光秀と蘭丸 〜 魔性のらんと上様の首 〜
※ 昔々、攻めよせる明智の大軍に対して「森蘭丸」という名の出城で応戦して果てた伝説の戦士がおりました。―― なんていうお話ではありません。ご注意ください。
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天正十年(1582)六月二日未明、畿内を勢力下に置いた天下の覇者たる織田信長が、随一の忠臣といわれた明智光秀の謀反によって京・本能寺に倒れた。光秀はなぜ、主君であった信長を討ったのか……その謎に迫る……。
―― 五月某日、夜半。
「月が……」
洛内某所にて、織田信長の同盟者・徳川家康がつぶやきます。
この年、家康の活躍もあり甲斐の名門・武田家を滅ぼした信長は、調子を良くして家康を安土城へ、ついで京へと招いたのでした。
「月が、どうされました、殿」
重臣の一人……本多忠勝あたりでしょうか。あるいは、家康の「友」と称され、裏方として大活躍の本多正信でしょうか。ともかく、問いかけてきた家臣に、家康はこたえます。
「月が、あまりにもきれいすぎる。……なにかある……」
「なにかとは……、なににございましょう」
家康は彼のほうを見、唇を尖らせると一言。
「万千代はおらぬか。お前は好かん」
万千代とは井伊万千代。先の武田攻めで武功を立てた若き家臣、井伊直政のことです。
「お呼びでしょうか、殿」
「おお、ちょうどよい」
若き家臣と入れ替わりに、本多忠勝もしくは正信……ことによると榊原康政であったかもしれない彼は、主君がそうしたようにみずからも口を尖らせると、その場を去りました。
「ほれ、あの月よ。おぬしならわかるだろうの」
若き万千代はその月を眺め、言いました。
「ええ、明智さまが殿にお出しになったお魚料理にそっくりでございますな」
家康のお気に入りが井伊直政ならば、信長のお気に入りは、森蘭丸という近習でした。森蘭丸……ほんとうは「乱」という字を使うのですが、派手好きの信長はこの美青年にたいそう惚れこみ、「蘭丸じゃ」と、あえて「蘭」の字をあてて呼んでいました。でもまあ、じっさいに呼ぶときにはどちらの文字を使おうが、「おい、らんまるぅ」となるわけで、たいした違いはないのですけど。
しかしこの蘭丸、じつは信長以上に好いている人物がいました。それは、明智光秀。
「上様はね、繊細すぎるんですよ。扱いに苦慮しますね」
真っ赤な唇の美青年は言います。
「その点、キンカンはいいね。怒鳴ることもないし、柔らかいし。かといってなよなよしていなくて、男らしいとこもあんだから」
ほめられた光秀は照れますが、一言。
「調子に乗るなよ、小僧」
美青年は笑います。
「キンカン、だってほんとじゃない」
キンカンという光秀のあだ名は、信長がつけました。彼の頭がキンカンの実の表面みたいにつるっ禿げだから、キンカン。キンカ頭ともいいますね。
「上様は、冗談だけはうまいんだから。サルにキンカン、ホシシイタケ……あだ名をつける天才詩人だよ」
サルはご存知、羽柴秀吉。ホシシイタケは、だれのことでしょう……光秀にはピンときませんが、これはもしかしたら、いたずら美青年のでまかせだったのかもしれません。少なくとも、光秀の全体的な容姿は歳の割には若々しく見え、つるつるしているのは頭だけではありませんでしたから、彼の二つ目のあだ名ということではないでしょう。
光秀は言います。
「上様上様ってよ。俺をほめてくれるのはうれしいが、結局のところお前は上様が好きなんじゃないか」
「違いますよ、キンカン」
「そうやってまた、上様の真似をする」
「真似だなんて」
「俺のことをキンカンと呼ぶのは、お前をのぞけば上様だけじゃないか」
「そりゃそうですよ、キンカン」
「ほらまた、そうやってバカにするぅ」
光秀は口を尖らせます。
それを見て、美青年は華々しく笑います。……この笑い方、まさに「蘭丸」だな……と、光秀は心のうちにつぶやきます。
「上様は絶対そんな顔しませんよ、したって似合いそうもないし。だから私は、キンカンのほうが好きなんだ」
褒められているのか、けなされているのか。
「ぶぅう、この野郎」
光秀は美青年を小突きまわします。
「ああ、あはは、キンカンってば。愉快愉快、はああ」
もちろんこの関係、上様こと織田信長さまに知られることになったら一大事。美青年はこっぴどく叱られて、キンカン頭は真っ二つです。それでもふたりは密会をつづけ、ついにこの夜がやってきました。
そう、家康が、
「月が……」
と言った夜。
「……なにかある……」
「おい、らんまるぅ」
酒が入って調子に乗った光秀は言います。
「七つの扇子を用意した。これを使って、お前の踊りを見せてくれい」
対して蘭丸は不機嫌です。なぜなら、ちょうどこの日、上様こと織田信長さまにお小言を食らったから。「なんだい、花瓶くらいで、過敏なジジイめ」そんなことをぶつくさ言っています。
「どうした蘭丸。ほら、俺はこんど、サルハシバーの援軍として毛利攻めに行くことになったんだ。お前とこうして過ごすのも、ひょっとしたら、これが最後かもしれんのだぞ」
なんでもないことかのように、上機嫌に言ってくる光秀。そんな彼を見ていて、蘭丸のイライラは募ります。「なんでこの人はこうなんだ。まったくみじめだよ、体良くサルの下に従軍させられるってのに、ともすりゃ上様からたまわった栄誉あるお仕事だなんて思ってるふうなんだから。上様は繊細すぎるから、この人の良さがわからなくて、この人は人が好すぎるから、上様の理不尽さがわからないんだ」
信長の命令であれば、どんなに残酷で理不尽な仕事でも平然とやってきた光秀。彼の忠誠心が立派なことを蘭丸はよく知っていました。けれど、織田信長は違います。彼は人を信用しない。……ああ、なんてあわれなお人なんだろう……蘭丸は思いました。
「おい、らんまるぅ」
どうしてこの人は……。
「俺はお前が、好きなんよぉ」
でも、こんなにも自分を愛してくれて……。
「だからほらぁ」
上様への唯一の裏切りが、この密会……。
「踊ってくれたら、なんでもやるからよぉ」
……。
「ほんとう、ですね」
「お、おう。踊ってくれるのか」
「ええ、踊ります。でもその代わり、約束は守ってくださいね」
「や、くそくぅ?」
「なんでもくれるって」
「ああ、ああ、お安いご用でやんす」
「ふふ……」
蘭丸は妖艶に笑った。
そして、踊った。
そして……。
「上様の首を所望します」
「……え?」
「私たちの主君・織田信長の首を、この扇子のうえへ載っけて、持ってきてくださいまし」
「……え?」
「織田信長の首を、所望いたします」
―― かくして、六月。
「敵は……、本能寺にありっ」
燃え盛る本能寺にて、ふたり……。
……お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、ワイルドに影響されまくってます。
モティーフとしては、『サロメ』
キャラクター的には、『ドリアン・グレイの肖像』
扇子という小道具は、『ウィンダミア卿夫人の扇』
……というわけで、もっと時代劇チックなものを想像されてたかた、ごめんなさいでした^^;
レモン