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得難き日常

 今日の俺たちは街へとやってきている。

 季節はすっかり晩秋へと移り変わり、紅葉に彩られた街路樹の下には俺が贈った紺色のドレスを纏ったキーラ殿。彼女には落ち着いた色も肌の白さが映えて本当に似合うんだ。


「何か見たい店なんかはあるのか?」

「そうですね……本屋でしょうか。ですが本を買うと荷物になるので、最後にするのがいいかと」

「それもそうだな。まずは適当に歩いてみるか」


 あてもなく街をぶらつくっていうのは誰もが経験するデートコースの一つだと思うんだが、キーラ殿はとても意外そうな顔をした。


「ヴィスコンティ男爵の行きたいところは、どうするのですか?」

「俺は特別行きたい場所があるわけじゃない。ウィンドウショッピングは嫌いかい?」

「ウィンドウショッピング……」


 しみじみと噛みしめるように復唱するキーラ殿は、そんな単語は初めて聞いたと言わんばかりだった。


「気が付いたのですが、私は今まで当てもなく行動するということがなかったみたいです。だから、すごく楽しそうだと思います」


 そう言って淡く微笑んだキーラ殿が、今までどれほどたくさんのものを切り詰めて、自分を追い込んで、奮い立たせてきたのか解った気がして。

 俺は欲深いことに、もっと彼女の笑顔が見たいと思う。

 そして彼女を笑顔にするのは俺でありたい。大切にするから。一生をかけて幸せにするから、どうか側にいてほしい。


「……それじゃ、行くか」

「はい、参りましょう」


 俺は微笑むキーラ殿を促して歩き始めた。

 この先想いを返してもらえることがなかったとしても、この笑顔だけで幸せだなって。本当に、そう思うんだ。




 ……とは言ってもさ、やっぱり欲が出てくるもんだよな!

 キーラ殿が物珍しそうにショーウィンドウを覗き込んで、その瞳がキラキラと輝くのを見たんだ。やっぱり何かしらプレゼントしたくなるよな!?

 ああくそ、なんでもいいから買いたい。笑って欲しい、喜んで欲しい。そしてあわよくば俺のことを好きになってもらいたい!

 思考回路が成金下衆野郎そのものだという指摘は受け付けないぞ。そんなことは自分が一番知ってんだよ。


「傘の専門店ですよ。こんなお店があるものなのですね」


 よし、傘を買おう。

 こんな時に役に立ってこその金だろうが。普段は溜め込んでんだから使えばいいだろ。


「中に入ろうか!」

「いえ、いいんです。傘は持っていますから」


 普通に真顔で断られた……。そうか、傘が欲しいわけじゃなかったのか。

 キーラ殿は貴族令嬢とは思えないくらい慎ましい。この年頃の女の子だったら、平民でもクローゼットをパンパンにしているもんだと思うんだが。

 都合を考えずにプレゼントをするのはもうやめたけど、何も欲しがらないとなるといよいよどうしたらいいのか解らない。俺はどうすれば彼女を喜ばせることができるんだろうか?


「ヴィスコンティ男爵、あれは何でしょうか?」


 つい考え込んでしまった俺は興味津々と言った様子の声につられてゆっくりと顔を上げた。

 彼女の視線の先には広場があって、良い匂いを漂わせる屋台が軒を連ねている。


「ん……ああ、パニーノの屋台だな」

「パニーノのやたい? やたいとは何ですか?」


 不思議そうに首を傾げて舌ったらずに言うキーラ殿がかわいい……っと、え。今、なんて言ったんだ。屋台を知らない?


