46話 その場所で働く理由
「これが……私の、過ちだ……」
ウェステイル商会ばブラック企業となってしまった理由。そして躍進と破滅。その全てを話し終えたファルの父親は、力なく項垂れた。
「私はただ平穏な毎日を過ごせれば良かった……その筈だったのに……気が付けば私は、他者を犠牲にしてまで成り上がろうとしていたんだ……」
そこには話の中にあったように相手の事情に付け込み、業務努力を強いるような人物ではなく、ただただ後悔を抱きながら無気力に生きている男の姿があった。
「ファル。お前のやっていることはかつての私と同じだ。自分のギルドの業績を優先するために、イトー君達を犠牲にしている」
「一緒じゃないわよ。イトーには全部承知の上で働いて貰ってるんだから」
「それは同意せざるを得ない状況を作っているだけだろう! 私がやったように!」
お互いの主張がぶつかり合い、どちらも譲りそうにない。
ファルの言っていることは事実だが、この異世界での常識やウェステイル商会での反省点からとても受け入れられるようなものではないだろう。
ここは当事者である俺の口からちゃんと説明したほうが良さそうだ。
「俺は犠牲になっているつもりはありません」
「可哀想に……それも言わされているんだろう?」
何故か信じてもらえず、可愛そうな人を見るような目で同情されてしまった。
「…………聞く耳持たないわね。何言っても無駄よ」
ファルが呆れたように言う。
だがここで引き下がってしまっては、結局また父娘で平行線の話に戻ってしまいイーノレカの営業にも影響が出るし、なにより自分の上司が誤解されたままというのは良い気分ではない。
言ってもわかってくれないからと諦めたくはない。
俺が望んでここにいるのだと、理解して貰わなくてはならない。
「少し、俺の話をしましょうか」
だから俺は話そうと思う。
「俺は、この国にやってくる前、とあるところで働いていました」
俺の記憶に、本能に、心に焼き付いている前世のこと。
「そこで働く前まで、俺はただなんとなく気楽に生きているような人間だったんです。でもそこは、気楽に生きていけるような環境ではありませんでした」
それまでの人生でこれといった打ち込んだものもなく、無理もしてこなかった自分には地獄のように思えた場所。でもこの世界に来てから気付いた。気付けた。
「だけどその環境は無理をしたこともない、これといって頑張ってきたことのない、ただなんとなく生きていただけの人間に、新しい世界を見せてくれる――そんな場所だったんです」
最初の切っ掛けは、きっとあの日。
研修が終わって配属初日のこと。
あの出来事がなければ、俺はあの場所に居続けられなかったと思う――。
◇
「ん? どうした伊藤。まだ帰らないのか?」
深夜。もうすぐ終電もなくなる時間帯。
終わらない資料作りと格闘していると、やけに顔色の悪い人に話しかけられた。
えっと確かこの人は……竹中さんだったかな。
まだ初日なので全員の名前は覚えきれていないけど、この人は顔色の悪さが特徴的だったから覚えている。
「えっと、すみません。まだ仕事が終わらなくて……」
今日部長から明日までに資料を数点作るように指示されたのだが、今までこういった資料作成の経験がなく思うように作れず、また量も多いのでこの時間になっても終わらせられずにいる。
「どれぐらい残ってるんだ?」
「えっと部長から言われてるのは――」
正直なところ一刻も早く作業に戻りたかったが、先輩に聞かれた以上答えないわけにもいかず、残っている作業を話した。
「なるほどな。じゃあお前は今仕掛り中の分だけ頑張って仕上げろ。他は俺が引き継いでやる」
「え? でもこれは自分に任された仕事で――」
「そもそも新人一人でやるような量でも内容でもないぞこれは。進行中案件の会議資料とか業務を知らなきゃ作れないのもあるだろ。というか俺でもわからんのがあるぞこれ」
「その辺りは過去の議事録とか追いかけながらなんとか――」
「そこからやってたら明日の始業までに間に合わないだろ?」
