11-1 : “神速の伝令者”
「……?」
1人の少女が、地面にしゃがみ込んで首を傾げていた。
少女がいるのは、町外れの茂みの中である。昼下がりの陽の光が、緑の茂った樹木に降り注ぎ、少女の周りに木漏れ日を落としている。
しゃがみ込んだままの少女が、地面に落ちている枝を1本掴み上げた。その先端で、興味深げに“それ”をツンツンとつつく。
枝の先でつつかれるたびに、モコモコに丸まった“それ”の毛がサワサワと波打った。
「ねえ、あんたなにー?」
少女が興味津々といった様子で、目を真ん丸に見開いて、じっと“それ”を観察している。
そうしていると、モコモコの毛玉の中から、ぴょこんと2つの耳が突き出した。
「!!」
驚いた少女が、しゃがんだ姿勢のまま背筋を伸ばした。
「……にみぃー」
耳をピコピコと上下させて、“それ”が小さな声で鳴いた。
「わあぁ……」
モコモコのピコピコに、少女はすっかり夢中になった。
――。
「おかーさん、モコモコ拾ったー」
“それ”を胸にぎゅっと抱いて、少女が茂みの中から出てくる。きょろきょろと辺りを見回して、少女は母親の姿を探していた。
「すっごいフワフワしてるよー」
少女が腕の中の“それ”をぽんぽんと手で叩くと、フワフワの毛の弾力で手が弾き返された。それは何とも言葉にし難い、心地よい感触だった。
「にみぃー」
少女にぽんぽんと叩かれるたびに、“それ”が耳をピコピコと動かして小さな声で鳴いた。
辺りに聞こえるのは、鳥の鳴き声と、そよ風に揺れる木々の葉音と、“それ”が鳴く「にみぃー」という鳴き声だけである。
「……?」
少女が首を傾げる。
母親の声は、どこからも聞こえてこない。
「おかーさーん」
少女が“それ”をぎゅっと抱きしめながら、茂みの影に母親を捜す。
――ぴちゃ。
少女の小さな靴が、ぬかるみを踏んだ。ぬかるみの水分で靴底が滑り、少女の足がずるずると泥を引きずる。
少女が足下に目線を下げると、そこには赤土の泥が広がっていた。
黒土の地質が広がるその町にしては珍しい、鮮やかすぎる赤だった。
そして、少女が、茂みの向こう側に視線を上げる――。
「……あ」
少女が、地面に横たわってぴくりとも動かない母親の姿を目にする前に、少女の視界から光が消えた。どんな新月の夜よりも暗い、完全な闇だった。
「にみぃー」
闇より暗い暗転の中、少女の胸に抱かれている“それ”が、何かを食べているグチグチという音だけが聞こえた。
次に少女は、目の辺りに何か冷たく脈打つものが飛び込んできたのを感じた。何も見えない少女だったが、その冷たく脈打つものが、目のあったはずの場所に入り込んできたのだけは、はっきりと分かった。
少女が叫び声を上げるより先に、冷たく脈打つものが骨を噛み砕き、頭の中に入ってくる。そのまま少女は微睡むように、意識の混濁の中に沈んでいった。頭の中で何かが弾ける、びちゃっという水音を最後に聞いて。
***
「え? ごめん、何て言ったの? ロラン」
ひよっこ騎士3人組の稽古をつけていたエレンローズが、ロランを振り返って言った。
「緊急召集だよ、姉様! 早く早く!」
ロランが手を振って、急いでよとエレンローズを急かした。
「げっ! まじ?! ちょっと待ってよ、着替えてから行くから――」
「そんなのいいから! 早くしてってば、姉様ぁ!」
急いだ様子のロランが、エレンローズの手を掴んで、そのまま姉を引きずり始める。
「ちょっとロラン! 歩けるから! ストップストップ!」
ロランにずるずると引っ張られてバランスを崩したエレンローズが、ぎゃあぎゃあと喚き散らした。
そんな双子を、特にロランの方を見て、ひよっこ騎士3人組がデレデレとしながら手を振って見送る。
