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たとえ貴方が望まなくても ①

 学会で着るためのフロックコートがいつの間にかくたびれていたので、俺は馴染みの洋品店へとやってきた。

 既に発注は済ませてあるから受け取るだけだ。店員は顔を見ただけで奥へと引っ込んで行ったかと思うと、箱を抱えて戻ってきた。


「ご確認なさいますか?」

「いいや。信用してるからさ」


 それは嬉しいお言葉ですねと微笑んだ店員は、なんだかいつもより機嫌が良さそうに見える。不思議に思った俺は首を傾げて、何の気なしに尋ねてみた。


「ああ、実は先程とても可愛らしいお嬢様が、当店にお買い物にいらっしゃったのですよ」

「なんだよ、美人を見て色ボケただけか」

「違いますよ。いえ、それも多分にありますが、とても微笑ましいご様子でしたので」


 店員はそのお客のことについて語り始めたのだが、冒頭でストロベリーブロンドのとても綺麗な人だったと教えられた俺は、食いつかんばかりに身を乗り出すことになった。

 ストロベリーブロンドの綺麗なお嬢様だなんて、どう考えてもキーラじゃないのか!?


「どっ、どんな様子だった!?」

「え、ええ……なんでもプレゼントをお探しとのことで、とても真剣に悩んでおいででした」


 ここで俺へのプレゼントだと思えるほど自惚れているつもりはない。生真面目なキーラが紳士洋品店でプレゼントを買ったという事実は、俺に横っ面を張られたような衝撃をもたらした。

 いったい誰に。どんなつもりで? しかもガンガン鳴り響く頭が復活しないうちに、店員は悪気なく追い討ちをかけてくる。


「お慕いするお方に差し上げるのでしょうね。いろいろなことをお気になさったり、似合うかしらと召使いとご相談になられたりと、まあお可愛らしいご様子でした。……あの、ヴィスコンティ様? どうなさいました?」


 どうやって金を払ったのかよく覚えていない。

 望みがあるとするならば、キーラではなく別人だという可能性だろうか。そこまで考えついた俺の足は、自然とメルクリオ侯爵邸へと向かい始めていた。

 先触れもなしに貴族の屋敷を訪れちゃいけないって、今はもうよく解ってる。これもキーラが教えてくれたことだ。彼女はいろいろなことを俺に語りかけて、ふとした瞬間に微笑みを見せてくれていた。

 聞いてみよう。うざい婚約者だと思われてもいい、もし彼女に誰か想う相手がいるのなら、俺は。


 ……俺は、きっともう手放してやることができない。愛してるんだ、どうしようもないほどに。


 *


 結論から言えば、下町時代の血が騒いでしまったという訳だ。

 でもまあ、無理もないと思う。大事な人が腕を捻り上げられていたんだから。

 だけど。だけれども。キーラの目の前で大乱闘を繰り広げたのは、やらかしたとしか言いようがないな!

 今俺の目の前には倒れ伏した三人の男と、呆然とした様子で座り込む使用人のルーチェさんがいる。

 どうしよう、これは完全に嫌われた。キーラの目を見るのが怖い。

 キーラは忍耐強く毅然とした人だ。きっと暴力を振るうことなんて考えもしないに違いない。怒りに任せて人を殴るような奴、やっぱり彼女には相応しくないんじゃないだろうか。


「アメデオ!」


 しかし底の見えない絶望感は、俺の名を呼ぶキーラによって断ち切られた。


「お怪我を! 血が、血が出ています!」


 走り寄ってくるキーラは、自惚れでなければどう見ても心配してくれているようだった。眉を下げて見上げてきたかと思えば、肩に下げたポシェットからハンカチを取り出して、俺の手の甲をそっと拭ってくれる。


