30-23 : 暁
……。
「ゴーダ卿、貴方と出会えたこと……私には運命だったとしか思えません」
碧と無色にそれぞれ煌めく双眸を向けて、シェルミアが感慨深く呟いた。
「そんなものはないよ……運命なんぞない」
小さく首を横に振ってから、ゴーダは2人の盟友に笑いかける。
「未来をこじ開けるのは、ただの偶然と……がむしゃらに足掻く想い。違うかね?」
初めて剣を交え合ったときと同じように、ゴーダは飄々と肩を竦めてみせた。
「……そうですね。その通りです。やはり、貴方は……酷く人間臭い人です」
「…………」
シェルミアとエレンローズが、揃って笑い返した。
そんな2人の姿を見て、一瞬、ゴーダは彼女たちだけでも“巻き戻そう”かとも考えた。幻想の力を借りて、2人を深く傷つく以前の姿に……と。
「「……」」
次に首を横に振るのは、シェルミアとエレンローズの番だった。何への否定の意志なのか、彼女たちは語らない。言うまでもない、と。
「……。……ああ、無粋だったな」
カチンッと鍔をかち合わせて“蒼鬼・真打ち”を納刀すると同時に、ゴーダは頭の中からその考えを綺麗さっぱり洗い流した。
彼女たちがもう一度笑顔になると、白い世界に一陣の風が吹いた。結った金髪と銀の長髪がふわりと靡く。
遠く、雪と氷を湛えた山脈から吹き下ろす冷気に新緑の香りが染み込んだ、心地よい風。
足下。自身の影に別の影が重なったのを認めて、ゴーダが天を仰ぐ。
白い世界に取って代わって、その先には天高く抜ける青空と、漂い流れる雲があった。
「みんな……どうか怖がらないでやってくれ」
ゴーダを囲んで立つ仲間たちに向けて、彼は言う。
「ああ見えて……あいつらは言葉に傷つき易いんでな」
白い地平に影を落とすのは、天使のような美しい純白の羽。そして漆黒の鱗に覆われた、勇ましく麗しい、彼が「竜」と呼んだもの。
105騎の黒竜たちが音もなく舞い降りると、ベルクトが首を伸ばして主の身体に鼻先を寄せた。ゴーダが撫で返してやると、大きな口許から呼気の代わりに光の粒が零れていく。
ゴーダと触れ合うベルクトの後ろで、鷹の目を筆頭に黒竜たちは地に身を伏せた。ここにいる皆への、忠誠と信頼の証し。
「ふふっ、素直なところが可愛いですわね。誰かさんとは大違いで」
ローマリアがその内の一体へ近づいて、その硬い額に手を這わす。触れられた方の黒竜は、心地よさそうに瞼を閉じた。
「昔ゴーダを探し歩いて、霧ん中で初めて対面したときは腰を抜かしたもんじゃい。のう?」
ガランが鷹の目の脇腹を肘で小突くと、無口な彼はただ不服そうに鼻から光を噴き出してみせる。
「“災禍の血族”で魔族と人間が恐れたのと同じだけ、あなた方も恐れていたのですね……。ただ心穏やかに、主とともに在りたいだけだと……こうして触れてみると、それがはっきりと伝わってきます」
「…………」
恐らく「竜」の成体に直接触れた最初の人間として、シェルミアとエレンローズはそのものたちの想いを確かに感じ取る。
「触れ合えば……言葉を交わせば……恐れるものなど、何もない……」
***
「「其方の因果、紡ぎ終えたと見えるな、“魔剣のゴーダ」」
金の玉座のリーム。銀の玉座のフリィカ。“昏き淵の者”の純血を継ぐ少女2人が、確かめるように口を開いた。
真っ白で何もなく、物寂しかった“創造の地平”には、今は幾分かの騒がしさがある。
“魔剣のゴーダ”。
“三つ瞳の魔女ローマリア”。
“火の粉のガラン”。
“大回廊の4人の侍女”。
“明星のシェルミア”。
“右座の剣エレンローズ”。
“古き東の主ベルクト”。
そして黒竜たち。
吹き抜ける柔らかな風と、青い空。白い雲。
「幻想は、形を持ちつつある。次の願いで、世界は明けよう」
