たとえ貴方が望まなくても ②
ひとまずは一件落着かと思われたその時のことだった。路地の出入り口に一瞬だけ顔が覗いて、すぐに引っ込んだのを見た俺は反射的に走り出した。
キーラの大事なプレゼントを片手に掴んだままだが、仕方がない。明らかにに見覚えのある顔、あの女が絡んでいるというのなら、何としてもここで押さえなければ。
全速力で路地を抜けた所であっさりと追いついて、肩を掴んで振り向かせると、やはりその正体はソプラニーノ伯爵夫人だった。
「は、離しなさい! 無礼者!」
「あんな所で一人でうろついてた怪しい奴を無罪放免できるわけないだろ。話は聞かせてもらうからな」
「知りませんわ! たまたま通りかかっただけですもの!」
おいおい、鬼の形相で叫ぶから注目を集めちまってるぞ。伯爵夫人が聞いて呆れるな。
「何であんなことした? キーラに何の恨みがある」
「私は知らないと申し上げておりますのよ!」
「男たちは全員お縄だ。今更依頼主に義理立てして、口を噤むとでも思うのか」
つい厳しい口調で問いただしたら、ソプラニーノ伯爵夫人がびくりと肩を揺らした。そんなことは考えもしなかったという顔をされて、俺はますます眉をひそめた。
本当にそろそろいい加減にしてくれないだろうか。
今回ばかりは俺も堪忍袋の緒が切れた。こいつらキーラに迷惑かけすぎだし、ましてや手を上げるなんて一体どういう了見なんだ。自分たちの都合で捨てた相手に、よくまあこんな仕打ちができたもんだ。
「だ、だって。許せなかったんですもの。私は夫に顧みられずに寂しく過ごしているのに、どうしてメルクリオ侯爵令嬢は貴方に愛されて幸せそうにしているのよ」
「……はあ? あんたが意に沿わぬ結婚をしたのは、あんたが王太子殿下に手を出したせいだろうが」
「うるさい! 理屈なんかどうだっていいのよ!」
何だそれ。完全に逆恨みじゃないか。
「近頃見かけるのよ、貴方と楽しそうにしてる所。この間もあの子プレゼントをもらって嬉しそうにしてたじゃない。私は夫にプレゼントなんてもらえないのに……お金を渡されて、それだけなのよ。ちょっと脅かしてやれば、それで気が済むと思ったの!」
ソプラニーノ伯爵夫人は叫ぶように言った。
この女も哀れな奴なのかもしれない。つまりは自分の立場ばかり見ていたら、結局一番欲しいものが手に入らなかったって話なんだろうな。
けど、だからと言ってキーラを襲わせるなんて冗談じゃない。
「どこまで自分勝手な阿呆なんだ。それで何でキーラを襲わせるなんて話になんだよ。……そもそもさ」
そもそも。キーラは幸せだなんて思ってないよ。
たまたま婚約したのが俺だったから、一緒に過ごしてくれてるだけ。楽しいとは言ってくれたけど、別に俺のことを好きなわけじゃない。
プレゼントを渡すような男もいるみたいだし。……ああ駄目だ、自分で考えておいて凹むわ。
「ソプラニーノ伯爵夫人」
後ろから凛とした声が聞こえてきて、俺は俄かに背後を振り返った。
そこにはキーラが背筋を伸ばして立っている。酷い目にあっても冷静を失わない強さを持つ人だ、本来なら王妃になるべき人材なんだろう。
「聞こえてきたお話を総合すると、貴方は今の境遇に不満を持っておられるのですね」
「そうよ、当たり前じゃない! あんな年寄りと結婚させられた苦しみが貴方にわかる!?」
「わかりません。私は王太子殿下と婚約していた時、とても嫌だと思っていたのに、そう思う自分の心と向き合うことすらしませんでしたから。貴方の今回の行いは間違っていると思いますが……行動に移すことができる強さを、羨ましいとも思います」
キーラ、流石にお人好しが過ぎるよ。
俺はあまりの寛大さにもどかしい気持ちになったけど、こんな女を許す必要はないと否定する気にはなれなかった。
何故なら、エメラルドの瞳が切実な輝きを纏っていたから。キーラは本当にこの女の行動力をすごいことだと認めているんだ。
「ソプラニーノ伯爵と向き合うことはできないのですか?」
「な、何よ、それ……」
「縁あってご夫婦になったのですから、一度は向き合うべきだと思うのです。好きにお買い物をしろと仰るようなお方なら、きっと貴方が不自由しないように気を遣って下さっています。そうは思われませんか?」
ソプラニーノ伯爵夫人が瞳を揺らして俯く。殊勝な様子にキーラは少しだけ微笑んで、柔らかい声で言葉を続けた。
「もし駄目だったら、また私のところに来てください。脅かすのはもう無しですよ。愚痴くらいなら、聞いて差し上げますから」
警察の事情聴取はあっさりと済んだ。
キーラは特に罪に問う気は無いとのことで、俺は納得しかねたけど当の本人がそう言うならと渋々口を閉ざした。
ソプラニーノ伯爵夫人はすっかり萎れた様子で肩を落としたまま家路に着いた。次に妙な気を起こしたら警察に突き出すと言ったら殊勝に頷いていたので、大丈夫だと思うことにする。
警察署を出たところでルーチェさんは旦那様に話をしておくと言って帰って行き、後には俺たち二人だけが残された。うむ、またしても気を使わせてしまったか。
「助けて頂きありがとうございました。大変なことに巻き込んでしまい申し訳ございません」
「もう気にしないでくれ。無事で良かったよ」
キーラは相変わらず沈痛な面持ちだったけど、笑いかけてやるとようやくホッとしたように微笑んでくれた。ああ、良かった。いつもの調子が戻ってきたかな。
ひとまず彼女を屋敷まで送って行くことにして、ゆっくりと歩き出す。
「そうだ、これを預かってたんだ」
俺は自分の買い物袋に突っ込みっぱなしだった小さな包みを取り出した。
キーラがどこぞの誰かに贈るもの。地団駄踏むほど羨ましいその男は、一体どんな奴なのかな。
本当は見て見ぬ振りをしたいくらいだ。キーラに聞かれてもそんなものは見なかったと言ってしまいたい。こんな陰湿な人間じゃなかっだはずなんだけどな、俺は。
それでもキーラが一生懸命選んだ品物だ。悲しませるようなことはできない……できない、筈だ。うん。
「貴方のものだろ? ちょっと汚れてるけど、多分中身は無事なんじゃないかな。包み直して貰えばなんとか」
そこで俺は口を噤んだ。何故なら、キーラがみるみるうちに真っ赤になってしまったので。




