似た者同士の私達
思わぬ騒動をもたらした初デートの帰り、私達は馬車の中で対面に腰掛けていた。
ヴィスコンティ男爵は先程からうんともすんとも言ってくれない。私はこの気まずい雰囲気を断ち切るべく、出来るだけ朗らかに口を開くことにした。
「あの、助けてくださってありがとうございました。先程の舌戦は圧勝でしたね」
「……まあな。あれだけのアホを相手にするなら、猫をかぶったままじゃ足りない」
馬車の中の空気が少し緩む。
彼は緩く微笑んでいて、その口調もがらっぱちなままだった。
「ああ、確かにそうですね。喧嘩って自分を曝け出さないとできませんもの」
「貴方でも喧嘩なんてするのか?」
「最近はありませんが、以前はよく妹や兄と喧嘩したものです」
「へえ、それは見てみたかったな……」
ヴィスコンティ男爵は朗らかな笑みを見せてくれた。いつものきらきらしい笑顔より素朴で優しくて、親しみの持てるそれ。
彼はどうして、今の今まで見せようとしなかったのだろうか。
「あの、どうして猫をかぶっておられたのですか」
彼はしばしの間言い淀んだ。やがて意を決したように目を合わせると、ゆっくりと話し始める。
「それは、貴方に嫌われたくなかったからに決まってる。キーラ殿」
「嫌われたくなかった……? どういう意味です」
「そのままの意味だよ。貴方の心が欲しいと、もう一度言えばいいのか」
私は音がしそうな勢いで赤面した。
そろそろ彼の弁を信用しないわけにはいかないのかもしれない。だって、瑠璃色の瞳がこんなにも真っ直ぐで、熱い。
「一応知っておいて欲しいのは、まるっきり猫というわけじゃ無いってことだ。貴方に何でもいいから与えたかったのは本当の俺自身だ。それ以外にどうやって気を引けばいいのか、俺にはわからない」
本当にこの人は、私のことを。
だめだ、頭が働かない。どんな時でも冷静であることを信条にしてきたのに、頬に熱が集まるのを止められない。
「俺は下町出身の卑しい身の上でね。知っているのは喧嘩の作法と勉強のやり方くらいで、他は何にも持ってない。爵位も、金も、副産物だ。俺はそれらを使って研究が捗るならそれだけで良かった。……そんな男、嫌だろ。貴方は誰よりも気高く美しい、本物のお姫様なんだから」
彼は最後に苦笑を吐き出した。
瑠璃色の瞳が諦観と寂寥を映す。彼の表情に切なさを見て取って、私は顔を赤くしたまま瞠目してしまった。
この人は私に嫌われたと思っているの? そんなはずないのに。
私は以前に小耳に挟んだ噂を思い出す。ヴィスコンティ男爵は得たお金に関しては頓着せず、全て慈善活動と研究費に注ぎ込んでいると言う。貴族間では成り上がりと白い目で見られているが、平民の間では英雄と目されているのだ。
社交界の噂なんて九割が嘘であり、実際に会った彼の成金っぷりが酷いので本気にしていなかったけれど、どうやら真実だったらしい。
貴方はお金のためにあらゆるものを犠牲にしてきたわけじゃなかった。勉強のために、研究のために、ひいては人のために。きっと気の遠くなる程の長い時間を捧げてきたのね。
「嫌ったりしませんよ。むしろ何でもお金で解決しようとする貴方より、よほど好感が持てます」
私は笑った。ようやく本当の彼を垣間見ることができて嬉しかった。
それにあの豪快な散財が不器用さからくるものだと知ったら、可愛く思えてきたのだ。
「お花は抱えられるだけでいいんです。ドレスは必要なだけで。オーケストラも、美術館も、現地まで足を運べばいい。そのための時間も貴方となら楽しいと思います」