「黄昏と宵闇を抜け、暁の光が差す。ゆえに今一度、妾らは問おう」
“開闢剣”を介して巡り会った少女たちとの縁も、また奇妙なもの。
時間の感覚もない白の世界で言葉を交わす内、ゴーダたち一行は2人の少女へも親密なものを感じ始めてきていた。
だからこそ分かる。
彼女たちとの、別れが近いと。
「“魔剣のゴーダ”よ、これが最後の問いとなる」
「如何様にするも、其方の自由。想いのままに答えるがよい」
金の少女と銀の少女は終始無表情で、名残惜しさのようなものは見て取れない。
が。
「「その前に……手を取っておくれ」」
少女たちがそれまで突いていた頬杖を下ろし、その手をそれぞれ伸ばしてゴーダへ握手を求める仕草があれば、全て察せるというものだった。
「……」
ゴーダが1人、暁迫る双座へと歩み出て、腰を下ろし、膝を突いた。
それは片膝で跪く礼節の所作ではなく、両膝で身を屈めたもの。
目線を少女たちと同じ高さにやり、ただ親しみを込めて2人の幼い手を自身の大きな両手でそれぞれ握る。
「まこと、良き騎士よな」
「リザリアへ伝えておくれ……汝も、時には笑えと」
「お伝えします。必ず」
ゴーダの言葉に満足して1つ頷くと、少女たちは空いていた方の手も彼の手に重ねた。その感触と温もりを、ずっと忘れないようにと。
そして、最後の問いが、投げかけられる。
……。
「「暁の光を以て、其方はこの世をどう照らす?」」
……。
……。
……。
答えは、1つ。
……。
……。
……。
「私は――“何も望みません”」
迷いなく、真っ直ぐに、暗黒騎士は告げた。
「ただ、“続き”を。失い傷つき、それでも足掻いた、私たちの物語の続きを」
言葉とともに彼の腰元から零れ落ちたのは、鎖で繋いだ懐中時計。
細い鎖がシャリンと鳴れば、背後には主の背に向かって片膝を突き跪く、105騎の黒い騎士たち――“イヅの騎兵隊”が整列する。
全ては、あるがままに。
「「其方の願い、しかと聞き届けた」」
少女たちとの握手を解くと、暗黒騎士は立ち上がり、双座に背を向けた。
ゴーダが懐中時計を手に取り、風防を開ける。
「それでは、ゆきます――もうとっくに、帰らなければならない時間ですので」
カチ、カチ……と、懐中時計の秒針が動き始める。それが刻む音に合わせて、ゴーダが双座を後にする。
幻想の世界が閉じてゆき、暁が世界を照らしだす。
「皆、達者に生きよ。宵と明け……我らの可愛い子らよ」
「妾らは不滅なれば。いつでも見守っておる――“後のことは頼んだぞ、ゴーダよ”」
金の少女リームと銀の少女フリィカの見送りの言葉を、最後に聞いて。
「――承知、しました」
ゴーダは確かにそう応え、パチンと懐中時計の風防を閉じた。
……。
……。
……。
その瞬間。
遠い山脈の稜線が輝いて。
暁の光が、“イヅの大平原”へと差した。
……。
……。
……。
無言で抜かれるは、銘刀“蒼鬼・真打ち”。
その刀身に施されるは、魔女の口づけ。
誰もが何も語らないまま、蒼い刃が霞み、宇宙に細波が伝っていった。
「――……“魔剣、八式”……」
……。
「……“奥義”……」
……。
「――“:縁崩し”」
……。
……。
……。
“開闢剣”が、存在確率を崩壊させて、消えてゆく。
『……これでよい』
『妾ら姉妹、またしばしの眠りに就こう……』
“創造の地平”に残った2人の少女の、穏やかな声が幻聴こえた。
『『――再び、旧き盟約に纏わる因果が、巡ってくるまで――』』
……。
……。
……。
「おやすみ……」
……。
……。
……。
「――さよなら」
……。
……。
……。
……。
……。
……。
――第2次東方戦役及び、人魔大戦……。
……。
……。
……。
――……ここに、終結。




