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0話 限界

「私は仕事が大好き私は仕事が大好き私は仕事が大好き――」


 呪詛のように呟きながら私はひたすらマウスを操作し、キーボードを叩く。

 今日も仕事の進み具合は悪くない。部長に頼まれていた社内会議用の資料も完成したし、先日配属されて1週間で退職した新人に割り当てられていた案件もどうにか処理の目処が立った。

 けれども明日顧客との打ち合わせに使う資料の作成が3件分も残っている。仕事が大好きだと自己暗示をかけるぐらいじゃないとやっていけない。

 パソコンに表示されている時刻はそろそろ午前0時になろうとしているところ。

 ……今日は最低でも3時間ぐらい寝られるといいな。

 よし、がんばろう。大好きな仕事をがんばろう。

 大好きな仕事がいっぱい出来るなんて私はとても幸せだ。


「なぁ伊藤、お前顔色悪いぞ。大丈夫か?」


 隣で同じく残業をしていた竹中さんが心配そうに声を掛けてきてくれた。

 竹中さんは私の5歳上の頼れる先輩で、私にこの会社で生き残る術を叩き込んでくれた師匠みたいな人だ。今の俺がいるのは竹中さんのお陰だと言っても過言ではないぐらい世話になっている。


「何言ってるんですか。顔色が悪いのはお互い様ですよ」


 激務続きで竹中さんも相当疲れが顔に出ている。おそらく竹中さんから見た私もそうなのだろう。

 ちなみに竹中さんは私がここに入社したときから頬は痩せこけていて全体的に顔色が悪いのに、何故か目だけは生き生きとギラついていて、初めて見た時はこの人何かヤバイ病気なんじゃないかと思ってしまったぐらいの外見だ。


「……それもそうか」


 本人も自覚しているのか、納得したように小さく頷きながらひたすらキーボードを叩いていた。


「じゃあ体調はなんともないんだな?」


「そうですね。概ねいつも通りって感じです」


 普段より頭痛が酷い気もするが、頭痛自体は毎度のことだ。

 薬も飲んでいるし我慢できない程ではない。わざわざ言う必要もないだろう。


「でもよ伊藤。その仕事量は正直キツイと思うぞ? 少しぐらい他の奴に回したらどうだ?」


「いやぁ……みんな手一杯みたいですし頼みづらくて……」


 業界内でも一二を争う忙しさらしい我が事業部はここ一ヶ月ほど、激務に慣れている筈の先輩方ですら悲鳴を挙げるほど過酷を極めている。

 こうなってしまっている原因は色々ある。

 まずハッキリしているのは人手不足。毎年それなりに新入社員は獲得しているようだが、入社時の研修で半数以上が辞め、研修を生き残った者達も一ヶ月保てば良い方という感じなので戦力の増強が全く無い。その辺は入社五年目の俺が社内で一番の若手だという辺りから察することが出来るだろう。

 そして人手不足に加えて残業しても残業しても追いつかないほどの、膨大な仕事量。

 大手広告代理店……の協力会社(オブラートに包んだ表現)である我が勤め先は仕事を選べない。上の会社、つまり仕事を選べる方々がウチに持ってくる仕事は面倒な案件だったり、扱いが難しいものだったり、期日に余裕がなさ過ぎたり、その癖予算も受注額も少なかったりと割に合わない内容が多い。

 割に合わないということは数をこなさなければ利益を上げられない。なので割に合わない面倒な仕事を消化し続ける必要が有り、どうしても仕事量は増えてしまう。

 そういった事情から、この会社の人手不足と仕事量のバランスは常に壊滅的なのである。

 そしてここ一ヶ月は特に酷い。会社が上の言うことをほいほいと安請け合いしすぎた上に、元々請け負っていた案件の期日や仕様の変更等があり、尋常じゃないほどに仕事が重なりすぎているのだ。

 平時であれば月の労働時間は400時間程度で済んでいるのだが、今はこのペースでいけば450時間を超えそうなほどに忙しい。

 今日はたまたま私と竹中さんの二人だけが会社に泊まり込んでいるが、普段は半数以上の社員が泊まり込まないと仕事が追いつかないほどの忙しさだ。


「つってもお前の場合はいつも誰かの仕事を押し付けられてるだけだろ」


「それはまぁ、そうなんですけど」


 唐突に辞めていく新人や派遣さんに割り当てられていた仕事が回ってきたり、コネ入社で雑務ぐらいしか任せられる仕事がない無能な部長からその雑務まで丸投げされたりとか、手が回らなくなった先輩方からどうしてもと頼まれて引き受けたりとか。

 ……あぁ自分の断れない性格が憎い。


「だったらたまにはお前から誰かに仕事を振ってもいいと思うぞ」


「そうですか? じゃあ竹中さんに――」


「やめろ。俺を殺す気か」


「ですよね」


 抱えている仕事量も、見た目も既に瀕死状態に見えるし。


「まぁ引き継ぎとかリスケする手間もありますし、今回はこのまま自分でやりますよ」


 『じゃあこれお願いしますね』とポンと渡せたら楽だろうに、色々と手順を踏まないといけないのが仕事の辛いところだ。

 それに今は私自身が直接顧客と関わっている案件ばかり。何度かの打ち合わせなどを経てある程度の慣れと信頼関係が築けたところなのに、突然担当が変わるのはお互い良い気持ちにはなれないだろう。

 全てはお客様の笑顔とご満足と会社の業績と評判の為に、ここはもうひと踏ん張りだ。


「そうか。ならせめて少し休憩取れ。本気でヤバくなりそうだったら手伝ってやるから」


「竹中さん……」


 自分も大変なのに結局手伝ってくれるなんて本当に格好良くて頼りになる先輩だ。


「じゃあお言葉に甘えて少し休憩貰います」


 『身体を壊さないように休みはしっかりと取ってくれよ。と言っても忙しいうちは休みなしで働いて貰うけどな。ワハハ』って1人だけ定時で帰っていったハゲ部長も言ってたしな。

 あと頭痛も酷くなってきたし、もう一度薬飲んでおかないと。

 えっと確か鞄に頭痛薬の残りが…………あった。

 けど水がないか。給湯室で入れてきてもいいけど……少し小腹も空いたしコンビニまで足を伸ばしてみるか。


「コンビニ行ってきますけど何かいります?」


「エナドリを頼む。いつものやつな」


 言いながら「釣りはやる」と野口先生をサッと私のデスクに置く竹中さん。

 このさり気なさと気前の良さも格好いい。頬は痩せこけてて目も死んでるけど。


「ご馳走になります。じゃあちょっと行ってき――」


 お金を受け取って椅子から立ち上がろうとした時だった。


「あれ――」


 足に力が入らなかった。がくんと崩れ落ちる膝。視界が回る。

 何かに捕まって踏ん張ろうと試みるが、足だけでなく手と腕にも力が入らない。


「お、おい伊藤? 伊藤!」


 踏み留まれずに倒れてしまったらしい私を竹中さんが慌てたような表情で覗き込んでいる。

 すぐ側で呼びかけられているのに、どこか遠くに聞こえる。


「う……あ……」


 声を出したいのにまともな声が出ない。それと今まで経験したことのない眠気も感じる。

 あと一徹ぐらいは平気だと思ってたんだけど限界が来てたのかな……。


「しっかりしろ伊藤――」


 すみません竹中さん。

 ちょっとだけ眠らせて貰います。起きたら仕事の続きしますんで。

 


 そう思いながら私は、襲ってくる眠気に身を委ねた――。

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