10-3 : 第2の密会
――第2の密会。宰相ボルキノフの食卓。
同席者、1――第2王子の近衛騎士 ニールヴェルト。
同席者、2――宰相ボルキノフ。
「――あんたが言うと説得力が違うよなぁ。ボルキノフ宰相閣下ぁ?」
ニールヴェルトが、ダガーを手の中で器用に回しながら言った。その口元はニヤリと歪み、吊り上がっている。
「権力ねぇ……確かにぃ? 悪くないかもなぁ」
「じきに貴様の手にも、それが落ちてくるだろう。わずかばかりの忍耐と、底なしの欲望があればな」
ニールヴェルトのかける食卓の隣室、その炊事場から、ボルキノフの声だけが聞こえてくる。先ほどから随分と時間をかけて、何かを調理しているようだった。
真夜中の暗闇に包まれた窓の外から、ホォホォと梟の鳴き声が聞こえてくる。
「あー、なら俺には無理かもなぁ」
ニールヴェルトが含み笑いで声を震わせながら、独り言のように呟き始める。
「欲にはまみれてるけどぉ、忍耐なんてねぇからなぁ。ほら、俺、好物から先に食べちゃうタイプだから」
ニールヴェルトが食卓を蹴って、自分の座っている椅子を前後に揺する。その足下で、1匹の鼠が食べ物を求めてうろついていた。
「ならば、残念だが、貴様の手では権力は掴めないな」
炊事場から、ボルキノフの声。その声に混じって、肉の焼ける音が聞こえてきている。赤身が焼けるジュウという音と、脂身が溶けて弾けるパチパチという音。
「あ、そう。ならまぁ、いらねぇや……」
そう口にするニールヴェルトは、床をすばしっこく走り回っている鼠を目で追っていた。
「そういうのよりもぉ、俺はこういうのがぁ、好きだから、なっ!」
鼠の呼吸を見切ったニールヴェルトが、走り回る鼠の鼻先数センチの位置に向かって、手の中で回していたダガーを投げた。
それまで素早く動き回っていた鼠が、突然ふっと立ち止まって顔を上げたのは、ニールヴェルトがダガーを投げてからのことだった。
鼠の動きを予測して投げられたダガーが、ニールヴェルトの狙い通りに鼠の首もとにざくりと突き立ち、鼠を石床に串刺しにする。
「ははっ。当たったぁ」
串刺しにされた鼠が、傷口と口からこぽこぽと血を垂れ流しながら、4本の足をぴくぴくと痙攣させている。尻尾は何かに引っ張られているようにピンと立ち、ふるふると震えていた。
その様子を、ニールヴェルトがじっと眺めていた。“見蕩れていた”と言った方が正しいかもしれない。
やがて、鼠の全身から一切の力が抜け、鼠の死骸と小さな血溜まりだけがその場に残った。
「やっぱ、イイよなぁ……“狩る”瞬間ってのはぁ」
ニールヴェルトが鼠の死骸を見やりながら、テーブルの上で頬杖をついてヘラヘラと嗤った。
「俺が“狩る”側でぇ、お前が“狩られる”側ぁ。“愉しい”のは俺でぇ、“苦しい”のはお前ぇ。そんで“生きてる”のは俺ぇ、“死んだ”のはお前だぁ。寒気がするぐらい、シンプルな答えだよなぁ。魔法の術式なんてもんは、さっぱり分からねぇけどさぁ……これなら、どんな馬鹿でも分かるよなぁ。シンプルなのは大事なことだぜぇ?」
「確かにその通りだ。シンプルであることは美しい」
いつの間にか、肉の焼ける音は消えていた。料理を盛った皿を盆に載せて、ボルキノフが食卓に姿を現す。
「その意見には同意しよう。だが、食卓の床を汚すことについては、関心せんな――」
ボルキノフが鼠の死骸を見やって、顔をしかめながら言葉を継ぐ。
「――“烈血のニールヴェルト”よ」
「待たせ過ぎなんだからさぁ、閣下ぁ。俺が手癖悪いの、御存じでしょぉ? それにあの鼠、随分太ってたぜぇ? 閣下のキッチンからいろいろ盗み食いしてたのを、駆除して差し上げたわけよぉ」
鼠の死骸を指差しながら、ニールヴェルトが言った。目と口がにんまりと歪んでいる。
「ふむ……まぁ、害獣を駆除してくれたことには感謝しておくとしよう」
ボルキノフが料理の載った盆を食卓に置き、自身もニールヴェルトの向かいの席に腰を下ろした。
ボルキノフの手料理は、至ってシンプルなものだった。刻んだ野菜を盛りつけたサラダと、大きくスライスされた肉を焼いただけのものである。
