13-4 : 玉前抗争
――“淵王リザリア”の座す、玉座の間。
“大回廊の守護者”たる4人の侍女の導きで、入り口のない、どことも繋がっていない玉座の間へと、カースが転位する。
リザリア(少女の姿をした何か)の前に転位し、最初の1歩を踏み込んだ瞬間、カースは首元に冷たい感触を覚えた。
「……」
カースが無言の内に、目だけを左に向ける。
その目線の先には、銘刀“蒼鬼”を抜き、深い蒼色をした刃をカースの首元に当てている“魔剣のゴーダ”の姿があった。
「……カース、やってくれたな……最悪のタイミングだ」
兜を脱いでいるゴーダの目は細められていて、まっすぐにカースを見つめる瞳には、蔑みの感情が浮かんでいた。
「ローマリアの言う通り……所詮はただの獣だったな……前回仲立ちしてやった自分に腹が立つ……」
静かな怒りに燃えているゴーダの肩越しに、後方で“三つ瞳の魔女ローマリア”が面白がるようにクスクスと嘲笑を漏らしているのをカースは目にしたが、今は無視することにした。
「……いきなりの侮辱の言葉とは、陛下の御前にふさわしからざる振る舞いと理解しているのですか、ゴーダ」
首元に感じる“蒼鬼”のヒヤリとした感触にも動じることなく、カースが厳しい目でゴーダを睨み返した。
「どの口が言う……カース、もはや貴様の喋る言葉に意味などないと、私は理解している……貴様は言葉を話しているつもりでいるだけの、ただの獣だ……」
「ならばどうします。私の首を飛ばしますか? 陛下の目の前で、この玉座の間を、私の血で汚すというのですか?」
「カース……貴様は理解していない……今の私が、どれだけ貴様への狂おしい殺意を抑え込んでいるか……」
ゴーダが手元を返し、蒼鬼の刃がカチャリと上向いて、カースの首の肉にふわりと押しつけられる。それは、研ぎ澄まされた刃が肉を断ち始める寸前の、血が流れ出す すんでのところの、達人の力加減だった。
「……ゴーダ、もうよい。それを下げよ」
玉座に座す、少女の姿をした宵の国の絶対君主、“淵王リザリア”が言葉を述べた。
「……」
リザリアの言葉を前にして、しかしゴーダはカースに蒼鬼を突きつけたまま、微動だにしない。カースも全く動かず、ただじっとゴーダと目線を重ね続けていた。
「……ゴーダ、2度は言わぬ」
無表情のまま頬杖を突いて、目前の抗争を眺めているリザリアが、有無を言わさぬ冷たい声で、最後の忠告を口にした。
それでもゴーダは、怒りに任せて抜いた刀を下げれずにいた。
――カース……貴様は、私の根回しを台無しにしてくれた……。シェルミアと話をつけた直後に、よくもやってくれたな……。明けの国も、これで黙っているはずがない……。陛下の命に背こうとも、貴様のその首、はね飛ばさずにこの刀を下げることなど……。
カチン。と、蒼鬼が鞘に収まる音がした。そして直後、ゴーダの耳元で、クスクスと小さな嘲笑が聞こえた。
「……邪魔をするな、ローマリア……」
ゴーダが、カースに向かって腕を伸ばしたまま言った。ゴーダもカースも、先ほどまで刀をあてがっていた姿勢のままでそこに立っていたが、その刀は今、“ゴーダの腰に吊された鞘の中にあった”。
ローマリアが高等術式“瞬間転位”を一瞬の内に2度使い、ゴーダが気づかぬ内に刀を奪い、更にそれを、気づかれぬ内に鞘の中に戻したのだった。
「あら、邪魔をするだなんて……そんなつもりでやったわけではありませんわ」
ゴーダの真後ろに、転位したローマリアが立っていた。
ローマリアが、ゴーダの背中に近づいてくる気配がする。
そしてローマリアは何も言わずに、ゴーダの背中に自分の身体をぴたりと重ねた。そのまま、ゴーダの両肩にそっと手を添えて、ゴーダの首元に頬が密着するほどに顔を寄せて、ゴーダの耳に吐息がかかるまでに唇を近づけて、呪詛のように囁いた。
「……余りに貴方が一生懸命でしたから、つい、からかいたくなりましたの……嗚呼、怒りで何も見えていない貴方……まるで子供のようで、とても、とても、可愛いですわ……ふふっ……」
