29-19 : 血みどろに吠えて
崩れ落ちた“イヅの城塞”を背景にして、剣戟の音が響き合う。
一方は、力任せの型破りの剣――“忘名の愚者”。
もう一方は、静と動を究めた剣――“魔剣のゴーダ”。
両者がぶつかり合うたびに、火花が飛び散る。刀身を濡らす血が飛び散って、宙に軌跡を描きだす。
「ゴォォォダァァアア!!」
“忘名の愚者”が、自分の脇腹を斬り裂きながら刀を振り上げる。自身の再生能力を全面に押し出しての、異常な踏み込みから放たれたそれは、ゴーダの間合いの感覚を狂わせる。それに合わせて飛び散った異形の血が暗黒騎士を染め、血の束縛によって彼の動きを鈍らせる。
「ボルキノフゥゥーッ!!」
ゴーダが“動の剣”による神速の連撃を放つ。その内の幾筋かは自らを斬りつけて、噴き出した紫血で“忘名の愚者”の血の束縛を洗い流す。
ゴーダの剣閃の嵐にズタズタになりながら、しかし愚者は決して後ろへは下がらない。
「間違っていた……私は間違っていた! ゴーダァ! 君は私を! 私たちを!! 次の段階へ押し上げてくれる実験台などではなかったっ! 君は! ただ! 私の邪魔をするだけだっ!! 私につまらない現実を見せるだけの邪魔者だぁっ! 君を! 殺して! 私はもう一度! 幻想を取り戻す! ユミーリアの声が聞こえる幻想をぉぉお!!」
異形の血を撒き散らしながら、愚者が刀を振り下ろした先に、しかし暗黒騎士の姿はない。
「……お前の、その幻想は……この世界を、侵しすぎた……」
ゆらり。“静の剣”に転じたゴーダが、まるで止まっているかのような足取りで、背後を取る。その時点で既に一太刀が放たれており、間を置いて愚者が胴体正面から血飛沫を上げた。
「“宵”と、“明け”……2つの国を、間違った方向へ、向かわせすぎた……。お前の幻想に、引きずり込まれて……どれだけの魔族と、人間が、犠牲になったと思っている……!」
血煙を上げて傷を再生させた愚者が、ゴーダを追いかけて刀を振り回す。
「魔族には、分からんさ! 人間にもだよ! 私の幻想は、私だけのもの! 私とユミーリアの為だけの世界! 世界はそのようにあればいい! どんな代価を支払ってでも! その為に魔族と人間を焼べなければならないのなら! 焼べればいいのだ! 幾らでも! 幾らでも!! 奴らが滅びて! 私とユミーリア、たった2人の世界になるまで!!」
がむしゃらに両手の刀を暴れさせながら、息も乱さず愚者が続ける。
「君になら……君にだけは、分かるだろう!? ゴーダァ!」
愚者の刀の先端から半円を描いて飛散する赤い血が、陽の光を反射する。
「結局のところ、他人なんぞ、世界なんぞ、どうでもいいのだよ! そんなものは羨む価値も、嫉む意味も、恨む必要もない! ただの道具だ! 全ては幻想を現実にする為だけの、道具なのだ!!」
鍔迫り合いになりながら、愚者が腹の底から声を張る。赤い吐血がゴーダへと飛び散るが、出血を続ける紫血がそれの付着を拒み続けている。
ゴーダも負けじと押し返す。全身に力を籠める毎に、自分で斬りつけた身体中の傷口から紫血が噴き出して、それが逆に“忘名の愚者”の身体を紫に染めるほどだった。
「ならばお前がユミーリアと呼ぶものは……あの化け物は何だ!」
「あれも極論すれば道具の一部だよ! あんな醜いもの、私の幻想にはいらない! あれはただの依り代だ! あれがユミーリアの幻想を私にもたらしてくれる限り! あれは私と供にある!! それがあって初めて、私は父親でいられるのだ!!」
論争と刀の応酬は止まらない。両者ともが一歩も譲らず、防御すら碌に取らず、ひたすらに斬りつけ合う。
「独りよがりの幻想を押しつけるだけのお前が! 父親などと!」
