47話 退職しない理由
深夜。
日中達成した依頼の報告書を作成していると。
「イトー。報告書のここ、書き忘れてるわよ」
先に提出した報告書の差し戻しをされてしまった。
確認してみると対応内容を記入する箇所が空欄のままになっているという、一目見ただけでわかるような単純なミスをしてしまっていた。
「……悪い。すぐに仕上げる」
「お願いね」
俺としたことがこんな初歩的以前のミスでファルの手を煩わせてしまった。
……駄目だな、しっかり仕事に集中しないと。
「ほえー……」
気を引き締めていると、気の抜けたような声が聞こえた。
俺の真向かいで同じく報告書の作成を行っているルミエナが、ぽかんと口を開けて呆けた顔でこちらを見ていた。
「イトーさんでも間違えることってあるんですね……初めて見ました」
「そりゃ人間誰でもミスはあるさ。まぁ今回のミスは自分でもくだらないミスだとは思うが……」
こんなにも明らかなミスは前世含めて初めてかもしれない。
それだけ俺は集中出来ていなかったということか。
「あの……イトーさん。だいじょーぶですか……?」
「ん、ああ」
心配そうに声を掛けてくれたルミエナに、頷いて返す。
「えと、もしあたしに出来ることあったら言ってください。今日みたいにお仕事代わったりとかがんばりますからっ」
今日はファルの父親の件があり、ルミエナには俺の担当分の仕事を二つほど代理で引き受けてもらった。本来なら先輩が後輩の仕事をカバーするものだが、今日に限っては逆になってしまった。それなのに今後も任せて欲しいときている。本当に頼りになる後輩だ。
……だから俺は自分でも気付かないうちにルミエナに無理を強いてしまっていたのだろう。
「ありがとう。いつも助かってる」
「ほ、ほあっ!? い、いきなりどーしたんですか!?」
「いやただ単に日頃思ってることを言っただけだが……頼りになる後輩が居て良かったなと」
「た、たよりになる……でゅへへ……」
緩みきった表情になるルミエナ。
こういった反応を見ている限りではファルの父親の言葉が事実だとはとても思えない。
『あの子はイトー君と違って辛そうにしていたところをよく見かけたからね』
それでも、その言葉が俺の頭からずっと離れずにいる――。
◇
ルミエナが報告書の作成を終え、退勤した後。
「……貴方、あの子のこと気にしすぎよ。全然集中できてないじゃない」
呆れた様子でそう指摘されてしまった。
まったくもってその通りなので返す言葉もない。いつもならとっくに終わっている報告書の作成も、ついルミエナのことが気になってしまい、未だに終わっていなかった。
「まぁ元はと言えば私のお父さ――父があんなこと言ったのが悪いのだけれど」
「ファルはその……親父さんとのことはいいのか?」
色々激動の日々を過ごした中での突然の再会にしては、お互いやけにあっさりとした別れだった。ルミエナのことだけでも仕事の精彩を欠きまくりの俺とは違い、ファルはいつも通りに見える。
「別に何か言ったところで過去が変わる訳ではないもの。それに――」
「それに?」
「奴隷になったからイトーに会えて、こうして自分の力でギルドマスターになれている訳だし、そう悪い気もしてないのよ」
「……そうか」
俺もファルに出会わなければ、今頃どうなっていたかなんて想像するのが怖いぐらい充実した毎日を過ごせている。きっとファルも俺と同じぐらい今を幸せに感じているのだろう。
「それでルミエナのことなのだけれど」
だからこそこの生活を守るため、目の前の課題をなんとかしなければならない。
「父の二の舞にならないように従業員の様子には気を付けていたのだけれど……父からの情報がなければ完全に気付かなかったわね」
「そう、だよな」
さっきも話していてルミエナがこの環境に苦しんでいたり不満を持っていたりするようなことは感じ取れなかった。
「とにかくこのままじゃ従業員の不満からギルドの悪評に繋がる恐れがあるわ」
ルミエナが管理局に訴えかけたり、周りにギルドの悪評を流すとは思えないし想像すら出来ないが、ウェステイル商会の衰退を目の当たりにしたファルとしては慎重にならざるを得ないのだろう。
「そこでこれからのことを考えてみたのだけれど」
「なんだ? 俺で出来ることならなんでも言ってくれ」
当然上司の命令は聞く以外の選択肢はないが、今回はイーノレカの職場環境に関する問題だ。俺としても全力で取り組むつもりでいる。
「あの子にはギルドを辞めて貰おうと思うのよ」
「…………えっ?」
ファルの口から出たのは全く予想もしていない言葉だった。
辞め……る……? ルミエナが?
