3-2 : “蝕みのカース” と “渇きの教皇リンゲルト”
「? この城の使いの者だと思っていたのだが?」
ゴーダはその男の存在を大回廊にやってきた時点で気づいていたが、城の従者の1人と思い、目に留めていなかった。
ローマリアが“あらあら”と口に手を当てて、声を潜めて笑った。そして身体が触れるほどにゴーダに近づいてきて、顔を寄せ、小さな声で耳打ちした。
「……カースですわ」
ローマリアの吐息混じりの囁きが、ゴーダの耳に呪いのようにまとわりつく。
「……何? また鞍替えしたということか?」
ゴーダは鳥肌が立つのを感じたが、ローマリアにそのまま話を続けさせる。
「そのようですの。自由なものですわ……あれの考えていることなんて、わたくしたちには分かりませんものね。あんなものに南の護りを任せるだなんて、陛下も品のないことをなさるものですわ」
「何か仰られたか? ”三つ瞳の魔女”殿」
柱の根本に立つ男が、ローマリアの言葉を咎めて口を開いた。
「いいえ、お気になさらないで下さいまし」
ゴーダの肩に身を預けたまま、ローマリアがクスクスと嘲笑を込めた声で返す。
「獣と話すことなんて、何もありませんもの」
その言葉を聞いて、男が数歩前に出る。
「それは侮辱と捉えてよろしいか?」
男は複雑な刺繍の施された織物を着ていた。民族衣装のように見える。顔は整っていて、尖った耳を持っていた。その腰の鞘には小回りの利くショートソードが収められている。
「話すことはない、と言いましたわよ? それにしても、“侮辱”だなんて、随分と難しい言葉を御存じなのね。虫けらの分際で」
ローマリアが、そのか細い身体を寄せているゴーダの肩越しに、更に言葉を重ねた。
「ローマリア、悪ふざけが過ぎるぞ」
ゴーダがローマリアの両肩を摑み、その身体を引き離しながら忠告した。
「この場での面倒事は看過できん」
いきなりゴーダに両肩を摑まれたローマリアは、一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐにふだんの調子に戻って、クスクスと冷笑混じりの笑い声を漏らした。
「いやですわ。陛下の御前で、わたくしがそのようなこと、するはずがないでしょう? ……もう落ち着きましたわ。離して下さいまし」
ローマリアがしなやかな指をゴーダの腕にかけ、肩から手を放させる。
「……聞いていたな? ここは”淵王城”だ。立場をわきまえろ」
男の方を振り返りながら、ゴーダが有無を言わさぬ声音で言った。その右手は刀の柄に添えられている。
「……そこの魔女がいらぬことを言い出す前に止めていただきたいものですな。まあいいでしょう……陛下にお見苦しいところを見せずに済みました」
男の方もショートソードの柄に手をかけていたが、ゴーダの忠告を素直に聞き入れると、先ほどまでいた柱の根本に、先ほどと同じ姿勢で居直った。
***
「ぎゃんぎゃんと騒がしいぞ、若造どもが」
ゴーダ、ローマリア、カースと呼ばれた男の背後にある、大回廊の入り口の巨大な扉がわずかに開き、その隙間から声が聞こえてきた。
扉が更に数メートルほどの隙間を作るまでに開くと、そこには赤い法衣姿の骸骨が立っていた。
金糸の刺繡の入った法衣と、縦に長い祭儀用の帽子、そして手には巨大な宝石があしらわれた木の杖。宗教的な組織の権威者であることは一目瞭然だった。
帽子の下に覗く顔は完全に白骨化している。法衣に隠れて見えないが、恐らく全身がそうなっているのだろう。
「老骨に鞭打ってはるばる陛下の御前にまで参ったというに、”四大主”たる貴様等がそのようでどうする。全く忌々しい……」
法衣を纏った骸骨がぶつぶつと悪態をついた。言葉を発するたびに口が開いたり閉じたりしているが、まくし立てられる言葉の数に比べて、口の動きが随分ゆっくりとした動きしかしていない。どうやら声はどこか別の部位から出ているようだった。
「遅かったな、リンゲルト。ふだんなら我らより先にとっくに着いているだろうに」
ゴーダが大扉を支えてやり、大回廊の中へ入るよう、リンゲルトと呼んだ法衣の骸骨を促した。
「ふん、馬が立ち往生しおったのよ。貴様等のように、転位するだの飛んでくるだの、儂はそういうわけにはいかんでな」
リンゲルトが、大扉の外を振り返る。そこには2頭の馬に引かれた馬車があった。馬は2頭とも皮膚の乾ききったミイラで、御者はリンゲルトと同じく白骨化した骸骨の姿をしていた。
「いつものことながら、その馬車での長旅は感心いたしますわ。御老体」
ローマリアが口元に指を添えてクスクスと笑った。
「小娘が……ぴぃちくぱぁちくと。年寄り扱いするでないわい」
リンゲルトが貧乏揺すりをするように、杖で大理石の床をかつんかつんと小突く。
短気を起こして機嫌を損ねかけているリンゲルトだったが、大回廊の柱の根本に立っているカースと呼ばれた男に目を留めると、口を噤んで首を傾げる仕草をした。
「……んん? はて? 貴様は……見ん顔じゃな?」
「……“蝕みの”と言えば思い出されるか? “教皇”殿」
カースと呼ばれた男が、やれやれと溜め息をついた。
「……おお! そうじゃそうじゃ。その民族衣装、カースか! ふむ、また変わっておったから分からんかったぞい」
リンゲルトがカラカラと白骨化した顎をかち合わせながら笑った。
「この服飾を見れば、たとえ変わっていようと分かるものだと思われるが。まあ、いいでしょう……」
カースと呼ばれた男が再び大きな溜め息をついた。
「……ふふっ。あら、失礼」
ローマリアが、カースと呼ばれた男を見ながら嘲笑を漏らしたが、それを咎めるゴーダの視線に気づいて、口を手で塞いで愛想笑いを浮かべた。