たったそれだけの単純な料理に、なぜ時間がかかっていたのかといえば、その理由は、その“量”であった。特に焼いた肉の量は尋常ではなかった。大人の男性の手の平よりも大きな肉が、皿の上に少なくとも10枚は積み重ねられていた。肉はただでさえ脂身の多い肉質だったが、その外周部には何かぶよぶよとした皮の層がついたままになっていて、その皮と肉の境の部分には特に多量の脂が含まれていた。平積みにされた肉の塊から脂が垂れ流れて、皿の上に脂溜まりができあがっている。
その脂まみれの肉の山を見て、ニールヴェルトが思わず「うえぇ」と顔をしかめた。
中肉中背の体格をしているボルキノフの胃袋に収まりきるとは、とても思えない量だった。
「貴様も食べるかね?」
ボルキノフが尋ねる。
「冗談……。こんな真夜中にいらねぇよぉ、そんなオモタイ食い物ぉ……」
ニールヴェルトが手をヒラヒラと振って拒否した。
「そうかね? では、私1人で頂くとしよう」
そう言って、ボルキノフが焼いた肉の山にナイフで切れ込みを入れた。手の平よりも大きな肉を、3等分の塊に切り分けて、肉にフォークを突き立てて、そのまま一息にがぶりと口に頬張り込む。
グッチャグッチャという咀嚼音が、ニールヴェルトの耳にも聞こえた。肉から溢れ出た脂がボルキノフの口の中いっぱいに流れ出しているのを想像したニールヴェルトが、再び「うえぇ」と顔をしかめる。考えただけで胃がもたれそうだった。
咀嚼音がしばらく続き、噛み潰した肉を呑み込むゴクリという音がそれに続く。
「うむ……美味い。素材がいいものは、シンプルな味付けだけで食すのが最高の贅沢だ……」
1口目を味わったボルキノフが、感嘆の声を漏らした。
「相変わらず、すっげぇ食欲だことぉ……」
ニールヴェルトが呆気にとられた声で呟いた。
「そうかね? これでも今日は、貴様とこうして話をするために、量を控えている方だ」
ボルキノフのその言葉を聞いて、ニールヴェルトが「マジかよぉ……」と呆然となる。
「でぇ? その“話”ってやつが一向に始まらないんですがぁ、閣下ぁ?」
「食事を終えるまで待ってもらえないかね? 食べながらでは、そちらも気分がよくないだろう、ニールヴェルト」
「お構いなくぅ。食いながら始めちゃって下さいよぉ、閣下ぁ」
――そんなギトギトの肉の塊見てる時点で、気分悪ぃんだよぉ。
「そうかね? では、そうするとしよう」
次の肉のひと切れにフォークを伸ばしながら、ボルキノフが“本題”を口にする。
「先日物資を届けさせた、北の大山脈での“発掘作業”、その後の進捗はどうなっているかね?」
ボルキノフが大きな口を開けて肉を頬張り、グッチャグッチャと咀嚼する。口の端から溢れ出た肉の脂を、ナプキンで拭き取る。
「あぁ、あれならもう終わったぜぇ。こっちの人間で、人目につかない場所に移動済みぃ」
ニールヴェルトが、大して興味もなさそうに報告した。
「それにしても、術式巻物ってよぉ、便利だよなぁ。俺みたいな魔法の知識ゼロの人間でもぉ、魔法が使えるんだからなぁ。1回使ったら、巻物がボロボロに朽ちてダメになっちまうけどさぁ。特にぃ、なんつったっけぇ? 転位魔法ぉ? あれすっげぇなぁ。あんなバカでかい“掘り出し物”を、一瞬で移動させちまうんだからぁ。貴重なスクロールを何十本も御提供、どぉもぉ。お陰さんで仕事が捗ったぜぇ」
咀嚼した肉を呑み込んだタイミングで、ボルキノフが言葉を返す。
「“転位のスクロール”は、特に貴重な術式巻物だ。明けの国には多くの魔法使いがいるが、転位魔法を扱える存命の魔法使いは、ただの1人もいない。貴様に与えたあの巻物は、大昔の高名な魔法使いが書き残したという代物だ。私の秘蔵のコレクションだよ」
ニールヴェルトが、ふーんと関心なさそうに鼻を鳴らした。
「そんなにすげぇもんだとは思わなかったなぁ。魔法使いの連中が、鼻息荒くして追っかけ回してる“西の四大主”が、その魔法得意なんだろぉ? なんつったっけぇ? ローマリアぁ? 魔法使いどもの遠見の水晶でちらっと見たけどよぉ、魔族にしてはかなりの美人だよなぁ。片目がキズモノでなかったらぁ、なかなかの上玉だったぜぇ」
後半の“美人”の下りから、ニールヴェルトがヘラヘラと嗤った。