「ええと、ああいう形で外で食べ物を販売するんだ」

「外で食べ物を!? 一体どこで食べるのですか?」


 キーラ殿はこれまでになく驚いた顔をした。

 そしてそれは俺も同じだ。生粋の貴族は外で買い食いなんてしないのかもしれないが、屋台というものを見たことすらなかったとは。

 やっぱり深窓のお姫様なんだな。そして今までは街をぶらつく暇もなかったんだろうと思うと、俺はまたキーラ殿の努力を想って切なくなった。


「席は場所によってあったりなかったりだけど、基本的には邪魔にならない所ならどこにでも座って食べりゃいい。ほら、みんなベンチなりちょっとした段差なりに腰掛けてるだろ?」

「本当ですね……」


 広場は大勢の人で賑わっていた。犬を散歩させたりお喋りに花を咲かせたり、パニーノを手にした人々は楽しそうにそれぞれの時間を過ごしている。

 俺にとっちゃありふれた光景だが、キーラ殿には完全なる異文化だったんだろう。エメラルドグリーンの瞳を丸くしている彼女に、俺は冗談のつもりで言った。


「食べてみるかい? なーんて……」

「良いのですか?」


 そしたら食い気味でキーラ殿が顔を上げたので、俺の方が尻込みしてしまった。

 こ、これは……なんの表裏もない期待に満ちた眼差し! 眩しい!