「それは…………はい……間に合わないかもしれません……」
「仕事は『間に合いませんでした』では済まないこともあるからな。会社の為にも手伝わせて貰うぞ」
そう言って竹中さんは自分のデスクに戻り、俺に任されていた資料作成に着手し始めた。
それからお互い会話もなく、マウスとキーボードの音がフロアに響く。
しばらくして。
「なぁ伊藤」
「はい」
「察していると思うが、この職場の仕事量は尋常じゃない」
「……はい」
新人には荷が重い仕事の内容と量。日中もみんな忙しなく外回りに行ったり作業していて、定時になっても帰るのは部長ぐらいたったことからも察せた。
「だから何でも一人でやろうとするな。ここではみんなが助け合いながらやってる。……でないとすぐに潰れちまうからな」
過去にもそういった人が居たのだろうか。
竹中さんの言葉には何か悲しいものを感じた。
「つっても新人じゃなかなか言いにくいよな」
「……それは……はい」
「だから今日はすまなかったな。こんな時間になるまでお前がここまで仕事を抱え込んでたことに気付いてやれなかった」
「いえ、そんな……」
「右も左も分からない中でここまでやるのは大変だったろ? 大事な後輩だってのに辛い思いさせて……本当にすまなかった。次からはちゃんとみんなでお前のこと助けてやるからな」
――それは仕事が辛かったせいなのか、それとも竹中さんの優しさに感動したせいなのかはわからない。
でも気が付けば俺の頬には、涙が伝わっていた。
◇
――あの竹中さんとのやり取りは、無理をしなきゃいけない環境だからこそ起こった。
勿論これは最初の切っ掛けでしかない。
他にも俺は、あの会社じゃないと出来なかった多くのことを経験させて頂いた。
「毎日が忙しくて何かを考える余裕もない……それなのに頼りになる先輩達と一緒にいると、不思議と頑張らなきゃって気持ちが湧いてきたり、修羅場を乗り越えた時なんて一緒に人としても成長できたような、そんな感覚も得られたんです」
過酷な職場でこそ強固に育まれる仲間との絆。
困難や限界を乗り越えた先にある自身の成長。
多くの業務を振られることで自分が必要な存在だと、満たされる自尊心。
思えば俺の中にある社畜精神は、もう一度それを感じたいという気持ちからホワイトな職場で働くことを拒否していたのかもしれない。
「イーノレカは、俺にもう一度そんな気持ちを感じさせてくれる場所なんです」
ファルとルミエナという仲間の為、ここを離れるつもりにはなれない。
イーノレカこそが、この世界での俺の居場所だ。
「キミは……本当に……心からこの環境を望んでいるのかい……?」
「はい」
「……不幸ではないのか……?」
「不幸どころか幸せですよ」
ホワイト労働環境が蔓延る異世界。
この世界のイレギュラーとも言えるウェステイル商会がなければ、ファルにブラック経営者としての教育をしていなければ、俺は今も満たされないまま奴隷を続けていたことだろう。
「働く理由は人それぞれだと思うんです。その仕事が好きだから、お金を稼がないといけないから、お客様の笑顔を見たいから、みんなの役に立ちたいから。それから――雇用主の恩義に報いたいから、というのもあると俺は思います」
ウェステイル商会は最終的にああいう形になってしまったものの、雇われる前まで行く宛がなかった人にとってはきっと社会復帰の場にもなった筈。そういう意味でファルの親父さんに感謝している人もゼロではない筈だ。
「そうか……そうなのか……? 私は不幸を振りまくだけの存在ではなかったのか……?」
そう言いながらファルの父親は心を落ち着かせようとしているのか、少し戸惑った様子で辺りを見回し。
「ん……あれは……」
とある場所で視線が止まった。
その視線の先にあるのは――ファルが作った訓示だ。
『頂点を目指すギルド<イーノレカ> 五つの訓示
一、志を持って自身の成長を目指し、常に挑戦せよ
一、困難な仕事を成し遂げてこそ、進歩がある
一、物事の成功には努力がある。努力を怠るな
