30-22 : 手繰る絆
……。
――私の、願いは……。
……。
「――この身に賜る二つ名を、“魔剣”と申します」
己の「声」を創造した彼が、“魔剣のゴーダ”と改めて名乗った。
「この名を私に与えてくれたのは……私の師匠でした。私が憧れた、後にも先にもたった1人の、特別な女でした」
「なるほど、尊き縁に導かれたな」
「“魔剣のゴーダ”。良い名を授かったな」
ゴーダの言葉にじっと耳を傾けながら、金の少女と銀の少女が相槌を打つ。
そしてゴーダが横を見ると――そこには1人の女性の姿があった。
美しい黒の長髪。霧のようにふわりと舞う白いローブ。“両目”を飾る、吸い込まれそうな翡翠の瞳。
“翡翠のローマリア”――“星の瞳”、“第三概念”と呼ばれた禁忌に身を堕とし、同胞殺しの大罪を背負う以前の、かつて彼の憧れた姿そのままで、彼女がそこに立っていた。
「ローマリア……」
「ゴーダ……終わらせましたのね」
「……ああ。全部、終わったよ」
ゴーダがそっと手を差し伸べると、ローマリアはその手を取って頬を寄せた。
彼の古い記憶に沈む、花のような彼女の笑顔。それが今、目の前にある。
「……」
力を籠めれば折れてしまいそうな彼女の細い身体を、引き寄せた。
ローマリアの方も彼の広い背中へ両腕を回して、包み込む。
「「…………」」
真っ白な世界で身体を重ね合っていると、時間の流れがまるで分からなかった。そもそもそんなもの、存在などしていないのかもしれない。
「……ローマリア」
腕の中の彼女へ向けて、語りかける。
「何ですか? ゴーダ」
穢れを知らない澄んだ鈴の音のような声が、彼を促す。
「“俺”は、ずっと……お前の隣に、立ちたかった。こうしてお前の手を取って、抱き締めたかった……」
声を震わせながら、ゴーダがもっと強く彼女を抱き締める。漏れた吐息が耳元を撫でて、またしばらくの静寂があった。
「……。……ゴーダ、わたくしはね……? わたくしは、ずっと貴方に、見ていてほしかったんですの。貴方の憧れでいられるよう、ずっと、頑張っていましたの」
そう言って完全に身を委ねたローマリアが、彼の胸に頬を埋める。
「貴方に追いつかれたら、もうわたくしのこと、貴方は見てくれないかもしれないと、怖かったんですの。ふふっ、わたくしとただ並んでいたかったですって? そんな簡単なこと……それならそうと、素直に言ってくれればよろしかったのに……馬鹿な人ですわ。貴方も。わたくしも」
「……」
「……」
そこからは、これまでの溝を埋める為の、長い沈黙が流れていった。
……。
……。
……。
ふっと、ゴーダが抱擁を解いた。
ローマリアの両肩にそっと両手を添えて、半歩ほど下がった彼女の翡翠の両目をじっと見つめる。
「……もうよろしいの?」
ふわりと微笑みながら、“翡翠のローマリア”が尋ねる。
「ああ、やっと……やっと、胸のつかえが取れた」
彼女の問いに、ゴーダは素直に答える。
「ふふっ、そう……ええ、わたくしも、ずっと立ち止まっていた場所から、これで歩き出せそうです」
ローマリアの方も、本音をそのまま口に出した。
ゴーダが左手を伸ばし、ローマリアの右頬に優しく触れる。ローマリアも左手を差し出して、ゴーダの頬を愛おしそうに撫でた。
「だから……」
「ですからね……?」
わずかにゴーダが彼女を見下ろし、ローマリアが少しだけ彼を見上げる。そして互いの目を、じっと覗き込みながら――
「“私”とお前の、これまでのこと――」
「わたくしと貴方の間にあった、たくさんのこと――」
――2人の想いは、同じだった。
「「――なかったことになんて、させないでくれ(しないで下さいまし)」」
真っ白な世界に、閃光が走った。
一部始終を見守っていた金の少女と銀の少女が、その眩しさに微かに瞼を細める。
やがて閃光が晴れて、少女たちの前に2人の男女の姿が浮かび上がった。
「……愚か者だろうかね、私は」
苦笑を漏らしながら、ゴーダが肩を竦めている。
「巡り巡って、ここまで来ると……存外、これもそこまで悪くはないと、そんなふうに思ってしまっている」
ゴーダがローマリアの右頬に触れていた手をどかすと――その下からは“眼帯”が覗いていた。
「……アはっ、同感ですわ」
左目を丸く見開いて危うげな嘲笑を漏らすのは、“三つ瞳の魔女”。
