28話 研修合宿その4 仕事に懸ける想い
とあるルートから入手した地図と俺の入念な下見を元に作成した進軍ルート。
あまりにも完璧な下準備をしてしまったせいか重大なトラブルもなく、予定の変更もなく、俺達はとても順調に森の中を進んでいた。
「拍子抜けだな」
同じ部隊の研修生が呟く。
俺自身何か想定外のことが起きると予想していただけに彼の呟きには同意する。野生動物の数匹ぐらいとは遭遇すると思っていたのだが、どうやらルート内を住処にしている獣はいなかったようだ。
「まぁいいじゃないか。お楽しみまであと少しなんだからさ」
「お、おうそうだな……た、楽しみすぎてなんだか緊張してきたぜ」
研修生たちの言う通り、目的地までそう遠くはない位置まで来ている。
後続の為に草木をかき分け、足元を踏み固めながら進んでいる分歩みは遅いがそれでもあと10分もすれば目的地である覗きスポットに辿り着くだろう。
いや…………俺の立場からだと辿り着いてしまう、という表現の方が的確か。
そう、辿り着いてしまうのだ。
だからここが限界のライン。俺は足を止め、後ろへと振り返る。
「どうしたんですか? いきなり立ち止まったりして」
「もしかして何かあったんスか?」
先頭を歩く俺が突然立ち止まったことで同じ部隊の全員が足を止める。
「別にトラブルではないが……ここから先に進むのは禁止だ」
「……え?」
「進むなって……理想郷はすぐそこなんですよ?」
「ああわかっている。だから尚更この先には進ませない」
なぜなら。
「女風呂への覗きを防ぐ――それが俺が果たすべき依頼だからな」
これこそが俺の目的であり、研修生達との絆よりも親交よりも優先するべきことだ。
「なっ……何を言って……」
「……それはつまりオレ達を裏切ったってことスか?」
「いいや裏切りではない。そもそもこの依頼を受けたのは研修が始まる前だからな」
シエラさん曰く、なんでも毎回……とは言わずとも高頻度で男共による女風呂への覗き計画は高頻度で起こっていることらしい。いつもであれば見張りをしている数人のBランク女性冒険者に蹴散らされて失敗……となるところだが今回は講師として俺がいる。
リースとの一件で俺の仕事に対する情熱と実力を知ってしまったシエラさんは「覗きの協力を仕事として頼まれたら協力してしまうのではないか」と懸念しその結果「覗きを阻止して欲しい」との依頼を出し先手を打ったのだ。
「だったらなんで俺達に協力したんだよっ!?」
怒号のような問いかけ。
確かに彼の言う通り最初から覗きを阻止する目的を持っていながら、覗きに協力をした俺の行動は不可解なものだろう。
「もしかして俺達を一網打尽にする為の罠……? いやでもそれなら計画をリースさんに伝えるだけで良い筈だ……ここまで回りくどいことをする必要は……」
彼の言う通り罠でもない。
覗きスポットである目的地も、森の中を突き進むこのルートも、念の為の第二第三のルートも、部隊を分散させたのも全て、少しでも覗きの成功率を上げるために俺が本気で取り組んだ成果。そこに罠の要素など在る筈もない。
罠でもない。裏切りでもない。俺が協力した理由は。
「これも研修の一環だ。共にこの困難を乗り越えてみせろ」
二泊三日の研修合宿。二日目の行程を終え、残すところは三日目のみ。
しかし三日目は主に研修施設の清掃などに充てられるため、研修らしい研修は出来ない。
なのでこれが、この場面こそが俺からの最後の研修となる。この研修をもって俺は教えられる全てのことをこいつらに叩き込むつもりでいる。
「そんな……イトーさんは……イトーさんは女の裸を見たくないんですかっ!?」
「見たいに決まっているだろう!!」
俺だって男だ。
いくら仕事や会社もといギルドに身を捧げているからといって生物的な本能はある。
「だったらなんで――」
「先輩、そこまでにしておくッス」
カマセイ君が、今もなお食らいつこうとする研修生の肩にそっと手を置いた。
「男同士の約束よりも、自分の欲望よりも仕事を取る――だからアニキは強いんスよ」
さすがはカマセイ君。他の誰よりも仕事の大切さを知っている。
彼の言葉で全てを悟ったのか、他の研修生の目つきが変わった。完全に俺を「敵」として認識しているような、そんな目だ。
「けど……俺達で勝てるのか? あのイトーさんに」
向こうは4人とはいえ、カマセイ君が最高戦力。リースとの模擬戦を見ていた者や噂を聞いていた者が弱気になってしまうのは仕方のないことだろう。
「アニキは強いッス。けどこういう手でいけば――ッス」
「ふむ……なるほど、そんな手が」
「そうだな……今はその手に賭けるしかないな」
カマセイ君を中心に何か策を練ったらしい。あちらの四人も揃って戦闘態勢を取る。
お互い準備は整った。ではそろそろ始めると――。
「アースバインド!」
って合図もなしにいきなりか!?