 うーん、どうするべきなんだろうか。お姫様に買い食いなんかさせて良いのか。メルクリオ侯爵は寛容で善良な素晴らしいお方だが、流石に殺されるんじゃないか、これは。

 しかし刹那の間に考えを巡らせる俺の前には、嬉しそうに微笑むキーラ殿だ。彼女が喜んでくれるかもしれないという誘惑に、俺が勝てるはずもなかった。

 まあ、ここにはオススメの屋台もあるし味は保証できる。外で食べると美味いしな。気に入ってくれると良いんだけど。

 俺は一つの屋台へとキーラ殿を連れて行った。いくつもの種類があるこの店には、通りがかりの腹ごしらえでちょくちょく世話になっている。


「いらっしゃい! ああ、お兄さんか。可愛い子連れてきて、珍しいね」

「まあな。必死に頑張ってる最中なんだ」


 この五十前後と思しき店長は営業上手で、俺の顔をすっかり覚えてくれている。声のでかいおっさんにも怯むことなく、キーラ殿は美しい所作で挨拶をした。


「こんにちは」

「こんにちはお嬢さん。うちみたいな店に来てくれるなんて光栄だねえ」


 メニューはそれな、と店長が屋根から下げられた黒板を指差す。キーラ殿が沢山あって選べないと言うので、好みを聞きつつ俺が主体になって選ぶことになった。


「お待ちどうさん。また来てね!」

「おう、ありがとな」


 紙で包まれた二つのパニーノを受け取って屋台を後にする。

 キーラ殿は笑顔で礼を言ってきちんとお辞儀をしていた。簡素な屋台には似つかわしくない優美な仕草に、店長が目を丸くしていたのがちょっと面白かった。

 ちょうど日当たりの良いベンチを見つけたので二人で座る。お代はと聞かれたので、俺はとんでもないと首を振った。


「俺が食べたかったから付き合ってもらったのさ。それだったらいいだろ?」

「……はい。ありがとうございます、ヴィスコンティ男爵」


 笑ってお礼なんて言ってくれたキーラ殿に、俺は呆気なく浮かれた。そうか、これくらいだったら受け取ってくれるのか。


「どっちがいい? こっちはミートソースとチーズ、こっちが豚肉と玉ねぎだ」

「では……ミートソースを頂きます」

「はいよ。熱いから気をつけてな」


 キーラ殿が小さな口でパニーノに齧り付く。伸びたチーズが糸を引いて、恥ずかしそうに頬を染めている。可愛い。

 俺はキーラ殿が咀嚼する様子をじっと見つめた。口に合わなかったらどうしようと思ったからだ。


「あの……あまり見られると、食べにくいのですが」

「ごめん。味の感想が気になって」


 俺は多分真顔だったと思う。キーラ殿はきょとんとした顔をして、すぐにふんわりと微笑んでくれた。


「すごく美味しいです。溶けたチーズが最高ですね」

「……そうか! それなら良かった!」


 店長、ありがとう。今度行った時は一番高いやつとワインも注文するよ。

 はふはふしながら食べるキーラ殿は可愛いし、喜んでくれて嬉しいしで最高だ。もう死んでもいい。


「もしかするとヴィスコンティ男爵の開発した小麦が使われているのでしょうか?」

「その可能性はあるな」

「そうですか……そうだとしたら、素敵ですね」


 俺は眩しい笑顔に促されてようやくパニーノを食べ始めた。豚肉のサンドもいつもながら美味い。


「こうした楽しみ方があったのですね。外で食べると輪をかけて美味しい気がします」

「風が通って気持ちいいよな。そこらにいる人たちも楽しそうでさ」


 エメラルドグリーンが晴れた街の風景を映して輝いている。その眼差しは穏やかで、彼女の心そのままに優しい。

 俺たちはゆっくりとパニーノを食べながら他愛のない話をした。最近読んだ本のこと、友達と会った時の出来事、好きなもの。キーラ殿は俺のどうでもいい話を頷きながら聞いてくれて、それと同じくらい自分のことも教えてくれた。

 ああ、幸せだな。何もできずにただ彼女のことを見つめていた頃を思えば、今はなんて幸せなんだろう。


「何だかすごく贅沢な気分です」

「贅沢? 変わったことを言うんだな。貴方ならもっと高級なものをいくらでも食べられるだろう」

「いいえ、贅沢ですよ。こんな風に何でもない時間を過ごすことができるだなんて……とても、とても素晴らしいことです」


 キーラ殿がもぐ、とパニーノに噛り付いた。そろそろ冷めてきたのだろう、一口が大きくなっている。


「ふふ、冷めても美味しいです。パニーノは絶品で、空は良く晴れていて、貴方が色々な話をしてくれる。これを贅沢と言わずに何と言うのでしょう」


 軽やかな笑顔がどれほど楽しんでくれているのかを物語っていて、俺は浮き立つ心を押さえつけるために目を細めた。

 ……なあ、駄目だよ。そんなことを、そんな優しい笑顔で言わないでくれ。

 勘違いをしそうになるんだ。もしかしたら貴方が、俺のことを好きでいてくれるんじゃないかって。

 そんなはず、ないのに。


「キーラ殿。俺は貴方のことが好きだ」


 思えば、ちゃんと口に出して好きだと伝えたことはなかったな。困らせるのが目に見えていたから、言いたかったけど言えなかったんだ。

 ああ、白い頬がどんどん赤くなっていく。

 やっぱり困らせちまった。いいよ、同じ言葉を返さなくたって。ただ俺が言いたかっただけなんだから、貴方が罪悪感を感じることはないんだ。


「あ、の……! ええと」


 真っ赤になって視線を彷徨わせる様子は可愛いけどちょっと切ない。俺は笑って、気にしないでくれと言おうとした。

 それなのに。

 エメラルドの瞳がやっとの思いといった様子で見つめ返してくる。

 何でそんな、必死な顔をしているんだ?


「わ、私っ……!」

「御機嫌よう、メルクリオ侯爵令嬢」


 急にこの世の全てを見下したような声が聞こえてきて、キーラ殿は声をかけてきた相手へと顔を向けた。

 せっかく何かを話そうとしてくれていたのに何だってんだ。俺は苛立ちを隠しきれないまま、彼女と同じ方向へと視線を飛ばす。

 そこには見覚えのある女がいた。顔の造作は悪くないのに、打算的な表情で何もかも台無しにしているのは相変わらずか。


「ビアンカ様……」


 顔を蒼白にしたキーラ殿が女の名前を呟く。

 ええと、王子殿下の元恋人だっけ? いや、まだ関わってくるのかよ、お前ら。


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