「あんたたちも来るのよ! ボサっとすんなー! ひよっこどもー!」
「「「は、はいっ!」」」
エレンローズ教官の一喝で飛び上がったひよっこ騎士3人組が、走って双子の後に続いた。
***
エレンローズとロランが着いた頃には、執務室の中には同じく緊急召集を受けた上級騎士たちが所狭しと並んでいた。
その最前列、執務机に、髪を1本に結った“団長”シェルミアが、深刻な顔つきで座していた。
「すみません、遅れました! ロラン及びエレンローズ、ただ今参りました!」
ロランとエレンローズが、合図もなしに全く同時に敬礼の姿勢をとった。そこまで全力疾走してきたひよっこ騎士3人組は、執務室の扉の外で耳をそばだてて待機中である。
「現在召集可能な“隊長”位以上の上級騎士はこれで全員です、シェルミア団長」
執務机の前に立つ上級騎士がシェルミアに報告した。
「緊急召集への呼応、感謝します」
エレンローズとロランの姿を視界に捉えたシェルミアが、一瞬だけ表情を柔らかくして、すぐに元の厳しい顔つきに戻る。
「つい先刻、南部駐屯地から救援要請が届きました」
シェルミアが、執務机の上に広げていた羊皮紙を手に掴んで、集まった上級騎士たちに見えるようにそれを掲げ持った。
その羊皮紙を見た上級騎士たちが、そこに書かれた文字を読むよりも先に、どよめいた。
「“焼き文字”だって……?」
「南部駐屯地から、王都本隊に“神速の伝令者”、ですか……」
「シェルミア団長、南部で一体何が?」
シェルミアが掲げ上げた羊皮紙には、インクではなく、火で炙ったような焦げ跡で文字が書き込まれていた。
――。
執務室内のどよめきを聞いて、扉の外から聞き耳を立てていたひよっこ騎士3人組(新米、新人、新顔)が、互いの顔を見合わせた。
「……“焼き文字”って何だ?」
新米騎士が新人と新顔に尋ねた。
「お前……教本ちゃんと読んどけよ……」
新人騎士が呆れた顔で新米を見た。
「“焼き文字”っていうのは、術式巻物の一種だよ。ちょっと特殊なスクロールで、火属性の微弱な魔法が込められて、それがお互いの魔力でつなぎ合わされて、何十本って単位で組み立てられた術式巻物。その術式巻物の1つに文字を書き込むと、それと対になったもう1つの術式巻物の火の魔法が連動して、そこに書き込まれたのと同じ焦げ跡が浮かび上がるようになってるんだよ。その見かけから通称“焼き文字”って呼ばれてる。正式な術式名は確か……“神速の伝令者”。」
新人騎士が声を潜めて、懇切丁寧に説明した。
「……え? 何だそれ? どう使うんだよ、面倒なだけじゃないか」
新米騎士が眉をひそめた。
「お前な……。いいか、“焼き文字”を同じ部屋の中で使ったら、そりゃ意味ないよ。“焼き文字”の術式巻物同士の繋がりは、何十里離れてても切れないんだ。どんなに離れてても、一瞬で情報の伝達ができるってことだよ」
「え! 何だそれ! すごく便利じゃないか! そんな便利なものがあるなんて、今まで知らなかったぞ!」
新米騎士が、へぇ!と目を丸くした。
「そりゃあ、“焼き文字”なんて滅多に使われないからなぁ……術式巻物は、1回使ったらもう同じ巻物は使えないんだ。よほど急な案件でもない限り、貴重な術式巻物をぽんぽん使うわけないだろう」
新人騎士が、少し得意げに説明する。
「……ということは、今はその“焼き文字”を使わないとまずいぐらい、緊急の事態が起こってるってことか……?」
2人の会話に割って入って、3人目の新顔騎士が険しい顔つきで呟いた。
「……」
目を見合わせたひよっこ3人組が、扉に耳を再びぴたっとくっつけた。