44話 ブラック企業ができるまで(中編)
靴磨きおじさんの回想(続き)です。
ウェステイル商会2号店がオープンしてから丁度1年。
今日は本店と2号店を休業にし、彼と今後の経営戦略について打ち合わせをする場を設けていた。
「……ふーむ、やっぱり良くないねぇ」
2号店の帳簿を見ながら呟く。
毎月確認していたものの、こうして一年という期間で纏めてみると2号店の経営状況の悪さ……赤字の大きさが顕著だ。やはり本店よりも都会ということもあって競合店の存在が売上を鈍化させているのだと見てとれる。
2号店を任せている彼は行商人としての長いキャリアがあり、世間の流れに機敏だ。だからこそ的確な仕入れと販売をしてくれると期待して経営を一任していたが、やはり行商と店を構えることでは勝手が違うのか、結果として仕入れにも無駄があり販売数も伸びていない。この結果は正直なところ予想外だ。
「君の能力ならもっと売上伸ばせると思ったんだけどねぇ……」
ただの冗談のつもりだった。
この後二人で売上を伸ばすための施策を考えようとも思っていた。
しかし。
「……申し訳ありません」
そう言って、彼は私に頭を下げた。
何一つ言い訳をせず、ただただ謝罪の言葉と、頭を下げた。
「ちょ、ちょっといきなりどうしたんだい。そんな君が謝ることなんて」
「いえ、私の実力不足です。折角拾っていただいたのにお役に立てず申し訳ありません」
そう言って頑なに頭を下げ続ける彼を見て、ふと思った。
――ああ、そうか。
私のほうが、上なんだ。
労働契約とは労働力の提供に対し、賃金を支払うというお互いの利害の一致から結ばれる契約。故に私は雇用側と非雇用側は持ちつ持たれつの関係で、対等だと思っていた。けど彼の態度を見てわかった。
私の方が、強い力を持っている。
かつては対等に商売の話をしていた彼が、頭を下げているのがその証拠。
そのことに気が付いた時、私の中の商才が、顔を出した。
「けどこうなってしまってはもう2号店を畳むことも考えなければいけませんねぇ……」
「! そ、それは少しお待ち下さい! 必ず赤字を脱してみせますので!」
必死になって訴えかけてくる。
それもそのはず。彼にはもう後がないのだ。
一度行商人として破産するほどの失敗をして、今度は任された店も駄目だったとなると彼の商人としての道は完全に閉ざされる。再就職も思うようにはいかないだろう。
彼にとって私の2号店は最後の頼みの綱。行き場のない彼がこの綱を手放すことなんて出来ないのだ。
「とは言うけどね。月にこれぐらいの利益は出さないとリスクに見合わないんですよ」
紙にサッと金額を書いて彼に見せる。
「こ、これは……」
金額を見て彼は目を見開き、動揺を隠せない様子を見せる。
私が提示した金額はこれまでの実績から1.5倍。そう簡単に出せるような数字ではない。黒字化だけであればもっと低い金額で問題ないのだが、店の経営はかかる費用も失敗した時のリスクも大きいだけに、それなりのリターンが見込めなければ畳んでしまった方が大怪我をしなくて済む。
「この数字、出せますか?」
彼の答えは知っている。彼の置かれた状況で選択の余地はないからだ。
それでも私は尋ねる。
あくまで決めるのは彼。自分自身で決めたという事実と責任を持って貰う為に。
「…………だ、出せます。出すための案もあります」
ごくりと唾を飲み込んだあと、彼はそう言った。
「ではその案を聞きましょうか」
「は、はい。いくつかありまして――」
彼の提案した案はこうだ。
売上を伸ばすために必要なのは他店との差別化と販売機会の増加。
そのための施策として他店を調査した上での価格設定や、営業時間の拡大、定休日のうち何日かを営業日に変更するといった手段を講じるというものだ。
「うーん……案はいいと思うんですけどねぇ……」
「何か駄目なところがあるでしょうか……?」
