12-3 : 狂騎士
ビュオンと風を切る激しい音がして、カースに向かって太矢の第3射が放たれる。カースは今度は太矢をかわすこともせず、ショートソードを素早く振って、太矢をじかに叩き落とした。
その瞬間、斧槍に持ち替えたニールヴェルトが猛烈な勢いで前方に跳び、太矢を落とした動作から戻りきっていないカースに斬りかかった。
「こんにちはぁ! カース様ぁ! そんでもってぇ! さようならぁ!」
ドスっと、跳躍の勢いの乗った斧槍が肉を断つ感触があった。
「……ははっ」
盾をかち割った斧槍が、カースの前に立った“道具を持った獣”の肩にめり込んだ。血飛沫が噴き出し、“獣”が呻き声を上げてその場に膝を突く。
「人間……お前の矢も、お前の槍も、私に届くことはないと知れ」
「あぁ、そぉ。じゃあ、剣だったら届くのかなぁ!?」
ニールヴェルトが、腰に吊した4本のダガーの内の1本を抜いて、カースに向かって鋭く投げた。
カースは飛んでくるダガーに見向きもせず、ただその場に悠然と立っている。
「何度も言わせるな……」
グサリ。
カースの前に腕を差し出した“獣”の肉に、ダガーが深く突き立った。
「お前の殺意は、私には届かん」
「あははははぁっ! だっよなあぁ! あはははははははぁっ!」
いつの間にか、カースの周囲を“道具を持った獣たち”が規律立って取り囲んでいた。その数、30体。言葉を解さない“獣”たちだったが、それぞれが自分の役割を理解しているというふうな振る舞いをしている。
「はははっ、ははははっ! おっかしぃなぁ?」
斧槍の刃を未だ1匹の“獣”の肩にめり込ませたまま、ニールヴェルトが愉快げに首を傾げた。
「あっれぇ? お前らってぇ、そんなに賢かったかぁ? 大山脈で見たのとはぁ、えらい違いだなぁ! 御主人様が目の前にいるとぉ、気合いが入るタイプかなぁ? あははははぁっ!」
ニールヴェルトが嬉しそうに高笑いする。その目は、1日限りの祭りにはしゃぐ子供のように爛々と輝いていた。
「グ……グブ……グルルル……」
斧槍に肩を割られた“獣”が、その柄を血の付いた手でがしっと掴んだ。ニールヴェルトの武器の1つに、自分の身体ごとまとわりついて、無力化しようとしているように見えた。
「へぇっ! マジかよぉ! ガッツあんなぁ、お前ぇ!」
瀕死の身体で斧槍にまとわりつく“獣”に顔を近づけて、ニールヴェルトが目を丸くして感心した声を上げる。そして、突如としてその顔から爛々とした表情が消え、代わりに冷酷な無表情が浮かんだ。
「……刃以外のとこに汚ったねぇ血、つけてんじゃねぇよ……醒めるだろうが、クソが」
ニールヴェルトが、斧槍の食い込んだ“獣”をそれごと持ち上げる。そのまま斧槍をぶんと振り回すと、“獣”は強力な遠心力で吹き飛ばされ、倒壊した民家の柱に串刺しになった。辛うじて息のあった“獣”だったが、それが止めとなって、口から血を噴き出して筋肉を痙攣させながら絶命した。
「あーぁ……一気にシラけたぜぇ……」
ニールヴェルトが興をそがれたことに腹を立てながら、柱に串刺しになった“獣”に近づいていく。そして“獣”の死体から民族衣装をビリビリと破り取って、それを使って斧槍の柄についた紫の血をゴシゴシと拭き取り始めた。
「……お前らの血ってさぁ……すっげぇ落ちにくいんだよぉ。この斧槍、気に入ってんだからさぁ、汚されるとかありえねぇわ……」
神経質に、入念に柄についた血を拭き取るニールヴェルトの姿に、カースが侮蔑の目を向けた。
「……ふざけているのか? 人間……」
「“四大主”を前に、ふざけるわけねぇだろうがぁ。今日の俺はいつになく真面目で本気だぜぇ? カース様ぁ」
「ならば、やはりお前は狂っているな、人間」
「カース様ぁ? さっきから“人間”“人間”って言ってくれてるけどさぁ、俺にだって名前ぐらいあるんだぜぇ?」
「なぜお前のような狂人の名を呼ばねばならん? こちらの興こそ醒めたぞ、人間。相手をしてやることさえ愚かしい……虫どもの餌がお似合いだ」
「あぁらあら……ひっでぇ言われようだなぁ、こりゃぁ」
血を拭き終えたニールヴェルトが、斧槍を背中に背負ってがっかりしたような声で言った。
「でもなぁ、カース様ぁ、あんたは嫌でも俺を相手にしなくちゃいけなくなるぜぇ……理由は3つだぁ」
ニールヴェルトが親指で後ろをちょいちょいと指差す。
「理由のひとぉつ。ここにはもう“虫”――“喰らい”どもはいねぇ。残念だけどぉ、俺は餌にはなれねぇなぁ。さぁてぇ? じゃあ“喰らい”どもはどこに行ったのでしょうかぁ?」
ニールヴェルトが指を2本立てた。
「理由のふたぁつ。俺は“喰らい”どもの向かった先を知ってるぜぇ。それはつまりぃ、カース様ぁ、あんたがここに来た目的でもあるんじゃねぇのぉ? 早くしないとぉ、あんたらの“大事なもの”、“喰らい”どもが全部喰っちまうぜぇ?」