「御安心なさい、ゴーダ? 今回ばかりは誉めてあげますわ。250年前のあの日、貴方の目の前で一度は壊れてしまった女のこと、昔の記憶なんかで塗り潰していたら、たとえ世界が創り変えられたとしても、魔女の名にかけて貴方のことを呪い殺しに行くところでしたわ」
「それは危ないところだったな」
そう言って困り顔で首を振るゴーダに、後悔はない。
“三つ瞳の魔女ローマリア”はクスクスと笑うと、白い世界に据わる双座へ向き直り、ローブの裾を広げながら軽く会釈した。
「ローマリアと申します、リザリア陛下のお姉様方。生憎とわたくし、誰かの為に都合良く、幸せなだけの女に生まれ変わって差し上げるほど、安い女ではございませんので。ごめん下さいまし」
金の少女と銀の少女は、その目に何の感情も灯さない。肯定も否定もせず、ただほんの少しだけ面白がっているようだった。
「ローマリア、と。これもまた、良き名よな」
「黒き騎士を世界の外側から喚んだ、最初の因果。なるほど、これは得心がいったわ」
「んふっ……そうでございましょう? うふふふっ……」
唇に指を添え、底の知れない魔女の顔でクスクスとひとしきり笑うと、ローマリアはゴーダを振り返った。腰を折って、悪戯げに彼を見上げる。
「さぁゴーダ? もう、決めているのでしょう? ここはまだ、貴方の幻想の世界ですわ。形を与えなくてはいけませんわね。貴方の因果を、手繰り寄せて」
「ああ、もちろんだ」
魔女の言葉に、ゴーダはこくりと頷いて肯定を返す。
空っぽの右手を目の前に持ち上げて、握り締める。
「……腐れ縁だ。今更創り直したところで、あんたとはどうせ同じところに落ち着くさ。そんなことより、ここは静かすぎる。いつもの大声を聞かせてくれ――」
真っ白な世界に、またひとつ。蒼い刃が彩りを加える。
「……――ガハハッ」
ゴーダとローマリアが声のした方を振り返ると、頭の後ろで両手を組んで白い地平に寝そべりながら、組んだ足をブラブラと揺らしている“火の粉のガラン”がいた。
「ほんに、しようがないのう」
両脚で勢いをつけてヒョイと起き上がり、指の背で鼻を啜ると、ガランはゴーダとローマリアの間に割って入って2人の背中をバシンと叩いた。
「ワシが間でガミガミ言うてやらにゃあ、貴様らいつまた喧嘩別れするか分からんからのう! ガハハハ!」
ガランがローマリアを見上げて、ニッと笑う。それからゴーダの方を見上げると、女鍛冶師は怪訝そうに眉根を寄せた。
「む? ゴーダや、何じゃいそのカッコは。締まらん奴じゃなぁ」
ガランが爪先から頭頂までジロジロ見やるゴーダの出で立ちは、黒い織り服。非番の時分の服装である。
「ふむ、確かにそうだな」
言われたゴーダが目を閉じて思い浮かべると、瞬く間に彼は全身を鎧兜に包まれた。“蒼鬼・真打ち”を収めた鞘を腰元へ吊す。
「ニシシシ、そうじゃそうじゃ! 暗黒騎士といえば、やはりそうでなくてはのう!」
「――お似合いにございますよ、“魔剣のゴーダ”様」
ゴーダが暗黒騎士の出で立ちを取り戻したと同時に、更に聞こえる別の声。
「――お三方、仲睦まじく大変結構なことにございます」
「――我ら“大回廊の守護者”、陛下の御使いとして確かに見届けさせていただきました」
「――お給仕のお一つほど、お世話申し上げたいところにはございますが……ここでは道具もお客様も不揃いな御様子」
“大回廊の4人の侍女”が揃って優雅に頭を垂れると、4つの同じ声が1つに溶ける。
「――この白き世界の主は貴方様にございますれば、ゴーダ様。欠けた御来賓を、どうぞ御招待下さいませ。礼を尽くし、我らお出迎え致したく存じます」
「承知した」
皆が見守る中心で、続いてゴーダが刀を抜く。
蒼い刃を地平に突き立て、その切っ先へ指先を当てれば、痛みもないまま滴が一つ、白い世界に色を増やす。
騎士の信託と、魔族の紫血。新たに供された2つの因果が、絆を手繰る。
「……――『剣と騎士の誇りにかけて』……また、お会いできましたね、ゴーダ卿」
「…………」
“明星のシェルミア”と、“右座の剣エレンローズ”。“守護騎士の契り”の言い伝え通り、決して切れない誓いに結ばれて、手を握り合った2人がそこに並び立っていた。
シェルミアは黒の混じった金髪を銀の結い紐で1本に結い。声なきエレンローズは金の組紐を右の隻腕にしっかりと巻いて。