「ああ、認めよう! 私の傲慢であると! それの何が悪いのかね!? 魔族であれば! 人間であれば! 最終的にはその死で以て全て清算すればいい! だが私は“石の種”を得た!! 死という清算の義務から解き放たれたのだ! 全てを踏み倒しても尚釣りがくる! その意味が分からない君ではないだろう! この絶望が理解できない君ではないだろう!!」
「……うっ……?!」
ガクン。と、前触れもなくゴーダの脚から力が抜けた。一瞬、血の束縛にやられたかと勘ぐったが、暗黒騎士はすぐさまそれが、血を流しすぎたことが原因であると悟る。
後れを取ったことで、愚者の剣が飛んでくるとゴーダは身構えたが、彼の予測に反して、そこには何も起こらない。
「ぬ……ぐぅっ!」
ゴーダが失血で足下を崩したのと同時に、“忘名の愚者”も上半身を仰け反らせたまま、一瞬立ち止まっていた。
斬撃の応酬の中、ゴーダが愚者の身体へ随分前に斬りつけた筈の浅い傷口からは、未だに血煙が上がっている。
明らかに、“石の種”による再生速度が鈍ってきていた。
――この出鱈目な修復能力、やはり補給も無しに無限に続くという訳ではないか……!
「くっ……は、ははは! 私の限界が近いと思っているかね、ゴーダァ!」
体勢を立て直した愚者が、突きを放った。再生の追いついていない身体から繰り出されたそれは、これまでの攻撃よりも力が籠もってはいない。
が、それを受けるゴーダの側も、とうに普段通りの反応などできなくなっていた。“蒼鬼・真打ち”の防御態勢が全く追いつかず、愚者の剣先が脇腹に突き刺さる。
「がっ……!」
「限界が近いのは! 君も同じだろう! 暗黒騎士ぃ!」
愚者がグッと、ゴーダに刺した刀をそのまま横へ薙ぎ払う。
「……あぁぁあ!」
ゴーダが一喝する。あわや腹を斬り開かれるかという瞬間、防御には間に合わなかった“蒼鬼・真打ち”がそのまま振り下ろされ、相手の刀身を切断した。
刀の破片が横腹に刺さったまま、ゴーダが斬り返す。
「ゴーダ……まだ動くか……!? それほどの傷で、再生能力もなしにっ……ほとほとしぶいといよ! 魔族の肉体というものは!」
ゴーダの見せる執念に、“忘名の愚者”は思わず顔を引き攣らせた。
「ボルキノフ……お前のその、傲慢と絶望……私には、よく、分かる……! 同情も、共感も……してやろう……!」
垂れ流れる自分の血で足下を滑らせながら、ゴーダが構わず前に出る。
「……だが! お前と私との、間には……決定的に、違うものがある……!」
一歩。更に一歩……鈍ってきている剣筋を“忘名の愚者”にぶつけながら、声を絞り出す。
「……道具と言ったな! 娘と呼んだ、あの存在を! 自分たった一人の、幻想を創り出す為だけの、依り代だと!」
喉を上がってきた紫血に息を詰まらせても、暗黒騎士は言葉を止めない。
「それがお前の、限界だ、ボルキノフ! 独りの世界に、閉じ籠もり……幻想でお前自身を塗り潰すまでは、いい! 誰であろうが、多かれ少なかれ、そういうものを、腹の底に、飼っている! 私もそうだ!」
再び鍔迫り合いに持ち込んで、ゴーダの顔が愚者へと詰め寄る。
「だがな……! その幻想すら、最後まで信じ切って、やれない、お前の……! 曲がりなりにも、父親を名乗っておきながら、幻想の中でしか、娘を愛してやれない、お前の……――それが、お前の、限界だ!」
どこにまだ、そんな力が残っていたのか。“忘名の愚者”の怪力をゴーダが押し返し、相手をよろめかせる。
「うッ……こんな……?!」
「――夢から醒めた、その程度で……! 愛していたものを簡単に、ゴミのように捨ててしまえる、お前なんぞと……私を! 一緒に! するなぁ!!」
「……っ!」




