29-5 : 文官と剣士
議論と対話は終わりを告げて、状況は次の段階へと移った。
元より、どんなに言葉を交わしたとしてもそれは免れようのない展開。
力でねじ伏せきった方が、この東の果ての地を手に入れる。この戦争の、結末に立ち会う。
何かが終わり、何かが始まる。この場所がその分岐点であった。
――。
蒼い剣閃が、愚者へと真っ直ぐに飛んだ。
――ガッ。
ボルキノフが、ゴーダの放った一閃を素手で受け止める。人間離れした怪力が刃を停止させたが、“蒼鬼・真打ち”はその手にざっくりと食い込んだ。
ジャリッ。と、ゴーダが容赦なく刃を引いた。ボルキノフの手のひらが斬り裂かれる。斬れ落ちないのが不思議なほどだった。
「ぐっ……あ゛っ……!」
ボルキノフが深い斬り傷を負った手を庇う。鋭い痛みに苛まれた顔に、脂汗と苦悶の表情が浮かんだ。
「……うっ……ひ、酷いものだ。ははっ……こちらは武器も、防具も持っていないというのに……」
「痛覚はあるのだな。人間を超越したついでに、感覚も捨てたのかと思っていたが」
酷く痛がっているボルキノフに対して、ゴーダが冷たく言い捨てる。その声音に良心の呵責は微塵も含まれていない。
「全くだよ……そういう制御が利けば楽なのだがね……生憎そこまで、この身体は便利にはできていないのだ」
「そうか……」
斬。新たにビシャリと赤い血が飛び散る。
「ぬ゛ぐっ……! ぐあぁ……っ」
膝の関節を斬られ、その場にドサリと跪く。その拍子にばっくりと開いた膝の傷を捻ったのか、ボルキノフが立て続けに苦痛の声を上げた。
血糊を払い飛ばしたゴーダが、膝を突いた愚者に剣先を向け直す。既に勝負が付いたに等しい状況に見えたが、暗黒騎士は剣を下げる素振りを見せなかった。
「――それを聞いて安心したよ、ボルキノフ……痛みまで超越されていたら、いたぶって懺悔させることもできなかったところだ」
「は、ははっ……! 酷いなぁ……うぐっ! 私は文官上がりだ……武芸の覚えなど、ないというのに……う゛、あ……! 嬲り殺しとは、非道ではないかね……?」
据わった目をゴーダに向けて、無事な方の手で自分の首を指し示す。
「君も、騎士の1人だろう……? ならば、騎士の情けで……はぁ、はぁ……ほら、ここだ……首を斬ってひと思いに楽にしてくれ給え……はは、は」
――ビシャッ。
「がっ……!」
上げていた腕の根元を深々と斬り、ゴーダがもう1度血糊を払った。
「騎士の情けも安くはない……戯れ言は自分の重ねた罪の重さを量り終えてからにしろ」
「はぁ……はぁ……!」
暗黒騎士の冷たい声が続く。
「それに……私も頭に血が上っているのは認めるが、騙し討ちしようとしているところに飛び込んでやるほど、目の前が見えなくなってはいない」
「……ふ、ふふふ……くくく……」
ゴーダの言葉に何かを悟ったボルキノフが、肩を笑わせながら“立ち上がった”。
洗い終えた手から水滴を飛ばすように、斬り傷で血塗れになっている方の手を払う。飛び散った鮮血が焼け野原を濡らした。
手のひらに負っていた筈の重傷は、傷跡も残っていなかった。膝の激しい裂傷も同様にほぼ塞がりかけている。
「……いつ気がついたのかね?」
「文官上がりには分からんのかもしれんが、剣士というのは観察する目が利く。体重の掛かり方を見ていれば、傷の程度は大方推測できるというものだ」
斬りつけたばかりのボルキノフの肩からシュワシュワと発泡音が聞こえ、傷口が見る見る内に塞がっていくのを、ゴーダが言葉少なに見やっている。
「……なるほど、確かに超越しているな……それでは最早ただの化け物だ」
「“石の種”から……抽出した力だよ」
「便利な身体をしているな?」
「はは、そう見えるだろう? だが、存外にこれが不便でね……余りに不自然に傷が癒えてしまうものだから、人間の前ではおちおち掠り傷も負えなかった。神経を使わされたよ。それに、これをやると……やたらと腹が減る」
ボルキノフが自分の腹を擦ってみせる。
「それなら、何度か繰り返していれば餓死でもするのか?」
「さぁ、どうだろう……試してみてはどうかね?」
……。
一拍の間を置いて、「静の剣」から「動の剣」に切り替えたゴーダが再び疾走し、“蒼鬼・真打ち”を振った。
――ヌッ。
傷が完全に塞がり、しかし先の出血で血塗れになったままの手を、ボルキノフが前方に伸ばした。たとえ切断されようが構いはしないとでも言うような、ゴーダに触れることさえできればいいとでも言いたげな、不気味な動作である。
そこにゾクリと冷えるものを感じた暗黒騎士は、愚者の腕の間合いに踏み込む直前で地面を蹴り、疾走を直角に軌道修正して距離を取り直した。
「……おや……? 角の女には見られていなかった筈なのだが……事前に何か聞いていたかね?」
「これも覚えておけ……剣士は、勘も利く」
「ああ、なるほどなるほど……そうだね、君の言う通りだ。シェルミアも無駄に勘の働く女だったから、その主張には全面的に同意する」
ボルキノフが深く頷いた。
「異常な治癒能力……改めて考えてみれば、そんな身体に流れる血は碌なものではないだろう――触れるのは、得策ではない」
そう言って、ゴーダが“蒼鬼・真打ち”を鞘に収めた。
「御明察だ……惜しいなぁ、あの黒い騎士にはよく効いたのだが」
貪り喰らったベルクトの血肉の味でも思い出しているのか、口回りに付いた血を舐め取る。
「まぁ、いいさ……君が剣士である以上、その間合いに入る機会は幾らでもある。その間に少しずつ、私の返り血を浴びせていけばいい。こればかりは種が分かろうが分かるまいが、結果は変わらないからね」
「ふむ、一理ある」
ゴーダが脚を肩幅に開き、腰を落とす。上半身を前傾させ、居合い斬りの構えを取った。
「だが……それは“普通の剣士”に対しての話だ」
魔力の波動が迸る。
「もう1つ、覚えておけ……私は“魔剣のゴーダ”だ。暗黒騎士は、“普通”の枠組みには当てはまらん」
……。
「――変換座標軸、固定――」
「――効果深度、最大射程――」
……。
「異形の花ごと、断ち切れろ」
……。
……。
……。
――ギョロリ。
空間そのものを斬る必断の一撃が放たれる直前、“ユミーリアの花”に実った眼球が、ゴーダを見た。
「――“殲滅剣技”……“魔剣六式:屏虎断ち”」
……。
……。
……。
――バサリッ。
3対6枚の“偽天使の翼”が、天に向かって大きく広がった。