だがカマセイ君の拘束魔術はルミエナほど強力ではない。少し気合いを入れただけで解ける。
「はあっ!」
よし、これで動けるようになった。
先手は取られたが今度はこっちから――。
「ってあぶなっ!?」
すぐ目の前に火の球みたいなのが迫っていたのを間一髪で避ける。
すると今度は別角度から氷の塊みたいなのが飛んできたのでまた避ける。
「その調子ッス! 今のアニキは魔術が使えないッスから遠距離でチクチク攻めるッス!」
今の俺はルミエナ特製の魔術陣が描かれた手甲を付けていない。観察力があるかどうか、そして見抜いた上でどんな作戦を取るかを見るために敢えて外していたのだが、見事に合格点を出してくれた。
「状況をよく見た上での良い作戦だ。だが――」
俺は敢えて飛んできた攻撃魔術を避けずに全て受け止める。見た目の派手さほどの痛みは全くない、チクリとする程度の痛さだ。
「この通り、そんな魔術じゃ俺は倒せないぞ?」
魔術の発動には体力を消耗する。既にカマセイ君以外の術者である二人が肩で息をしているのを見る限り俺に与えるダメージよりも消費体力の方が大きいのだろう。塵も積もれば山となるというが、塵を積もらせる前に力尽きてしまっては意味がない。
「そッスね。けど……そもそもこの戦力でアニキを倒そうなんて大それたこと、思ってないッスよ」
カマセイ君がニヤリと笑った。
一体何を企んで……いや、待て。
カマセイ君以外の術者は二人? ……あと一人はどこへ――そうかっ!
「伝令役かっ!」
視線をカマセイ君達よりも奥へと移すと、戦闘に参加していない一人が森の入口のある方向へと駆けていく姿が見えた。おそらくは後続の部隊に増援を求めに行くのだろう。
「イトーのアニキは攻撃力も防御力も上級ランク冒険者並ッスけど、速さや技術は微妙ッスからね。そこを突かせて貰ったッス」
「なるほど……よく見ていたな」
「試験の日、アニキに負けた時からずっとどうやったらアニキに勝てるかって考えてたッスからね」
魔術で足止めをしての増援。
確かに俺に対してとても有効な手であることは間違いなかった。
俺のことをよく見ていた。作戦にも間違いはなかった。
そう、どちらも過去形。以前の俺ならこの状況に持ってきた時点で詰んでいたと思う。
「覚えておくと良い。情報は鮮度が命だ」
そう言って俺はイメージする。この距離から伝令役に追いつくイメージを。
そして一歩踏み出した瞬間。
「……………………は?」
伝令役として走り続けていた研修生の目の前に到着した。
目が点になるというのはこういうことだろう。予想だにしなかったであろう俺の登場に、伝令役の男は口をぽかんと開けている。
「悪いな。研修では文句なしの合格点だが、こっちは依頼のこともあるんでな」
リースとの研修のお陰でそれなりの戦闘技術は身に付けたと自負は出来るが、まだ多人数との戦闘をこなせるほどの技量はないので増援を呼ばれると面倒なことになる。
俺は一言謝ったあと、伝令役に攻撃を繰り出しカマセイ君達の方向へとふっ飛ばした。
「さて……どうする? これで頼みの綱の増援は期待出来なくなったぞ」
仕事的にはこのまま降伏してくれると手間が省ける。けれども講師的にはもう少し立ち向かう気力を見せて欲しい。すぐに制圧することも可能だが、相反する思いが胸中を渦巻いているのでカマセイ君達がどう動くのかを見ることにした。
「やっぱアニキはパないすね…………けど、増援は来てくれるッスよ」
「何を言っているんだ? 伝令役はこの手で止めた。いくらルートが同じとはいえ次が来るまでは時間がある」
大人数での行動を避ける為の時間差を作っての出発。間隔はおよそ10分以上空けているので、増援が来る前に残りの三人を片付けるぐらい余裕で出来る。
「いやすぐに来るッスよ。だってほら、音がしてるじゃないスか」
耳を済ませてみる。
確かに遠くから話し声のようなものと、複数の足音が聞こえてきた。
「な、なぜだっ! 出発時間から考えればまだここまで来れる時間じゃない筈だ!」
出発時間を勝手に早めた? それとも俺の知らない合図が使われていた? ……わからない。一体どうしてこんなに早く追いついてきたのか、考えてみてもわからない。
「単にイトーさんが森を歩き慣れてなくて俺達の進みが遅かったってだけですよ」
「ッスね。それに後からくる人達はオレ達がある程度通りやすくした道を通ってくるッスからね。当然その分速さにも差がでるッス」
な、なんてことだ。言われてみれば当然のことを想定していなかった。
くそっ。俺が前世で始発と終電の時刻と予期せぬトラブルで動かなくなることを想定しておくことさえ抑えておけば、乗車率200%超えでもほぼほぼ定刻通りに着く電車通勤ではなく、渋滞も加味しなければならない車通勤であれば、移動時間の差も想定しておけたのに……!