瑠璃色の瞳が信じられないことを聞いたとばかりに見開かれる。そんなに驚くようなことを言ったつもりはないのに。
彼はきっともう少し理解するべきなのだ。資産などより貴方の志こそが尊敬に値するということ。
研究ばかりしていて世間からズレてしまったというのなら、それは私にも似たようなところがあるから、共に学んでいけばいい。
「……キーラ殿。貴方は、きっとまだ王子殿下のことを想っているんだって。ついさっきまで、そう思い込んでたんだ」
それはどこか茫洋とした声だった。その言葉の内容は否定したくてたまらないものだったので、私は急いで首を横に振る。
「婚約が破棄されてほっとした、くらいにしか思っておりません」
「無理をして言ってんじゃないのか」
「本当です。……信じてくださらないのですか?」
私は自分でも意外なほどに傷付いて、思わず俯いてしまった。
どうしてだろう。王子殿下にどれほど邪険に扱われようと何も感じなかったのに、彼とはほんの少しすれ違うだけでこんなにも胸が痛い。
「違っ……! 違う、嘘だなんて思ってない! ただ、こんな……俺にとって都合がいいだけのことがあるのかって、驚いたんだ!」
焦燥を大いに含んだ声がつむじを打つ。そっと顔を上げると、ヴィスコンティ男爵は赤くなった顔を隠すように口元を覆っていた。
「俺、は……まだ、貴方の婚約者でいてもいいのか」
「はい、もちろんです。こちらこそよろしくお願いします」
くぐもった声に二つ返事をすると、彼は顔を抑えていた手を取り払って、今までで一番の笑みを見せてくれたのだった。
***
その後はまた色々と面倒ごとが起こった。
中でも陛下が我が家まで謝りに来たことは、本当に屋敷中上を下への大騒動だったな。ああ、本当にびっくりした……。
王子殿下は留学という名の流刑が決まり、そろそろ旅立つ予定だと聞いた。ビアンカ様は初老の貴族に嫁がれたらしいけど、話したこともなければ共通の知人もいないのでよくは知らない。
ああそうそう、第二王子殿下が正式な王位継承者に決まったのは、当然とはいえ本当に良かった。これで陛下も安心なさっただろうし、私の友人でとても素敵な令嬢が婚約者として支えているから、きっとうまく行くだろう。
「母上、伺いたいことがあるのですが」
私は日傘を手に玄関に佇んでいた。見送りに来てくれた母上は、貴婦人然とした立ち姿でそこにいる。
「あら、なあにキーラ」
「まさかとは思いますが、ヴィスコンティ男爵からお金なんて受け取っていませんよね」
両親はこの婚約に際して何も口を出してこなかった。
何かしらの裏があるのではないかと疑った私は、婚約から一月経った今になってようやくその疑問を口にしたのだった。
「あらあら、あなたそんなことを気にしていたの」
「……だって、おかしいではありませんか」
ヴィスコンティ男爵は成り上がりとして名高い。生粋の貴族家である我が家としては、あまり望ましい嫁ぎ先ではないことは明らかだ。
もしそうした認識があるならこの機会に訂正して、もらったお金があるなら返さなければ。
堅い決意を胸に身構えていたら、母上はからりと笑って見せた。
「そんなはずないじゃない。私達が決めた婚約のせいであれだけ苦労をかけたんだから、いくら積まれたって半端な男の元にお嫁に出す気は無かったわ」
「母上……」
「それにあんなに必死になって頼み込まれたら嫌とはいえないわよ。御宅の姫君を愛しています、絶対に幸せにするからって。陛下も信用できる立派な若者だって太鼓判を押してくださったしね」
「な……!」
完全に初耳だ。
何それ。そんなこと誰も、一言も言ってなかったのに!