手段としては駄目なところはない。今打てる手はこれぐらいしかないだろう。
私が懸念しているのはただ一点。人件費だ。
基本的に店は彼一人で回してもらっている。営業時間が伸びるということはそのまま彼の業務時間も伸びることになり、他店調査も休日を使わなければならないだろう。
となると時間外労働に対する賃金・手当てを支払わなければならなくなる。
……折角使い勝手の良い従業員が居るのに、それは勿体ない。
「結局人件費が嵩む訳ですし…………ねぇ?」
渋るような表情を作り、彼に視線を送る。
彼はハッと気付いたように。
「で、でしたら延長分の残業代は要りませんので!」
「いやいやそれは駄目だよ。時間外労働分の給与は払わないと私が労働管理局から怒られてしまうからね。……でもそうなるとやはり2号店は畳むしか……」
「いえっ! これは私が勝手にやることで業務命令にはあたりませんので!」
あぁ……やっぱり思った通りだ。
後がない人間ほど――必死になって働いてくれる。
◇
――更に1年が過ぎた。
「凄いですね。1年連続目標達成ですよ」
1年前に立てた販売目標。
彼はその時から毎月目標の利益額を叩き出してくれた。
「…………ありがとうございます」
礼を口にする彼の表情は暗く、去年よりも大分痩せている。
1年もの間、1人で目標達成の為に相当の激務をこなしていたのだから当然か。むしろよく1年も保ったと称賛したいぐらいだ。
「……ウェステイルさん。お話があります」
なので彼が深刻な表情で、何かを切り出そうとするのも想定済み。
彼は本当に良く働いてくれた。この1年の利益で開店に掛かった初期費用などを回収出来るぐらいの稼ぎをしてくれた。この実績は彼の中で確かな自信となってしまったことだろう。
十中八九、彼はこのまま退職を切り出すつもりだ。2号店の実績があれば他でもやっていけると思っているに違いない。
しかし、そうはさせない。
彼にはまだ利用価値がある。
「すまないけど、先に私の話を聞いて貰えるかな?」
本題を切り出される前にこちらが先手を取る。
退職希望者を繋ぎ止める為には何らかの餌が必要。
そこで私は、最大限の餌を提示することにした。
「これから君には2号店の経営全てを任せたいと思ってます。今のような雇われではなく、ね」
これまでは店舗を任せておきながら、稼いだ利益は全て私の物になっていた。不満の大本はいくら稼いでも給与が固定だったところにあると見て間違いない。
そこで雇用関係という形式を解消し、2号店を完全に任せることで彼が自分で稼いだ利益分が懐に入ることになる。
「私に……店を……? 本当に……?」
「ええ」
信じられないとばかりの彼に、にっこり笑いかけながら頷く。
予想通り効果覿面のようだ。
「でもよろしいのですか? ウェステイルさんのお店なのに……」
2号店は私が1年掛け、資金の借入や各種交渉などを経て開いた正真正銘私の店。当然タダで店も彼も手放すつもりは更々無い。任せた上でこちらにも利がある仕組みを考えてある。
「ええ。ただ対外的には私の店ですし、土地や建物などはこちらが用意したものになりますので、そうですね……毎月の利益から30%ほど、こちらに頂ければと」
「30%……それなら、はい。大丈夫です」
今の低い固定給と2号店の業績から考えると、利益から30%引かれても彼の懐に入る金額は今よりも断然多くなる。従業員を1人雇えるぐらいの余裕もあるだろう。彼もそれをすぐに理解したのか即答してくれた。
「本当にありがとうございます。ウェステイルさん。私にここまでしていただいて……」
使い勝手の良い人材を手放すことなく、労せず毎月の利益を得られる。
雇用関係でもなくなるので、給与も支払わなくても良い。
完全に、こちら側にとって損のない状態。
「いや、礼を言いたいのは私の方だよ」
本当に、心からそう思う。
貴方が頑張ってくれたお陰で、私は儲ける為の仕組みに気付けたのだから――。