しかし悔いても仕方がない。増援が避けられない以上、俺も本気で臨まなければならない。
俺は小さく深呼吸をし、再び構え直し。
「いいだろう……お前達全員でこの困難を乗り越えてみせろ――」
仕事を全うするため、講師として研修生を鍛えるため、地を蹴った。
□
「やっぱ…………アニキは…………パない……スね……」
カマセイ君がそう言い残し、前のめりにドサリと倒れた。
「はぁっ……はぁっ……」
上がった息を整えながら辺りを注意深く見渡す。研修生がそこら中に倒れている。
全部で19人。誰一人として俺を超えられずに地に伏した。
結果としてはそうなったものの……彼らの熱意と力は凄まじいものがあった。
倒しても倒しても吹き飛ばしても吹き飛ばしても立ち上がり向かってくる研修生達。手加減をした攻撃ではキリがなかったので少しばかり本気を出さざるを得なかった。
という事情でその辺りに気絶している人達が転がっている訳だが、このまま野ざらしにしておくという訳にもいかないだろう。シエラさんに報告ついでに人を寄越して貰うとしよう。
この位置からだと覗きスポットから入浴施設経由で宿舎へと戻る道が最短距離になる。色々と手間取ったのでとっくにシエラさん達女性陣の入浴も終わっている筈だ。
今度は後続の為の道を作ってやる必要もない。入浴施設にはすぐに辿り着いた。
天然の露天風呂。少しばかり森からの草木が紛れ込んでいるのはご愛嬌だが、昨日入った限りでは疲れが吹っ飛ぶぐらいにいい湯加減をしていた。
「…………やっぱり誰もいないか」
入浴施設は男女交代制となっており、先に女性で後から男性という割り振りだ。男の入浴時間が近付いているであろうこの時間帯に露天風呂に浸かっている者はいなかった。
普段であれば少し残念な気持ちも抱いただろうが今の俺は報告に向かう途中。つまりは仕事中だ。心置きなく最短距離を行けることを喜ぼう。
この施設を出るには脱衣所を経由していかなければならない。俺は脱衣所の扉を開き。
「ほへ?」
「え?」
言葉を失った。
それはどうやら、相手のシエラさんとリースも同じようで。
「「「…………」」」
三者とも無言で、視線が交錯する。
とにもかくにも、目の前に居るのは間違いなく、シエラさんとリース、その二人だった。
ちなみに付け加えるのなら、二人の髪は濡れていて、湯上りに火照った肌には水滴がたくさん浮かんでいて、何より着衣の類は身に着けておらず、唯一の守りはタオル一枚という出で立ちだ。
つまりはそう――二人は湯上がりで着替え中だった。
――昔、広告の制作会社が杜撰な仕事をして、クオリティの低い広告を納品されたことがあった。まぁ予算がなかっただとか、発注から納期までが短すぎただとか理由はあったがそれでも酷いモノだった。案の定広告主様は大激怒。担当であった竹中さんが謝罪に向かうことになった。
最終的には広告を作り直すこともなく広告主様が「いい出来だ。満足した」と手のひらをくるりと返すことになったのだが、その時に竹中さんが使った手は至って単純。
ただ褒める。
この広告のどの辺りが凄いだとか、これから来る流行りをいち早く取り入れているだとか、とにかく褒める。褒めて褒めて褒めまくる。褒めるのを繰り返すことで「あれ? 実は結構これいいんじゃないか」と錯覚させ、広告主様の意見を見事に変えさせたのだ。
だから俺も竹中さんに倣い、褒めることでこの場を切り抜ける。
しかしただ褒めるだけでは適当に言っているだけだと思われてしまう。大事なのは「意味が同じでも同じ言葉は使わないこと」と「内容の具体性」と最後は「勢い」だ。
だからまずはこの湯上がりの状態にふさわしい、具体的な褒め言葉から始めよう。
「水も滴る良いおん――」
「リースさん。処理をお願い致しますわ」
「おっけー身体と記憶をぶっとばすねー」
言っている途中で物騒な台詞が聞こえ、リースがこちらへ猛スピードで向かってくるのが見えた。
これまで全く見えなかったリースのスピードを捉えられていることから考えて、訓練を経た俺なら躱すことも防ぐこともそう難しくはない。
けれども褒め殺し作戦の暇すら与えられないこの状況。応戦してしまえば更に面倒なことになるのは間違いない。
というわけで「とりあえずふっ飛ばされて気絶しておくこと」が今度の関係を含めて一番丸く収まる方法になるだろう。相手を立てる為にこちらが我慢や被害を被るのは前世でもよくやっていたことで、社会人には必須のスキルでもある。
だから俺は敢えて躱しもせず、防御態勢を取るわけでもなく。代わりに研修生達を回収して貰うためにルートが書き込んである地図をその辺に投げ捨てる為に残りの時間を使って。
「ぶぼぁっ!?」
脱衣所の扉と一緒に、露天風呂までふっ飛ばされることを選んだのだった。
あぁ……ほんと、仕事は報告まで気を抜いてはいけないな……。




