫婦の関係は空気のような存在になるのが良いなどと言うが、余りにも早過ぎるんんじゃないかと私は思っていた。
三月最後の日曜日、いつものパターンで主人はゴルフに出かけ、春休みに入っている娘の友人5人が家に押しかけ、私は娘の”お手伝いさん”のように、友人たちに昼食を用意するのに忙しかった。
仕事を持ちながら平日は主人に仕え、休日は娘に仕えるのが私の日課のようになっていた。
その日、娘の友人が帰った後、娘がニタニタしながら私に言った。
「ねえ、ママ。さっき来てた友達がママの事、綺麗だねって言ってたよ」
私は、単純に嬉しくて娘に言った。
「あら、そうなん?貴女の友達って、メッチャ見る目あるやん」
娘は、続けて私を褒めた。
「ママって、まだ20代なん?って言ってたし、30代には見えないって」
私は、娘に笑顔の儘で言った。
「若くて美人のママを持つと、貴女も鼻が高いやん。ママの娘でよかったね〜」
娘は、この辺が落としどころだと思ったのか、少し間を空けて私に言った。
「でもママ。若く見えても、今年で三十五歳になるやん」
私は現実に引き戻されて、笑いながらも不機嫌そうに言った。
「こら、ほっとけ!そんな事は覚えてなくていいわ」
娘は、ケラケラと笑って二階に上っていった。
私は、娘に言われた”三十五歳”という年齢を再確認して心の中で呟いた。
”四捨五入したら・・・もう、四十歳か。アラフォーやん”
私は、大きく溜息をついて天井を見上げた。
私は、女性の誰もが感じる年齢への恐怖に似た感覚を、今更ながら感じる事となった。
結婚して娘が生まれた頃の私は、近所でも”美人ママ”として噂が立っていた。
そして繁華街を一人で歩いていると、何回か大学生風の男性にナンパもされた事がある。
しかし、もう五年で四十歳になるなんて信じられないと思う反面、心の中から湧き出してくる人生への焦りが、顔をもたげて来るのを自分でも解った。
確かに、自分の気持の中では若さを自負しているが、年齢と言う時間の物差しには勝負できないと言う気がした。
私は、午後遅くから予約していた近所の美容室に行き、気分転換に髪の毛をバッサリと切り、髪の色も明るいピンクブラウンに染めた。
頭も何だか軽くなったような気がしていたし、鏡で見る髪形も若返ったように思えた。
娘は年齢に抵抗した私の変身を見て、より若く見えて似合ってると褒めてくれた。
夕方遅く主人はゴルフから帰って、夕食を食べてテレビを見ながら居眠りをしていた。
一日ゴルフをしてきた主人は、心地よい疲れと共に満足げな睡眠状態に入っているのは許されたが、私の髪型の変身には一切の関心を示すことが無かった。
私は主人の無防備な顔を見ながら、心の中で主人に語りかけた。
”何故、貴方と結婚したんだろう?昔の貴方は、もっと素敵だったのになあ”
主人の鼾交じりの寝息を聞きながら、私はトキメキ色の恋をしていた時代の自分を思い返していた。
夜の八時を回った頃、たまたま近所に住んでいる女子高時代に仲の良かった同級生から携帯に電話があった。
彼女は家族旅行に行っていたらしく、お土産を持って来ると言う電話の内容だった。
彼女は”中川由香利”と言う名前で、女子高のバスケット部でもチームメイトであり、近所のコンビニでパートをしている親友だった。
彼女と彼女のご主人には子供が無く、夫婦で旅行が自由に行ける事に、私は若干の羨ましさがあった。
数分で彼女はインターホンを鳴らし、ビニールに入ったお土産を私に手渡した。
居眠りしていた主人が、既に二階の寝室に移動したところだったので、彼女をリビングに招いてコーヒーを出した。
私は彼女に言った。
「由香利のご主人も偉いやん。うちなんか、家族旅行なんて何年行ってないか」
彼女は笑いながら答えた。
「”サメちゃん”の旦那って、そんなに出不精だった?」
私は彼女の質問に答えず、私の呼び方に文句をつけた。
「あのね・・・”サメちゃん”って言うのやめてくれへん?」
彼女は笑って言った。
