30-7 : 因果の集う場所へ
無限回廊に穿たれた空間の穴を抜け、通常空間――“淵王城”は正面玄関へ。
その過程は、見かけほど容易なものではなかった。
まるで上下の分からない海中で、激しくうねる潮流に揉まれるような、三半規管の攪拌。
シェルミアとエレンローズが揉みくちゃになりながら白亜の床へと転がり出ると、地面に倒れた2人を受け止める者がいた。
「――おや。これはとんだ御無礼を」
ぐるぐると回る目を声の聞こえた方へ向けると、そこには優雅に箒を手にした“大回廊の守護者”が――白黒2色だけからなる給仕服に身を包み、目許をベールに隠した侍女の姿があった。
“大回廊の4人の侍女”の内の1人が、箒の先端でシェルミアたちの転がる身体を受け止めたらしい。
ベールから覗く雪のように白い口許をへの字に曲げて、はてなと疑問を呈するように侍女が小首を傾げる。そんな些細な動作の1つとっても、彼女らの所作には気品が満ち満ちていた。
「――はて。そのようにお慌てになられまして、如何なさいましたか、“明星のシェルミア”様。“右座の剣エレンローズ”様」
そう尋ねてきたのは、全く同じ背格好をした2人目の侍女。
「――ちょうど大回廊の修繕を終えたところにございます。相すみませんが、当無限回廊へのお忘れ物につきましては、私どもにも回収は不可能ですので御容赦下さいませ」
そのように告げたのは、コッ、カッとヒールの音を小気味よく響かせてやってきた3人目。
声まで完全に同じ“大回廊の4人の侍女”には個性というものが存在せず、見分ける術も意味もない。
侍女に丁重に迎えられたシェルミアとエレンローズが、フラリときながら立ち上がる。
「…………」
「御心配には、及びません……未練も、失せ物も……ここには何も、残してはいません」
エレンローズの無言の眼差しと、シェルミアのきっぱりとした言葉を聞いて、侍女の口許がふわりと笑う。
「――左様でございますか。それは、よろしゅうございました」
「はい。ここでの決着は、全て。……ですが、まだ、残っていることが……!」
ここまでの経緯をどこからどう説明すれば良いものかと、シェルミアが考えあぐねていると。
「――少々お待ち下さいませ」
そう言って間に入ってきたのは、遅れてやってきた4人目の侍女だった。
「――……」
4人目の侍女は無限回廊の果てを見やって、身じろぎ一つしない美しい立ち姿のまま数秒間黙り込む。
「――陛下よりお言伝にございます。お聞き下さい」
やがてシェルミアたちを振り返ると、4人目の侍女は右手のひらで口許を隠しながら、その指先でベールを片目が覗く程度に開いてみせた。
それはまるで、静かな夜にカーテンから覗き見える満月のように。
「――『シェルミア。エレンローズ。聞くがよい』」
そして、あの貴き者と同じ金属光沢を湛えた金の瞳と、“淵王”そのものの声で、侍女が語る。
「――『侍女らには今し方、余から事の仔細を言って聞かせた。これら4人、しばしの間汝らに貸し仕わせる。給仕仕事は確かな者らぞ、役に立とう。……余は、この宵の玉座より動く訳にはいかぬ。手間をかけるが、良きに計らえ』……――以上にございます」
目の前にリザリアその人がいるかのような威厳で以てそれだけ言うと、侍女ははらりとベールを下ろした。
同時に、シェルミアとエレンローズの前に4人の侍女が横一列、精密な等間隔で並び立つ。長いスカートの裾を優雅にひらりと持ち上げて、右脚を左脚の後ろへ回し、恭しく腰を屈めて一礼してみせた。
4つの全く同じ声が溶け合い、まるでこの世のものとは思えない、美しい単一の声となる。
「――“淵王リザリア”陛下の命に従い、我ら“大回廊の守護者”、これより貴女様方のお世話係を務めさせていただきます。不束者にございますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
「…………」
「……え……あ、はい……」
その急な展開に、“大回廊の4人の侍女”の一時の主人となったシェルミアとエレンローズは目を丸くした。
「――? 如何なさいましたか、主様方」
「――お二方の御大任、及ばずながらお手伝いいたします」
「――我らは侍女。何も御遠慮なさることなどございません」
「――如何様なりと、お申し付け下さいませ」
まるで繊細な人形のような侍女たちに傅かれて、一瞬たじろいだシェルミアだったが、王女であった頃を思い出すと、次の間には彼女の顔は己に残された使命に引き締まっている。
エレンローズと頷き合い、そして“明星のシェルミア”が宣言する。
「これより、“淵王城”の封印から解き放たれた魔剣を――“改竄剣リザリア”を追います。皆さん……力を貸して下さい」
「…………」
“右座の剣エレンローズ”が、シェルミアの守護騎士として改めて居住まいを正す。
「――かしこまりましてございます。シェルミア様」
薄手の黒手袋を外し、白磁のように美しく滑らかな指を覗かせた1人目の侍女――“添う者”が手を差し伸べて応じた。
「――誠心誠意、お尽くしいたします。“明けの国”の御子よ」
リィーン、と透き通る音を奏でる銀の鈴を鳴らして、2人目の侍女――“報す者”が頭を垂れる。
「――人と魔の、2つの手を取り合いて、昏き闇の欠片を滅してみせましょう」
月光にも陽光にも塗り潰れない不思議な光を灯した小さな燭台を持ち、3人目の侍女――“照らす者”が誓いを立てる。
「――さあ、何処へと参りましょうや」
そして金の鍵を取り出して、4人目の侍女――“送る者”が尋ね問うた。
シェルミアにもエレンローズにも、自分たちが向かうべき場所は、既に分かりきっていた。
推測も情報も、何も必要ない。
無数の想いが折り重なって、この長い道のりの果てに“原初の闇”からその昏い一滴が溢れ出るに至ったのであれば。
その想いが最後に辿り着く場所、因果の集まる場所は、たった一箇所。
魔族と、人間――“宵の国”と、“明けの国”――彼らと彼女らが、最初に巡り会った場所へ。
……。
「向かうのは、東の果て――“宵”と“明け”の、境界線」
……。
……。
……。
「――御用命、確かに承りました」
……。
……。
……。
転位とも、飛翔とも異なる……それは“昏き淵の者”に連なる直系のみが行使することを許される、“事実の改竄”。
刹那の間すら挟むことなく、そうして“淵王リザリア”から使命を預かり受けた者たちが、“イヅの大平原”へと至る――
……。
……。
……。
「ゴーダ卿!!」
“明星のシェルミア”が、その盟友の名を呼んだ。
「良かった……間に合った、ようですね……」