「早く冷やさないと。他に痛いところは?」

「……俺のことを軽蔑しないのか?」

「意味がわからないことを言わないで下さい!」


 全然会話が成り立っていないのだが、この時の俺はそんなことを気にしていられる心境じゃなかった。

 キーラは俺のことを嫌わないでいてくれたのだろうか。だとしたらこれ以上嬉しいことはないんだけど。


「怪我は、ないんだよな?」

「ありません」

「ハンカチが汚れる」

「そんなことは良いんです!」


 良くない。姫君の持ち物たる綺麗な絹のハンカチだ。上等なウールのコートも、埃を被った俺なんかに触れたらダメになってしまう。


「どうして……私、貴方に迷惑をかけてばかり。喜んで欲しかった、だけ、なのに」


 その時のことだった。綺麗なエメラルドグリーンがじわりと滲んで、俺は鞭で打たれたように口を噤んだ。見る間に雫を湛えていき、薄暗い中で輝きながらゆらゆらと揺れる。

 あ、と思った時には、キーラは両目から涙を溢れさせていた。

 ぽろぽろ、ぽろぽろと、真珠みたいな涙が次々と滑り落ちていく。あまりにも痛ましげな様に俺はすっかり気が動転して、つい彼女を抱き寄せてしまった。


「どっ、どうした……!? 怖かったな。もう大丈夫だから、ほら」

「ちがっ……だって、怪我……!」


 キーラがしゃくり上げながらも懸命に首を振る。その内容を汲み取るなら、まさか。


「俺のことが心配で、泣いてくれているのか……?」


 胸に押し付けた頭が小さく前後した。言葉は無くとも何よりの返答に、俺は一気に気分を急浮上させた。

 心配してくれたのか。俺みたいな無作法者の、自業自得のかすり傷を。


「俺は大丈夫だよ。こんなもん怪我とも言えないし、全部俺の責任だ。キーラが気に病むような事じゃない」

「でもっ……!」

「本当に大丈夫だって。貴方は、優しいな」


 ああ、どうしよう。嬉しすぎて頭がおかしくなりそうだ。

 健気すぎるだろうこんなの。可愛いなあ。やっぱり……やっぱり、手放せない。

 抱きしめることなんてキーラは望んでいなかったと思うけど、拒否されないのをいいことにそのままでいることにした。

 しゃくりあげる声が少しずつ小さくなって、やがて完全に聞こえなくなった。本当はずっとこうしていたいと願う心を押し殺し、想像よりもずっと頼りなげな彼女の体を解放する。

 また勝手に手が動いて赤くなった目の縁を拭ってしまった。それでもキーラは嫌がるそぶりを見せず、くすぐったそうに目を細めている。

 ……だめだ、脈アリに見える。

 隙あらば都合のいい方へと考えを転がし始める頭を左右に振って視線を逸らした。するとそこにはルーチェさんがいて、俺はこの優秀な使用人の存在を忘れ去っていたことに気付いた。

 ルーチェさんは不自然なまでに明後日の方向を向いている。これは明らかに気を遣ってくれている……んだよな?


「ルーチェ、大丈夫だった……!?」


 俺の視線の先を辿ったキーラが慌てたようにかけて行く。使用人の気遣いなんてものともせずに、そんなことよりと心配する姿は懸命で、眩しい。

 ちょっと気まずそうにしながら無事を喜ぶルーチェさんと、心から安堵した様子のキーラ。良い関係を築いているらしい主人と使用人を微笑ましい気持ちで眺めていた俺は、二人から離れたところにぽつんと落とされた包みの存在に気付いた。

 拾い上げてみると、泥に汚れた小さな箱に例の紳士洋品店の刻印が押されている。それがキーラの落し物であることは明白で、つまりは先ほどの話が真実であることの証明でもあった。

 いつの間にか周囲が騒々しくなってきていた。どうやら通りがかった人が通報してくれたらしく、通りの向こうから警察官の笛の音が聞こえてくる。

 ……こりゃ間違いなく事情を聞かれるな。まあ襲ってきた方が悪いのは間違いないから、まったく問題ないとは思うけど。


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