ゴーダは思わずゾワリと、背筋に鳥肌が立つのを感じた。
「……まとわりつくな……外法者」
その段になって、ようやくゴーダは我に返り、何も握られていないまま上げていた腕を、ゆっくりと下げた。
「あらあら……ふふっ、連れない男ですわ。もう少し、こうして身体を重ねていても、良いでしょうに……」
クスクスと笑いながら、ローマリアがゆっくりと、ゴーダに密着させていた身体を離す。長く柔らかな黒髪が、最後にゴーダの首を撫でた。
「ごめんあそばせ。わたくしは魔女……1度何かに執着してしまうと、なかなかそれを手放そうという気になれませんの。ですから、破門したとはいえ、元弟子が目の前で“雌”と戯れている様を見せつけられてしまうと、ついつい、妬けてしまいますのよ。ふふっ」
ローマリアが、嘲笑の目を“カース”に送った。
カースは奇妙な刺繍の施された民族衣装を着ていた。整った顔と、尖った耳を持っていた。腰には“ショートソード”ではなく“曲剣”を携えていて、肌は赤黒く、胸は柔らかく膨らんでいた。髪の色は不思議な緑色を帯びていて、異常に伸びたそれは腰にまで届いていた。
“カースと呼ばれた女”が、嘲笑を送るローマリアに蔑みの目を返す。
「“雌”呼ばわりとは、心外です。力を欲する余り、その身のすべてを差し出した売女に、そのような言葉を口にされるとは」
「あらあら、ふふっ。代価としてすべてを差し出す快楽を、貴女は知らないのですわ、カース……。それは女の悦びなどという言葉では言い表せないもの……いち存在、ひとつの意識が、世界を超越するものの一部と溶け合う感覚……貴女には、絶対に教えて差し上げませんわ。あれは、わたくしだけのもの……ふふっ」
ローマリアが、愛おしそうに自らの右目の眼帯を撫でた。
“カースと呼ばれた女”とローマリアとのやりとりを、ゴーダはただ黙って横で見ていた。“カースと呼ばれた女”に対する怒りは未だ消え去ってはいなかったが、その感情とは無関係に、ゴーダは身体を動かすことができずにいた。
「……はぁ……分かった。私が取り乱していた。もう手は出さん。……“こいつら”を下がらせろ、リンゲルト……」
ゴーダが感情ごと吐き出そうとでもするかのように、大きな溜め息をつく。
ゴーダの周りを、複数の骸骨たちが取り囲んでいた。
1体が、ゴーダが蒼鬼を抜刀できないように、柄と鞘にぐるぐるに絡みついていた。
1体が、ゴーダの右手をぎちぎちに包み込んで、じわじわと力を込めていた。ゴーダの右腕の骨が、ミシリと軋む音を立てる。
何体分かも分からない骸骨の塊が、ゴーダの両足にまとわりつき、身動きを封じていた。
そしてもう1体、カースが“大回廊”で見かけた、戦士の姿をした骸骨が、ゴーダの首に刃こぼれした剣を当てていた。
「その言葉、信ずるに足る根拠はどこにある? 若造……」
玉座の間の片隅で、“渇きの教皇リンゲルト”が低い声で呟いた。白骨化した顔、何もない眼窩の底には紅い光がぼんやりと点っている。何かの術式を使った様子で、リンゲルトの赤い法衣が風もない中でふわりと不自然になびいていた。
「餓鬼の言葉を、老骨の儂に信じさせるだけの理由は何じゃ、ゴーダよ。リザリア陛下の御前で醜態を晒しおって……貴様なぞ、儂の目には腹が減ったと泣き喚く赤子と、何も変わらん」
「“こいつら”を下げるのに根拠と理由がいるというのなら。暗黒騎士の名誉にかけて、この場ではもう醜態は晒さんと誓おう、リンゲルト。お前の気に入らない態度を私がまたとるようなら、そのときは好きにするがいい……」
数秒間、ゴーダとリンゲルトが、無言で互いの視線を凝視する。
やがて、ゴーダの言葉を聞き届けたとでもいうように、ゴーダの全身に絡みついていた骸骨たちが、ゴーダの首に剣を当てていた戦士の遺骨が、煙のように粉々になって、どこからともなく吹いてきた風に乗って流れていった。
「ふん……これだから若いもんは……次はもうないと肝に銘じておけ……暗黒騎士よ」
「老人の忠告は素直に聞いておくよ。教皇殿……」
リンゲルトとゴーダが、目も合わせずに短い言葉を交わした。