「ちょ、ちょっと待ってくれ。どうしてそうなるんだ? ルミエナに不満を感じさせない為にはどうするのかっていう話じゃないのか?」
これまでもそうしてきたようにルミエナに適切な教育を頼まれるかと思っていた。なのにそれがいきなりどうして辞めるなんて話に。
「勿論このまま継続して貰えるならそれが一番良いわよ、出来るならね。でも確実に出来ると言える? 失敗してもリスクは無いと言える? 言っておくけれど、従業員の不満から悪評が広まることが一番最悪なのよ」
「それは……」
ファルの考えを聞いて言葉に詰まる。
ルミエナには多くのことを伝えてきた。少しずつだが俺と同じような社畜になってきているとも思っていた。けどそれはただの俺の思い込みである可能性が高い。
もし今までやってきたことが全て逆効果であったとするなら……次の手を打った時が最悪の結末のトリガーを引いてしまう事態になりかねない……。イーノレカが第二のウェステイル商会になる可能性だってある。それはわかる。わかるけど……。
「けどファルはそれでいいのか? 今の業績が出せているのはルミエナのお陰でもあるだろ?」
「そうね。でもリスクを抱え続けるよりはマシよ。それにイトーもそろそろEランクの昇格申請が可能になるし……受かってしまえばそこまでマイナスにはならない筈よ」
元々ルミエナはFランクでは受けられない依頼を受領できるようにと増員した要員。
全体的な業績こそ下がりはするが俺一人がこなす分でそれなりの結果が出せるという読みも理解できる。
でもやっぱりこの世界で初めて出来た俺の後輩だという個人的感情もあるし、それを抜きにしても魔術師としても優秀でここまで付いてきてくれた実績もある。リスクがあるからと簡単に切るべきではないと思う。
「不服そうね」
「いや……」
……俺が納得する納得しない関係なく、決めるのはファルだ。
ファルが決めたことなら俺は逆らえない。
切り替えろ。
去っていく同僚なんてこれまで何十人も見てきたじゃないか。
「……大丈夫だ。辞めて貰うにしてもクビという訳じゃないんだろ?」
「当然よ。円満に退職して貰わないと意味ないもの」
それを聞いて安心した。
円満退職なんてブラック企業とは程遠い言葉なのでファルの言うことでも一抹の不安はあるが、それがルミエナとギルドの為になるのであれば、俺は喜んで行動しよう。
「それで円満に退職して貰う方法だけれど……『仕事を辞めたいのに辞められない』理由として、何があると思うかしら?」
ファルからの投げかけ。
ニュアンスから察するにファルはもう答えを知っているのだと思う。ただ単にこの後俺への命令に繋げる導線としてのものだろうし、俺は思ったことをそのまま口しよう。
「そうだな……やはり仕事というのは言わば呼吸と同じで――」
「……あなたじゃなくて一般的な観点で考えなきゃ意味ないわよ」
確かにその通りだった。
ここは前世の、かつての俺の記憶・経験から考えよう。
まずあったのは『周りに迷惑をかけたくない』という気持ちだ。
実際に自分が一人辞めたところで会社組織というのは回っていくものであるが、それでも自分が辞めてしまったら他の人に負担が掛かってしまう、最悪仕事が回らなくなるかも、という恐れから退職に踏み切ることが出来ない。
他にも退職届を握りつぶされるとか、上司からの圧が凄すぎて退職届を出す勇気が持てない、引き止めや脅しにあって退職の意思が折れる等が考えられるが、ファルの質問の意図からは外れるだろう。
となると、理由として一番多そうなのはやっぱり。
「他に行くアテがないから、かな」
生活を送っていくためには金が要る。
金を得る為には仕事が要る。
辞めたところで他に仕事のアテがないなら今居るところで頑張るしか無い。とても単純な話だ。
「そういうことよ」
正解だったらしく、ファルは小さく頷く。
そして。
「これからやることは全部で3つ」
そう言って指を一本立て。
「1つはEランクへの昇級。これは申請を出せばあとは管理局が実績から判断して合否を決めるだけだから問題なく合格すると思うわ」
Fランクはあくまでも新人冒険者用ランクという位置づけであるため、Eランクへの昇格試験は用意されていない。Dランク以降は試験を受ける必要があるが、今このタイミングで筆記試験対策等をしなくて済むのはありがたい。
「2つ目は円満に退職できるようにあの子の説得。けど普通に辞めて欲しいと伝えたところで逆効果、だからイトーにやって欲しいのは3つ目――」
2本、3本と指を立て。
「円満退職の為の説得材料――あの子の転職先を見つけて欲しいのよ」




