16-5 : 生き残る条件
――同野営陣地。翌日。夜明け前。
夜間の間、“踏査部隊”の騎士たちは幾つかの篝火を囲んで、闇の中を見張り続けて過ごした。見張りの番が回ってきた者は、目を血走らせて篝火越しに“森”の深い闇夜の向こうを、瞬きも少なく凝視した。休息に入った者は、何かに見られているという感覚に全身を緊張させながら、一瞬の浅い眠りと、長い覚醒を繰り返した。
「……ニールヴェルト……」
篝火の前に座り込んだアランゲイルが、恨めしそうな声音で明けの国騎士団総隊長の名を呼んだ。
「何ですかぁ、騎士団長様ぁ?」
ニールヴェルトは篝火に乾いた枝木をくべながら、つまらなそうに言葉を返す。
「王都から出陣する前に、貴様は言ったな……『宵の国への進軍を考えるなら、南方の“暴蝕の森”を突破するのが最も確実だ』と……」
「あぁ、そぉんなことも、言ったかもしれませんねぇ……」
「適当なことを言うな……! これだけの危険と不確実さを以て、よくも自身ありげに言ってくれたな……! あぁ……こんなことなら私は、森の外で“誘導作戦部隊”の指揮を執っていたものを……」
アランゲイルが、眠れぬ恐怖と激しい後悔で頭を抱えた。
「『こんなことなら、東か、西か、それとも北か、別の方面から進軍していた』とでも言いたいんですかねぇ? 騎士団長ぉ? 『南から進軍するとしても、こんなことなら絶対に“森”の中になんて入らなかった』とぉ?」
篝火に枝木を放り込みながら、ニールヴェルトが独り言のように言った。そして総隊長は、冷静な顔つきのまま言葉を続ける。
「そりゃあそうかもしれませんねぇ……でもねぇ、団長ぉ……殿下ぁ……あんたはきっとぉ、東から攻めようが、西から攻めようが、北から攻めようがぁ、今と全く同じことを言ってたでしょうねぇ。そしてあんたはぁ、その全ての『もしも』の選択の結末を見れたとしたらぁ、きっとこう言うはずですよぉ……『南方が1番マシだった。“森”の中に踏み込んだのが最善の選択だった』ってなぁ……」
そこまで言って、冷静だったニールヴェルトの顔つきが崩れ、狂騎士はくっくと含み笑いを始めた。
「くく……別に俺はぁ、東の“魔剣”と手合わせできれば討ち死にしても納得できるしぃ……西の“魔女”に挑めれば呪い殺されたとしても満足だしぃ……北の“教皇”の軍勢と本気でやりあえれば嬲り殺されても本望なんだよぉ。最高の、全力の、全身全霊の死闘ができれば、それ以上に最高なものなんてないからなぁ……。でも、あんたは違うんだろぉ、殿下ぁ? あんたは、“宵の国”そのものが欲しいんだろぉ? “淵王”の首を取ってぇ、英雄になりたいんだろぉ? 魔族を駆逐した王としてぇ、明けの国の歴史に名を残したいんだろぉ? “姫騎士”さんに兄の実力を思い知らせてぇ、“父親”に見直されたいんだろぉ?」
篝火を挟んで向かい合って座るアランゲイルに向かって、ニールヴェルトが目元をニンマリと嗤いに歪めながら呟いた。その瞳には篝火の炎の明かりが映り込み、不気味にぎらつき、揺らめいている。
まさに心情を言い当てられたアランゲイルは、ニールヴェルトの目を睨み返すばかりで、何も言わなかった。実妹たるシェルミアの後ろ姿を遠くから見ることしかできなかった日々と、父たる王から向けられる失望の感情が籠もった目を思い出して、王子は胃の辺りがねじくれる感覚を覚えた。
「ははっ……良い目だなぁ、殿下ぁ……そんな歪みきった目ができるのはぁ、王城にいる連中の中でも、あんただけだぁ……。殿下ぁ、俺はなぁ、あんたのその目が気に入ってるんだぜぇ……だからあんたを“淵王”のところまで連れて行ってやるよぉ……。あんたのためにぃ、“魔剣”も“魔女”も“教皇”もぉ、俺は我慢することにしたんだぁ……ぜぇんぶ我慢する代わりにぃ、俺はあんたの騎士としてぇ、“淵王”に挑めるぅ……四大主を統べる、魔族の王になぁ……だから、これからもよろしく頼みますよぉ、アランゲイル騎士団長ぉ……」