一、計画を持て。正しい計画からは忍耐と工夫が養われる
一、労働は人生。充実した労働が幸福に繋がる』
「……良い訓示だ。根っこの部分は仕事に関連することばかりだが、それが自分のためであると感じさせる……。後がない従業員を追い詰める為に作った私の訓示とは大違いだね……」
「イトーと一緒に考えたのよ。どうかしら?」
「俺は少し助言しただけです。それだけでファルはこれだけの訓示を作り出したんですよ。貴方の教育があったからだと俺は思ってます」
「……そうか。娘と君が…………そうか……」
そういうと、ファルの父親は俺の言葉を噛みしめるようにゆっくりと上を向いて。
「私は……私のやってきたことは……全てが間違いという訳では……なかったのだな……」
そうしてしばらくの間。
自分のことを少しだけ許せた男は、静かに涙を流した――。
◇
「すまなかったね。仕事中に押しかけてしまって」
ひとしきり涙を流した後、ファルの父親はまるで憑き物が落ちたかのような晴れやかな表情でそう言った。
業務が滞ったりルミエナに負担を掛けてしまったが上司の身内。状況によっては仕事よりも優先するべきこと。何も問題は――。
「全くね。用が済んだなら帰って貰っていいかしら? 仕事に戻りたいのだけれど」
……身内は容赦がなかった。
色々複雑な家庭状況でお互い色々言いたいことはありそうなものなのに、ファルの態度はあっさりしている。父親の話の中にあった幼少時代から凄い変わりようだ。
「あ、あぁすまない。イトー君がこの環境を心から望んでいると分かった以上、部外者の私は口を挟むべきではないね」
娘からの辛辣な反応にもめげず、ギルドの経営方針に理解を示してくれた。
良かった。頭ホワイト企業なことを言い出してファルに詰め寄っていた時はどうなるかと思ったが、さすがはこの世界で一度ブラック企業経営の仕組みを作った商人。異質なこの労働環境も受け入れる程に柔軟だ。
「ただ――もうひとりの女の子は、今の職場環境を良しと思っているのかな?」
「……どういう意味かしら?」
もうひとりの女の子というのはルミエナのことを指しているのだろう。
勿論ルミエナも素質を持つ者。この環境にも俺ほどではないにしても慣れてきている筈だ。それがわかっているからファルも不満気に返事している。
「言葉通りだよ。娘がこのギルドのマスターと知ってからイトー君達の働きぶりを影から見ていたが、あの子はイトー君と違って辛そうにしていたところをよく見かけたからね」
……ルミエナが……辛そうに仕事を……?
「失礼ですが、何かの見間違いではないでしょうか? ルミエナとは一緒に仕事をすることも多いですが、そのような様子は一切目にしてませんし……」
「そうね。私の前でも怯えた様子を見せるぐらいで至って普通よ」
今日のように各自で仕事をすることもあるが、初仕事の時のように一緒に仕事をすることも多い。辛そうにしていたとしたらさすがに気が付く筈だ。俺達二人が揃って見落とすというのは考えにくい。
「そうだね。イトー君が居る時の彼女はどちらかと言えば楽しそうにしているが……一人で居る時の彼女は、いつも余裕がない様子で走り回っているよ」
「……そんな馬鹿な……」
「君と居る時に辛そうな様子を見せないのは、君が上手く負担を軽減しているからなのか、あの子が気を遣って悟らせないようにしているからなのかは定かではないがね……」
ルミエナは真面目で、頑張り屋で、だから俺はとても頼りにしていたし、もっと高みを目指すために色々なことを伝えてきた。そしてルミエナもしっかりそれに付いてきてくれていた……そう思っていた。
でもそれは……俺がそう思っていただけなのか……?
「私にもかつて店を大きくするという目標があった。そしてその目標の為に多くの人を犠牲にしてしまった……。君たちは自分の目的の為に、他者を犠牲にする覚悟はあるのかい――?」
穏やかな口調ながらも、数々の経験をしてきた人の言葉は重く。
俺に不安を抱かせるには十分だった。




