3-4 : “淵王リザリア”
次の瞬間に四大主が踏み込んだのは、大回廊とは似ても似つかぬ場所であった。
そこは幅と高さが大回廊よりもひとまわり小さい作りになっていた。建築様式も、絢爛豪華な大回廊に比べると、至ってシンプルな作りになっている。過度な彫刻も煌びやかな飾り付けもない、質素な様式が取り入れられた空間だった。
大回廊とは違って、この場所にはきちんと“果て”があった。四大主が立っている場所から10メートルほど先、月光が遮られ影が落ちている場所に壁がある。
しかし、ここには大回廊とは違って、“入り口がどこにもなかった”。左右と天井には窓があり、前方と後方には壁がある。それだけである。扉はどこにもない。
先ほどまで四方を囲んでいたはずの4人の侍女は、気づかないうちに、全く気配のないままに、四大主の遥か後方に整列して立っていた。
「……よい、下がれ」
四大主の前方の壁に落ちる影の中から、声が聞こえた。
その声を聞き、4人の侍女は無言のまま恭しく頭を下げ、四大主が瞬きをした瞬間(あるいは視線を逸らした瞬間)、跡形もなく消えた。
4人の侍女が消えると、四大主たちは横1列に並び、ゆっくりと身を屈め、地に片膝を付き、頭を垂れた。
「皆、面を上げよ」
影の中の声が命じるままに、四大主たちが顔を上げる。それと同時に、窓から差し込む月光の角度が変わり、四大主たちの視線の向かっている影を照らし出した。
月の弱い光に照らされ、影の中に玉座が浮かび上がる。
そして玉座に座す、“少女の姿をした何か”の姿が露わになった。
「おお……! リザリア陛下……拝謁光栄至極に存じまする……!」
リンゲルトが思わず、歓喜と畏怖に満ちた声を漏らした。
「……」
感激で打ち震えているリンゲルトを、しかし淵王リザリアは冷たい目で見下ろしていた。
「……“渇きの教皇”よ、口を慎みなさい……陛下の御前で何たること……」
ローマリアが、大回廊でのやりとりとは打って変わって、固く鋭い口調でリンゲルトを咎めた。それを聞き、リンゲルトが再び頭を垂れた。玉座を前に思わず口を開いてしまったことを悔いている様子である。
「……気にせずともよい。口を開けてよいとは言っておらぬが、口にしてはならぬとも言っておらぬ。余の言葉は絶対であるが、余の命じておらぬことは余の言葉ではない」
淵王リザリアが感情のない冷たい声で言う。
淵王リザリアは玉座に深く腰を落ち着け、左右それぞれの肘掛けに両腕を添えている。4人の侍女と同じく、淵王リザリアも白と黒を基調とした風格あるドレスを着ていて、頭上には王たる証しの冠を頂いていた。大理石のように冷たく白い肌と、その肌よりも一層白い長い髪をしていて、瞳は作り物のような金属光沢をした金色だった。
宵の国に住む魔族でさえ、精巧に作られた人形であると言われれば納得してしまうような、生命を感じさせない容姿と出で立ち。しかし淵王リザリアは紛れもなく生きている魔族であり、その魔族を統べる絶対君主なのである。
淵王リザリアが右手で頬杖を付き、思慮しているような、あるいは気怠げにしているような様子を見せた。
「四大主よ……四方の要の守護の近況を報告いたせ。明けの国でさざ波が立っているのを感じる……。戦の種が燻っておるな……」
淵王リザリアが、左手でリンゲルトを指さした。
「リンゲルト、貴様から」
頭を垂れていたリンゲルトが顔を上げ、自身が統治するダンジョン、“ネクロサスの墓所”の近況を告げ始めた。
「はっ。我が“墓所”におきましては、この半年で3度、明けの国より小さな侵攻がありましてございます。そのいずれにおいても、明けの国の兵力は我が兵たちの前に歯も立たず、蜘蛛の子を散らすように敗走しておりまする」
「ふむ……カースの方はどうなっておるか?」
指名を受けたカースと呼ばれた男が、ダンジョン“暴蝕の森”の近況を告げる。
「我らが“森”には、武器を持たぬ人間が事ある毎にやってきております。森の一部を切り取り持ち帰っている様子……害にならぬ人間は放っておりますが、森に踏み入った者については爪の一枚も残さず始末しております」
「ローマリア、貴様はどうか?」
ローマリアがダンジョン“星海の物見台”の報告を始める。
「わたくしの“塔”には、人間の魔法使いたちの放った使い魔が度々。遠見の魔法で塔の内部をのぞき込もうとした輩もおりました。いずれの者もわたくしの魔力を逆流させて追い払っております。無事で済んではおりませんでしょう」
「……最後にゴーダ、報告いたせ」
淵王リザリアに指差されたゴーダが、“イヅの城塞”の先日の戦闘について報告する。
「我が騎兵隊の“城塞”では、頻繁に小規模な戦闘が起きています。つい3日ほど前にも、手練れの騎士と相見えました。こちらで得た情報によると、どうやら明けの国の上位騎士が出張ってきた模様です。上位騎士が戦死したことで侵攻の手が止まるか、報復の大義名分の下に本格的な戦線が開かれるか、部下の者たちによる監視を強化している最中です」
「そうか……。皆、御苦労である」
淵王リザリアの労いの言葉を前に、四大主たちは再び頭を深く垂れた。
「四方のいずれにも、明けの国の兵役に就く者か、それに近しい者が寄りついておるということか。この状況、どう見るか?」
淵王リザリアの問いかけに、リンゲルトが口を開く。