その言葉を聞いて、カースがぴくりと反応したのを、ニールヴェルトは見逃さなかった。
――おいおいぃ……かまかけてみたけどぉ、やっぱりそうなのかよぉ。閣下の予想、当たり過ぎだぜぇ。
ニールヴェルトが、カースを見てニヤリと嗤った。
「ちなみにぃ、“喰らい”どもが向かった先はぁ、この町の奥にあるでぇっかい建物ですよぉ。身寄りのないガキどもを育ててる孤児院でぇす。俺の言うこと、信じてみるかい? カース様ぁ?」
「……」
カースが半信半疑といった様子で、“道具を持った獣”の1体に目配せをした。そして言葉の通じない“獣”に向かって、「フィィィー」と小鳥のさえずるような口笛を吹いて聴かせた。どうやらそれが“獣”たちを規律立てて行動させる合図になっているようだった。
その口笛の音を聴いた1体の“獣”が、町の奥に向かって走り出す。
それを見て、ニールヴェルトが大弓を構えた。
「そしてぇ、俺を相手にしないといけない、理由のみいぃっつ」
ビュオン。ドスッ。
太矢に首を射抜かれた“獣”が、その場にばたりと斃れた。
ニールヴェルトが、カースを睨みつける。
「……俺が、行かせるわけねぇだろぉが」
カースの目に怒りが灯ったのが、ニールヴェルトにははっきりと分かった。
「……虫どもの餌にもならん。ただ此処で朽ちて死ね、人間」
フィィィー。
カースが口笛を吹いた。
口笛の音色に導かれ、“道具を持った獣たち”がニールヴェルトに飛びかかる。奪った盾を持った“獣”が最前列になって突っ込み、その後ろに槍を持った“獣”が続く。
「そおぉこなくっちゃなあぁぁ!」
ニールヴェルトが、近接射程ギリギリのところに“獣”たちが突っ込んでくるまで、太矢を撃ち続ける。太矢の連射で4体の“獣”が斃れた。
残り、25体。
“道具を持った獣”の槍と剣が届く間際、斧槍に持ち替えたニールヴェルトが全身を捻らせて大回転する。その斧槍の回転に巻き込まれて、7体の“獣”の首が飛んだ。
残り、18体。
「おらおらおらぁ! お守りの犬どもが全滅しちまうぜぇ! カース様ぁ! はははぁっ!」
戦いの高揚感に再び満たされたニールヴェルトが高笑いする。わずか数十秒のうちに、カースが従えていた“道具を持った獣”の集団は、その半数がニールヴェルトの狂刃に斃れていた。
勢いづいたニールヴェルトが、ぎらついた視線をカースに向ける。
しかし、その視線が向かった先に、カースの姿はなかった。
――あ、やっべぇなぁ、これぇ。
凝縮された体感時間の中で、ニールヴェルトは頭の中で呟いた。死を間近に感じる戦場の中で、その意識は驚くほど冴えていた。
ザリッ。
ニールヴェルトの背後で、地面を踏み込む砂利の音が聞こえた。
――あーぁ……こりゃぁ、ただで済みそうにねぇなぁ。
更に1体の“道具を持った獣”の身体を、斧槍で真っ二つに割りながら、ニールヴェルトが2本目のダガーを抜いて、後ろを振り返る。
踏み込まれた強靱な脚力と、ショートソードを持ったまま地面に突いた両腕の腕力で大地を蹴ったカースが、“獲物”に向かって一直線に飛びかかってくるのが見えた。その目は本能に従って獲物を狩る獣、そのものだった。
――あぁ、いいねぇ……その目ぇ、ゾクゾクする……。
火花が散り、剣と剣とがぶつかり合い、金属の衝突音が鳴り響いた。
ニールヴェルトと交差した直後、ザザザっと砂煙を上げて、カースが両腕と両足で急制動をかけた。制動の勢いを借りてくるりと身体を反転させて、ニールヴェルトの方を向き直る。
そして2本の足で直立して、カースが口を開いた。
「……不意打ちをよく受け切ったな、人間」
カランカランと、ダガーが地面に落ちて転がる音がした。
「……はっ、今のは、やぁばかったぜぇ」
ニールヴェルトが鼻を鳴らした。左腕にはざっくりと斬り傷がつき、ぼたぼたと赤い血が滴り落ちている。
血でべたつく左手を握って開いて、ニールヴェルトがその感触を確認する。
「ははっ。まだ動くし、感覚があるなぁ。なら、十分だぁ」
痛むはずの傷のことなど全く意に介さず、ニールヴェルトが斧槍を両手で握って構えなおした。
「……カース様よぉ。あんた、割と手段を選ばないタイプだなぁ。俺1人に向かって束になってかかってきたりぃ、いきなり後ろから不意打ちしたりぃ。もしかしてぇ、勝ちさえすれば、他のことはどうでもいいと思ってるぅ?」
カースが、冷徹な視線をニールヴェルトに向けた。
「愚問だな、人間。殺し合いに作法を持ち出したがるのは、騎士を名乗る連中の悪い癖だ。お前たち明けの国の騎士団どもと、ゴーダの“イヅの騎兵隊”は特にな。理解に苦しむ」
カースが三度、“道具を持った獣たち”を従える口笛を吹いた。