「あら、赤くなっちゃって」
「は、母上……! からかうのはおやめください!」
「ふふ。あなた、自分では気付いてないんでしょうけど、王子殿下の婚約者だった頃とは比べものにならないくらい生き生きしてるわ。ヴィスコンティ男爵に感謝しなくちゃ」
恥ずかしくて消えてしまいたい。私は胸の熱を持て余して口をぱくぱくさせたのだけど、母上に背中を押されたことで、叫び出したいような衝動もうやむやになってしまった。
「さあ、そろそろいらっしゃるわよ。行き先は植物園だったかしら? 楽しんできなさいね」
*
「この植物園は随分立派なんだな。ほら、見てくれ」
「はい……」
「貴方はどの花が好きなんだ? 教えてくれよ」
「花なら、何でも……」
日傘に隠れて生返事ばかりを返す私に、ヴィスコンティ男爵も訝しく思ったらしい。彼は足を止めてこちらへと向き直ると、日傘の縁に手をかけて顔を覗き込んできた。
「顔が赤い。もしかして体調が悪いのか?」
余りにも近い距離に心臓が跳ね上がる。先程の母上の話のせいで動悸が酷いというのに、これ以上近付かれたら死んでしまうかもしれない。
「大丈夫です! ただ、あまりにも綺麗なので見とれていただけです!」
「何だそうか、それなら良かった」
明らかに安堵を含んだ瞳を見ていられず、私はふいと視線を逸らした。
適当に誤魔化すようなことを言ったりして、一体何をしているんだろう。せっかく彼が忙しい合間を縫って、こうして外へと連れ出してくれたというのに。
「あ……あの、私! 金木犀が好きです。ほら、本当にいい香り」
私はオレンジ色の細かな花をつけた木へと近寄っていった。胸いっぱいに香りを吸い込めば、浮き足立つ気分も落ち着いてくる。
「ここはとても良いところですね」
「気に入ったのか?」
「はい。初めて来ましたが、何度でも来たくなるような場所だと思います」
言ってしまってから私は後悔した。何故なら、彼の瑠璃色の瞳が爛々と輝き始めたから。
「そうか、ならこの植物園を買おう!」
「そうくると思いましたよ!」
私は額を抑えて叫んだ。
このやり取り、もう何回目になるだろう。美術館の帰りに必要なだけでいいのだと伝えたはずなのに、一向に改善される気配がない。
「そんな横暴を働くのはおやめください! 大事な研究費でしょう? そもそもここは王立植物園ですよ、常識的に考えて個人が買収するものではありません!」
「いやだってな、俺は貴方の気を引きたくて必死なんだよ」
「お気持ちだけで結構です! 何度申し上げたらご理解いただけるのですか!」
やっぱりズレてる。盛大にズレてる。
なんでわからないのかな。私は何かを買ってもらうために貴方といるわけじゃない。ただ楽しいから、愛しいから、この時間を大切だと思っているのに。
……ん? 愛しい、から?
ようやくの自覚を得て、私は盛大に赤面した。
「なあ、どんどん顔が赤くなってるけど。やっぱり熱でもあるんじゃないのかよ」
訝しげな表情。ココアブラウンの髪が蒼天に映え、瑠璃色の瞳が太陽の光を受けて輝いている。
綺麗な人だ。飢饉で死にかけて、家族を亡くして、二度とその悲劇を起こすまいと立ち上がった。いつも一生懸命で、優しくて、ズレてるところも含めて愛しくて。
「……キーラ殿? 何か言ってくれ。それとも、どっか痛いのか?」
ああ、ズレているのは私の方だ。どうして気付かなかったんだろう。
私はこんなにも。こんなにも、貴方のことが。
「……す」
「す?」
「……す、鈴蘭も好きです」
言えない。言えなーーーい!!!
何これ、こんなに勇気がいるものなの? 知らなかった! ヴィスコンティ男爵ってすごい! 世の恋人たちってすごい!
やっぱり私って、大概おかしいんだわ。色恋なんて意識の外に締め出して生きてきたし、気持ちひとつ満足に伝えられないなんて。
「ああ、それは何となく知ってた。時期が来たら抱えられる程度の鈴蘭の花束をプレゼントするよ」
それなのに。彼は前に伝えたことを覚えていて、嬉しそうに微笑むから。
私は笑って、ありがとうと言う。以前は噛み合わなかったはずの私達は、いつしか普通に会話ができるようになった。
これからも彼と共に出かけよう。世の中の普通を噛みしめるように、この人と過ごす時を大事にしよう。
次に会った時、私はこの気持ちを伝えることができるのだろうか。
結婚式は、鈴蘭の季節だ。
〈了〉