「軟弱で愚かな人間の成すことでございます。我が墓所に眠る財宝欲しさに愚行に及んでおるのでございましょう。陛下、お許しくだされば、この老骨、逆に打って出て明けの国の領土を奪って参りましょうぞ。そのための十分な兵力が墓所には備わっておりまする」
「ならん」
リンゲルトの進言を、淵王リザリアは思慮する間もなく却下した。
「陛下、何を臆することがございましょうか。このリンゲルトめにお任せを――」
「2度は言わぬ」
淵王リザリアが、冷徹な視線と有無を言わせぬ言葉をリンゲルトに向けた。
「ぐっ……お、仰せのままに……」
それに気圧されたリンゲルトは、それきり口を閉じた。
「護りの手薄な箇所を探っているのでしょう」
リンゲルトが黙りこくったところで、ゴーダが口を開いた。
「暴蝕の森には学者か冒険者と思しき者が。星海の物見台には使い魔と遠見の魔法。どちらも騎士の力押しでは突破できぬ要所です。対してネクロサスの墓所と、我がイヅの城塞は力で真っ向勝負を挑む類の要所。明けの国はそれらの特徴を理解し、それぞれの弱点を見つけ出そうとしているものと思われます」
「貴様ならそうするというのか? ゴーダよ」
淵王リザリアがゴーダを見据え、冷たい声で問う。
「人間の形の魂を持つお前なら、そうすると?」
「私が人間、とりわけ戦場を机上の遊戯と捉える人間だったとすれば、そうするでしょう」
「そのために配下の者を捨て駒にしてまでか?」
「そうするでしょう。相手の大将駒を落とすためなら、数百の手駒を捨ててでも弱点を洗い出し、その後数千の手駒を捨ててでも攻め切ろうとするでしょう」
「そういうものか」
「そういうものです」
それを横で聞いていたローマリアがクスクスと笑い出した。
「あらあら、それでは近い内、もしかすると、この中の誰かが斃れることになるかもしれませんわね? 人間の手に掛かって」
その場に一瞬の沈黙が降りた。
「私に限って、それはあり得ん」
ゴーダがきっぱりと否定した。
「わたくしも、そのつもりはなくてよ?」
ローマリアが嘲笑を漏らした。
「我らが斃れるとは……不快な冗談ですな」
カースと呼ばれた男が呆れた風に首を振った。
「ふん、この程度の探りの入れようでは無駄骨よ。切り札の存在を知らぬまま、手札を見透かした気になって、痛い目に遭うだけと分からぬか、明けの国の連中は」
リンゲルトが不機嫌そうに歯をかちかちと打ち鳴らした。
「威勢のよいものよ」
玉座の上で頬杖をついて、黙って四大主のやりとりを見ていた淵王リザリアが口を開いた。
「それでこそ余自ら、魔族最高位の称号“四大主”を授けた者たちよ。その力、このリザリアに示し、奉ずるがよい」
四大主たちが三度、淵王リザリアの言葉に深く頭を垂れ、忠誠を示した。
***
「それでは陛下、我らはこれにて失礼いたしまする。次の謁見が叶う日を心待ちにしております」
玉座を前に、最古参のリンゲルトが四大主を代表して、帰路に就くことを告げた。
四大主たちが、再び姿を現した4人の侍女の下へと歩いていく。淵王リザリアの座す“玉座の間”への道は、4人の侍女の力がなくては行き来することができないのだ。
「うむ、まあ待て、皆よ」
去ろうとする四大主たちの背中に、淵王リザリアが声をかけた。
四大主たちが玉座を振り返る。
「どうなさいましたか? 陛下」
「今暫く、ゆっくりしてゆくがよい」
淵王リザリアが、無表情のまま言った。
「お言葉ですが陛下、我らは要の守護に戻らねば――」
「宴の席も用意させておる。ゆっくりしてゆくがよい」
淵王リザリアが、無表情のまま言葉を重ねた。
その言葉を聞いた瞬間、四大主たちに衝撃が走った。
「(!! リザリア陛下が! あの、大事なことでも2回は言わない、リザリア陛下が!)」
「(に、2度仰いましたわ!)」
「(『ゆっくりしてゆけ』と、確かに2度仰った)」
「(な、なんということじゃ! 宴の席まで御用意くださるとは! へ、陛下……!)」
ゴーダが兜の上から目頭を押さえた。
「(うっ……陛下……ずっと1人だったから寂しかったのか……ぶわっ)」
ローマリアが絹の白いハンカチで目元を拭いた。
「(嗚呼、陛下……寂しい思いをされておいででしたのね……)」
カースと呼ばれた男が、直視できずに顔を背けた。
「(陛下、寂しさを微塵も感じさせぬその王たる振る舞い。敬服いたしました……!)」
リンゲルトが白骨化した手の平で、空っぽの眼窩を覆った。
「(おお、陛下……寂しい思いをされていたことを汲み取れなんだ、この愚かな老骨めをお許しくだされ……!)」
そして四大主たちは玉座の下に駆け寄り、これまでで最も美しい姿勢で頭を垂れた。
「「「「お言葉に甘えて、ゆっくりさせていただきます、リザリア陛下」」」」
一糸乱れぬタイミングで、四大主たちが声を揃えて言った。
後にこのことを振り返った4人の侍女は「個性の強い四大主様方が、あのように示し合わせたように息を合わせて行動されたのは、後にも先にもあのときだけでした」と語ったという。
「そうか。うむ、そうするがよいぞ」
淵王リザリア(少女の姿をした何か)の能面のような口元が、少しだけ微笑んだように見えたのは、気のせいではないだろう。
そしてゴーダは、心の中で一言だけ呟いた。
「(許せ、ベルクト。帰りは遅くなりそうだ)」