12-2 : 南の四大主
町は全域に燃え広がった炎ですべてが焼け落ちて、かつての営みの面影はどこにも残っていなかった。
煤と塵と埃でくすんだ色に染まった町の残滓のあちこちに、血の跡が残っていた。乾いて黒く変色した血痕は、もはやそれが人間の赤い血だったものなのか、それとも魔族・魔物の紫色の血だったものなのか、判別がつかなくなっている。
町だった場所の片隅に、盛られたばかりの小さな土の山が並べられた区画があった。何百という数の、犠牲となった住民の亡骸が、その下に眠っている。そこには墓標はなく、墓標に刻むべき死者の名を覚えている者もいない。
その区画の更に一画には、墓標の代わりに剣が突き立てられた土の山が何十とあった。その下には、“何も眠っていない”。斃れた騎士たちの内、辛うじて亡骸を残した者は、明けの国の王都の“騎士廟”に祀られる。その何も眠っていない剣の墓標が示すのは、“喰らい”どもによって喰い尽くされ、何も遺らなかった騎士たちの、わずかな記録なのだった。
かつて町だった地に、細い雨が降り始める。燻った残り火の上げていた黒い煙が、雨によって消され、立ち上る湯気の白い煙に変わる。
町の最奥部に立地する崩れた屋敷の前で、甲冑を雨に濡らしながら、双子が無言で立っていた。
そこは十年前まで、双子が育った孤児院だった場所である。
孤児院だった場所の被害はとりわけ大きく、救助されたのはわずか数人の孤児たちだけだった。それ以外に、孤児院の生存者はいない。そこに暮らしていた多くの子供たちも、そこで働いていた大人たちも、そして――。
「……」
瓦礫の山の下から、雨に混じって1本の血の筋が流れている。エレンローズはその血の流れの上流に向かって無言で歩いていき、瓦礫に手をかけて、それをどかした。
――そして、瓦礫の下には、孤児院の院長の無惨な死体があった。院長の死体は奇跡的に“喰らい”どもに喰い散らかされることなく原形を留めていたが、その死に顔には恐怖の表情が刻み込まれていた。
エレンローズが、口を固く閉じたまま、死体を凝視する。
……――夢の中で見たのより、随分老けたね、“院長様”……。
「姉様……」
瓦礫の山を登ってきたロランが、エレンローズの背中に声をかける。
「……ロラン、私……」
背後にロランの気配を察したエレンローズが、院長の死体を見下ろしたまま呟いた。
「……私……」
「? 姉様……?」
「私、嫌な奴だなぁ……」
エレンローズが、ロランを振り返る。振り返った姉騎士は、かつて白髪と馬鹿にされた銀色の髪を雨に濡らして、悪目立ちすると疎まれた灰色の目を悲しそうに歪めていた。
そして、その口元は、うっすらと笑っていた。
「ロラン、私、思っちゃった……“こいつ”の死体を見て、『ざまぁみろ』って、思っちゃったの……それ以外、全然、何にも、感じないや……」
エレンローズが、その場にしゃがみ込んで、頭を膝に埋めた。
「……気持ち悪いよ……」
「……」
ロランがエレンローズの横に膝を突いて、うなだれている姉の頭をそっと手で撫でた。
ロランはずっと、姉にかける言葉を探していたが、とうとう最後まで、何も思いつくことがきなかった。
***
――遡ること、数刻前。
「――会いたかったぜえぇ! “四大主”ぅー!」
ニールヴェルトが歓喜の声を上げて、目の前に立つ、唯一言葉を解する“道具を持った獣”の個体に、斧槍の切っ先を向けた。
「……何だ、お前は。人間ごときに、用はない」
言葉を話す“獣”は、ニールヴェルトには全く興味がない様子だった。
「我らが用のあるのは――」
その言葉を遮って、ニールヴェルトの太矢が、言葉を話す“獣”の顔の真横を疾走した。太矢は、その後ろにいた、騎士から奪った鎧を着た“道具を持った獣”の1体を射抜く。
言葉を話す“獣”が、ニールヴェルトに視線を向けた。
「そっちに用がなくってもぉ、こっちにはあるんだよぉ。南の四大主、カースぅ」
言葉を話す“獣”――カースと呼ばれた魔族の男が、ぴくりと眉をひそめた。
「人間……劣種の分際で、その名を口にするか……」
カースと呼ばれた男が、目に怒りを宿してニールヴェルトを睨みつけた。
「おいおいぃ、だからぁ、敬意を込めて名前で呼んでんだろぉ? それともぉ、“カース様”ってぇ、お呼びした方がいいですかぁ?」
ニールヴェルトが、両手を広げて、満面の歪んだ笑みを浮かべている。
「……まぁ、いいだろう……」
カースと呼ばれた男がショートソードを引き抜いた。
「人間、ひれ伏して聞くがいい……いかにも、我が名はカース、“蝕みのカース”。そしてその名を口にしたことを、虫どもの餌となり、悔やみながら死んでゆけ」
ニールヴェルトが、両手を広げたまま、すぅっと大きく息を吸い込んだ。そして空を仰ぎ見て、感嘆の吐息を長い時間をかけて漏らした。
「ああぁ……何だこれぇ……すっげぇ興奮する……ゾクゾクする……たまんねぇなぁ……」
多幸感に満ち満ちた声でニールヴェルトが呟いて、次の瞬間、上半身を脱力させて、腰を屈めてだらりと腕と頭を前に垂らした。
「……なぁ、カース様ぁ……あんた、強ぇんだろうなぁ……四大主ってぇ、すっげぇ強ぇんだろうなぁ……」
ニールヴェルトが、腕と頭を垂らしたまま、ぶつぶつと言った。
「俺は、狩りが好きだぁ……自分より弱い奴を狩るのが、大好きだぁ……。自分より強ぇ奴に挑むのは、狩りじゃねぇ……それをやるのは、ただの馬鹿か、誇り高い騎士様だぁ……」
ニールヴェルトが、俯いたまま、髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。小さな声で忍び笑いをしている声が漏れ聞こえてくる。
「……カース様ぁ、あんたは俺より強ぇ。俺には、よぉく分かる。そういうの分かるんだよなぁ、俺。だから俺はぁ、お前に挑むぜぇ……」
そして、ニールヴェルトがむくりと上体を起こして、カースと目を合わせた。その口元は、不気味な嗤いで三日月形に吊り上がっていた。
「……ほら、俺……馬鹿だからさぁ! あはははははぁっ!」
言うが早いか、ニールヴェルトがおもむろに大弓を引き、何の躊躇もなく、カースに向かって太矢を放った。
カースは、突如放たれた太矢の軌道を見切り、容易くそれをひらりとかわす。
「ふん、騎士のなりをしているかと思えば、ただの狂人の類だったか……」
カースが溜め息を漏らしながら呟いた。
その様子を見ながら、ニールヴェルトが次の太矢を素早く構える。
「狂ってるぅ? 俺がぁ? 違うなぁ。俺は至ってまともだぜぇ? ただぁ、他の人よりちょぉっとだけぇ、殺すのが好きなだけだよぉ!」