ニールヴェルトの言葉を聞きながら、アランゲイルは自分の顔に妙な強ばりを感じた。アランゲイルが違和感を感じる口元に手を伸ばすと、王子は自分の口元がグニャリと嗤っていることに気づいた。
――ああ、私も、気づかぬ内に、この狂人の気に当てられていたのか……。
「……いいだろう」
口元を嗤いで歪めたまま、アランゲイルが口を開く。
「いいだろう、ニールヴェルト。せいぜい私を利用するがいい……。私が貴様を利用するのと同じようにな……」
その言葉を聞くニールヴェルトの口元と目は、三日月型に歪みきり、心底愉快げだった。
「くくく……ひはは……あんた、ほぉんと、面白いなぁ……ひはは……」
……。
次の瞬間、突然、ニールヴェルトが座り込んだ姿勢のまま片足を蹴り出した。勢いよく突き出された脚は篝火を跨いでアランゲイルの胸元を蹴り押して、王子の身体を突き飛ばした。
「うぐっ?!」
後方に蹴り飛ばされたアランゲイルは、突然のことに目を見開いた。鎧越しにとはいえ、脱力していたところをいきなり蹴られたために肺から空気が抜け、呼吸ができない時間が数秒間続く。
「……かはっ……ニールヴェルト……何のつもりだ、貴様――」
「――黙ってなぁ、殿下ぁ」
真顔になったニールヴェルトが、「しぃ」と口元に指を当てて沈黙を要求する。
「死にたくなかったらぁ、死人みたいに口を閉じてろぉ……。“本命”様が、わざわざ向こうから会いに来てくれたぜぇ」
ついさっきまでアランゲイルが腰を下ろしていた場所には、先端にどろりとした粘液質の液体が塗られた矢が突き立っていた。
「……毒矢、だなぁ。ははっ、夜明けの素敵な目覚ましだぜぇ。なら、こっちもお返ししないと、なぁ!」
大弓を引いたニールヴェルトが、無数に延びる“支天の大樹”の枝の一角に向けて太矢を射放った。
樹上から息の漏れる音がわずかに聞こえ、太矢に首を貫かれた“道具を持った獣”が1体、野営陣地の篝火の1つに落下した。その音に振り返った見張りの騎士たちと、飛び起きた騎士たちがざわつき始める。
300人弱の銀の騎士たちが、ニールヴェルトの下に集まる。100人の紅の騎士たちも、その一角に整列した。
緊張した面もちで、互いに背中を向かい合わせて全周を警戒する騎士たちの頭上、“支天の大樹”の枝の間から、ガサガサという複数の音が聞こえてくる。
「総隊長……」
隊長級の騎士が、ニールヴェルトに視線を向ける。
「まぁ落ち着けよぉ。普段の訓練とぉ、てめぇの“勘”に正直になれぇ。気合い入れろぉ……いよいよ待ちに待った“狩り”の時間の始まりだぁ……」
頭上では、依然としてガサガサという複数の音が聞こえていた。ニールヴェルトがゆっくりとした動作で大弓の2射目を構えるのに合わせて、弓を持った銀の騎士と紅の騎士たちも、樹上の枝陰に向けて矢を構える。
弓を持たない銀の騎士たちは盾と剣を構え、残る紅の騎士たちは、アランゲイルを守るように円陣を組んだ。
……。
……。
……。
沈黙の中で、緊張が張りつめる。
ニールヴェルトが、騎士たちに向けてぽつりと呟いた。
「……生き残るのは、“死にたくない”なんて泣き叫ぶ奴じゃねぇ……。生き残るのは、いつだって、“生き残ろう”とする奴だけだぁ……」
……。
……。
……。
“支天の大樹”の枝陰から、女の声が聞こえた。
「――我らが“暴蝕の森”で、そんな言葉を口にするか、人間よ……。貴様らの持つ“生への執着”など、この“森”に生きるものの“意志”には、遠く及ばないと知りなさい……」
“カースと呼ばれた女”の声が、戦端を開く――。
「――肉の一片、骨の一欠片まで、“森”の糧となり、潰えよ、人間」
フィィィー。
“道具を持った獣”たち――“森の民”たちを統べる南の四大主“新たな蝕みのカース”の口笛が、夜の明けきらない“暴蝕の森”の中に響き渡った。