28-6 : 本音
「……っ」
兄のその怒りに満ちた声と、憎しみに歪んだ顔を目にして、シェルミアは思わずびくりと身を竦ませた。
妹が一瞬、怯えたような表情を浮かべたのも意に介さず、アランゲイルが怒りに任せて“人造呪剣ゲイル”を片腕で振り上げた。だらりと肩からぶら下がっているだけだった腕のどこからそんな力が湧き出てきたのか見当もつかないほどの激しさで、真紅の刃が宙に弧を描く。
そして次の瞬間には、振り下ろされた呪剣が運命剣の剣身に叩き付けられていた。
「虐げられて! 見て見ぬ振りをされて!! 後ろ指を指されて!!! 全てを奪われた私を!!!! 私のことを差し置いてっ! お前は私をっ! 私を非難するのかっ!!」
――バキンッ。
真紅の刃が、何度も打ち込まれる甲高い音が木霊する。
「うっ……ぐっ!」
――バキンッ……バキンッ……バキンッ。
何度も、何度も。腹の底に淀みのように溜まり続けた怒りと恨みに任せるままに、何度も剣が振り下ろされる。その剣筋は出鱈目で、がむしゃらだった。
兄のその鬼気迫る感情の奔流に気圧されたシェルミアは、ただ打ち込まれ続ける斬撃を己の剣で受けることしかできなかった。
「私にそうしてきた屑どもを擁護してっ!! お前はそれをされてきた私を責めるのかっ!! シェルミアぁあっ!!!!」
「っ!……うあぁぁああああっ!!」
次に咆哮を上げたのは、シェルミアの方だった。それまでアランゲイルの斬撃を一方的に受け止めるばかりだった体勢から一転して、“運命剣リーム”が振り上げられ、“人造呪剣ゲイル”の刃と真っ向から対峙する。両者の剣がガチガチと擦れ合って、火花が散った。
「……そうですっ! それでも私はっ!! 貴方が間違っていると断じますっ!!! 兄上っ!!」
妹の顔から、気圧され怯えるようだった表情は消え失せて、代わりに兄と同じ怒りの形相が浮かんでいた。
「貴方がどんなに苦しんできたのだとしてもっ!! それが誰かを苦しめて良い理由などにはなりませんっ!! 自身の弱さを嫌悪するが故に力を求めるのであればっ! そうして得た力を振りかざして他者も自分も傷つけている、その心の弱さも恥じなさいっ!!」
「……っ! 黙れ! 黙れ黙れ!! 黙れぇえっ!!!」
ズチャリ、と水音が聞こえ、呪剣から生えた触角の先に“呪い”が実をつけていく。
「お前に何が分かる! 前に進む道を断たれてっ! 無様に立ち止まることしかできなかった私のっ! 一体何がっ!! お前に分かるっ!!!」
“魔族兵の形の呪い”と、“人間の騎士の形の呪い”が、シェルミアの左右から同時に襲いかかった。
「……黙って聞いていればぁっ!!」
“運命剣リーム”の剣身に太古の術式が一瞬ぼぉっと浮かび上がり、それと同時に押し出した呪剣を振り切って、そしてシェルミアの選択した“未来”が“現在”へと置き換わった。そこには、目にも止まらぬ姫騎士の連撃で斬り伏せられた“呪い”たちの残骸が横たわっていた。
そして今度は、シェルミアの振り下ろした剣が真紅の刃に何度も何度も叩き付けられていく。
「貴方にこそっ! 自分の痛みしか目に入っていない貴方にこそっ! 私の何が分かっていたというのですかっ!!」
「っ!?」
アランゲイルが、怒りに燃える目で妹の剣を受ける。シェルミアの剣筋もまた、怒りに震えて本来の美しい型を見失っていた。
「……立ち止まれなかったっ! 引き返せなかったっ!! 振り返ることすら、許されなかったっ!!! それでも……それでもっ! そうすることで誰も悲しまない場所を作れるのならとっ、私にはそれができるとっ、私がそうしなければならないのだとっ! そう自分に言い聞かせてっ!! 痛みも恨みも呪いも甘んじて受けようと誓ったのにっ……それなのにっ!――」
……。
「――どうしてっ! どうしてっ……私は貴方を苦しませることしかっ、できないのですかっ……! 兄上ぇっ!!」
そう叫んだシェルミアの両目には、涙が滲んでいた。
「黙れと! 言ったっ!!」
アランゲイルが、信じられない怪力でシェルミアを押し返し、吹き飛ばした。甲冑の靴底が大回廊の石床にゴリゴリと擦り傷をつけ、押し返された姫騎士の身体が静止する。
「……っ……兄う――」
「くどいぞ、シェルミア」
妹の開きかけた口を、兄の声がぴしゃりと押し黙らせた。
「……どうして、だと……? 答えは、単純だよ、シェルミア……」
シェルミアの問いかけにぶつぶつと独り言のような声音で言葉を返しながら、アランゲイルが再び真紅の呪剣を構え直した。
「……それは私たちが、兄妹だからだ……腹違いだろうが何だろうが、そんなことは関係ない……ただ、私が兄として、お前が妹として生まれてきてしまった……たったそれだけのことが、たったそれだけのことだからこそ……――もう、どうにもならないんだよ、妹よ……」
その顔に刹那の間だけ、かつて妹が慕っていた兄のあの優しい面影が覗き、そしてすぐに、怒りと憎悪の表情が全てを覆い尽くした。
「……」
妹の真一文字に結ばれた口許が引き攣り、噛み締められた唇がふるふると震えた。
「……っ……」
数秒間、妹は顔中の表情筋が強張るのを必死に堪えていたが、やがてそれに耐えられなくなると、“明星のシェルミア”の表情がくしゃくしゃに崩れ、溢れた涙が頬に筋を引いていった。
「言葉など、とうに役になど立たんところにまで来てしまっていたんだよ、シェルミア」
そう言って、“王子アランゲイル”が、これまで貪ってきた者たちを見るのと同じ冷たい目で、目の前に立つ肉親を無感情に見つめ直す。
「この剣の名は、“ゲイル”――全てを喰らい潰し支配する、呪いの剣……醜く爛れた、我が呪いそのものと知れ……」
……。
「最後に、お前の本音を聞けてよかったよ、シェルミア……せめて楽に死ねるようにと祈る程度の情けはかけてやろう。そして全てを忘れて、呪いの一部となるがいい……魔族と人間の血肉の味を、お前にも教えてあげるよ……」
……。
……。
……。
「……あ゛ぁああ゛ぁぁ゛ぁああ゛っ……!!」
泣き顔を浮かべたままのシェルミアが“運命剣リーム”を振りかざし、涙に濡れた雄叫びはいつまでも止まらなかった。