「”鮫島”やし”サメちゃん”やん。可愛いやん。昔みたいに”真琴”のほうがいい?」
私は、溜息をついて言った。
「”マコト”って呼ばれるのも、何だか男の子みたいなイメージやしねえ」
二人は、あれこれと笑いながら呼び名に関する話で盛り上がっていた。
自分の名前に関して私は不満な点があり、それは少し私のコンプレックスになっていた。
一つ目は”真琴”と言う私の名前に対するコンプレックスだった。
”真琴”を字で書くと女の子のようなイメージだが、口に出して発音する”マコト”は男の子をイメージさせる。
小学校の頃から、発音だけで男の子に間違われたり、苛められたりしたこともある。
私は、私の名前をつけた両親を少なからず恨んでいた。
その上、私の主人の名前は”昌美”なので、発音的には夫婦の中で名前が逆転しているかような感じに思えていた。
二つめは”鮫島”と言う苗字に対するコンプレックスだった。
何となくヤクザ映画に出てきそうな苗字だが、”鮫”と言う響きが私には馴染めなかった。
何だか”鮫肌”を連想してしまう私は、他人が私の苗字にどんなイメージを持っているのだろうと、いつも気にしていた。
ともすると、凶暴な海のギャングのイメージを持たれているのかも知れなかった。
私は結婚する前の旧姓は”白川”だったので、”白川”から”鮫島”への苗字の変更は仕方ないと思いつつも、心の中に今も小さな抵抗感を持ったままだった。
私は、先程の彼女の質問を思い出して言った。
「うちの旦那は、やれゴルフだ、釣りだ、パチンコだって出るけど、家族とは出ない人よ」
彼女は笑って小声で言った。
「うちの旦那も、私にサービスするのは、浮気がバレてから改心したようなものやん」
私は初耳だったので、彼女に突っ込んだ。
「そうなん?浮気とはねえ。由香利の旦那も中々やるやん。由香利のパンチは出たん?」
彼女はニヤニヤ笑って言った。
「出そうと思ったんやけどね。その頃、私もこっそり浮気していたから、穏便に収めたわ」
私は彼女の言葉に大きく開いた目と小声で言った。
「マジで?由香利は誰と浮気してたの?」
彼女はヒソヒソ声で話した。
「実は、同じコンビニにバイトで来てる大学生の男の子と。今は別れたけどね」
私は、開いた口が塞がらなかったが彼女に言った。
「由香利さあ、それはヤバくない?不倫やん、それって」
彼女は、意味ありげな笑いをしながら答えた。
「でも私、結婚前にOLやってる時も、会社の上司と不倫していたしね」
私は、呆れ顔で彼女を見ながら言った。
「あんた。そんな事していて、ご主人にバレたら最悪やん。大丈夫なん?」
彼女は、楽しそうに笑いながら言った。
「男の浮気は、すぐバレるけど、女はしたたかやしね。私は特にね。バレる事は無いね」
「そう言うけど”サメちゃん”。冴えない旦那に人生捧げるのはもったいないやん」
「人生一度しか無いし、三十代になっても女に恋は必要だと思った訳。私の価値観だけどね」
私は、彼女の不倫に対する軽い嫌悪感と、彼女の自由な価値観を羨ましく思った。
私は、頭の中では彼女の不倫論については理解できたし、羨ましいと思う気持が頭の片隅に少しだけあった事は事実だった。
しかし、不倫に対する罪悪感は拭いきれなかったし、不倫自体が恋愛と言うカテゴリーに属するものかは疑問だった。
私は、彼女は彼女の価値観だし、私は私の価値観で生きなければならないと思った。
由香利は私に尋ねた。
「ねえ、”サメちゃん”は浮気した事無いの?」
私は、彼女にハッキリ言った。
「ある訳ないやん」
彼女は、意味ありげに笑って私に尋ねた。
「”サメちゃん”の旦那は、浮気はしてないのかな?」
私は意外な質問に戸惑いながら答えた。
「浮気なんかしたら死刑やん。それに、浮気に誘われるほどモテナイやん」
彼女は私の目を見ながら、意地悪そうに笑っていた。
私は、彼女の笑い方が何となく気になったが、何が気になったのかは解らなかった。




