27-12 : 慟哭
――ゴキリッ。
その音が聞こえた途端、ニールヴェルトが弄んでいた“大回廊の侍女”の左脚から、ふっと全ての力が抜けた。月光のように白い脚線美が狂騎士の手にだらんとぶら下がり、ただの肉の重みに変わっていく。
へし折られた両腕からも、左右から引き絞られて反り上がった胸部からも一切の抵抗がなくなって、まるで“大回廊の侍女”の身体はひと回りも萎んでしまったようにさえ見えた。
「きははははっ! きはははははははっ!!!」
3体の“侍女の形の呪い”に纏わりつかれたまま、見るも無残な姿となって息絶えた侍女の心臓めがけて、目を爛々と輝かせたニールヴェルトが、逆手に持った“カースのショートソードを”振り下ろした。
――グシャリ。
侍女の身体が、ビクリと跳ね上がった。
――グシャリ、グシャリッ。
ビクリビクリと、更に2回、ボロボロのその亡骸が、痙攣を起こしたように震えた。
侍女の遺体を背中側から貫いて、3本の真紅の刃が天に向かって突き出ていた。
ハラリ。と、侍女の目許を隠していたベールが串刺しにされた振動に揺れて、光を失い濁りきった金色の瞳がその布の端からわずかに覗く。
濃い紫色をした血飛沫を頬にびちゃりと浴びて、ニールヴェルトが振り下ろした手をぴたりと空中で止めた。
「……は……?」
ニールヴェルトが、ぽかんと口を半開きにする。
「……おい……どぉした……なぁ……?」
驚きに見開かれた瞼の下で、瞳が動揺にふらふらと揺れた。
「……どぉいうことだよ……? 俺ぁ、まだ……最後まで、ヤれてねぇんだぞ……?」
狂騎士の目が、侍女を貫いた3本の真紅の刃を呆然と眺めた。
「……何、勝手に逝ってんだよ……こんなのに、逝かされてんじゃねぇよ……なぁ……っ!」
――ドスリ。
「……お前は俺のもんにするって……言っただろぉがよぉ……犯して壊してぶっ殺すってぇ……言っただろぉがよぉ……」
――ドスリ。
「……お前のナカに最初にぶち込むのはぁ……俺の剣じゃなけりゃ嘘だろぉがぁ……」
――ドスリ……ドスリ……。
……。
「なぁ……」
――ドスリッ……ドスリッ……ドスリッ。
「なぁ……っ!」
――ドスリッ……グチャッ……ベチャッ。
「……なぁぁあああああああっっっ!!!」
“カースのショートソード”を両手に握り締めて、“大回廊の侍女”の亡骸の上に馬乗りになったニールヴェルトが、何かに取り憑かれたように悲壮な叫び声を上げながら、侍女の潰れた腹に何度も何度も剣を突き立てた。遺体から飛び散る返り血に、銀の鎧が見る見るうちに汚れていく。
……。
……。
……。
「……はぁ……はぁ……」
やがて、床の上にへたりと座り込んだニールヴェルトが、口許をわなわなと震わせ始めた。
「……。……俺が唾つけた女を……“2人も”横取りしやがって……」
……。
「……俺がせっかく見つけた居場所も、奪いやがって……」
――ポタッ……ポタッ……。
ボロ雑巾のように変わり果てた侍女の上に、狂騎士の涙が滴り落ちていった。
……。
……。
……。
「……俺の……俺の……! 女も死に場所も! 全部! 全部っ!! 盗みやがってぇぇええええっ!!!」
……。
「――アランゲイルぅうううっ!!!!」
子供のように動転した声で、“烈血のニールヴェルト”が泣き叫んだ。
……。
……。
……。
「……ふん」
冷たく鼻で笑い飛ばす声が、ニールヴェルトの慟哭を一蹴する。
「貴様がそんな魔族の雌1匹にもたついているからだ……"それ”諸共串刺しにならなかっただけ、自分の悪運に感謝でもするがいい……」
ニールヴェルトを遠目に見やっていたアランゲイルの視線が、「それ」と吐き捨てるように言った“大回廊の侍女”の亡骸にちらと向く。
「薄気味悪い連中だ……どいつも、こいつも……――」
……。
「――だが、そうだな……手駒として使い捨てるには、都合がいい……」
……。
「――ウフフ」
「――ンフフッ」
「――クスクス」
アランゲイルのその言葉に呼応するように、3体の“侍女の形の呪い”たちが、絶命してからも執拗に絡みついていた“大回廊の侍女”の身体からするりとその身を解いた。ベールの下から覗く真紅の肌と口許をふわりと微笑ませながら、呪剣の従僕となった真紅の呪いたちが、しずしずと脚を横に並べて侍女の亡骸を囲むようにして大回廊にぺたりと腰を下ろす。
ニールヴェルトの動物的な勘が、背筋にビリビリとした痺れを走らせた。
「……! てめぇええええぇつ!! やめろぉおオっ!!! そいつは俺のだって……! 俺のだって言ってんだろうぉがぁああぁぁああああっ!!!!」
狂騎士のその叫び声は、まるで大切な宝物を取り上げられた子供のような、無邪気で純粋で残酷な悲鳴だった。
「憐れだな、ニールヴェルト……玩具を横取りされるのが、そんなに嫌か……」
酷い猫背に顔を俯け、腕を持ち上げる気力さえ失いながらも“人造呪剣ゲイル”だけは手放さず、だらりと肩を落としているアランゲイルが、濃い隈の浮かんだ虚ろな目でニールヴェルトをしげしげと眺めた。
――ニヤ……。
病的に痩けた頬と、血色の悪い薄い唇を捻じ曲げて、薄汚れた歯を覗かせた“王子アランゲイル”が、そして笑った。
「……愉快だ。はは……奪われる苦しみを……踏みにじられる痛みを……まさか、貴様と共有できるとはな……はははは……」
……。
……。
……。
そして次の瞬間、ニールヴェルトが声を上げるより先に、グワと開いた口角を耳まで裂き広げた“侍女の形の呪い”たちが、“大回廊の侍女”の亡骸に喰らいついていた。
「――ウフフ」
「――ンフフッ」
「――クスクス」
耳に心地よい、鈴の音のように淑やかな笑い声とは裏腹に、獣のように四つん這いになって“大回廊の侍女”の身体に無我夢中でかぶりつき、その真っ白な肌に歯を立てる真紅の呪いたちの姿は、外観だけの美しさが相まって、この世のどんなものよりも醜く、浅ましく、飢えているように見えた。
屍肉の上に覆い重なり、うねうねと四肢をくねらせる“侍女の形の呪い”たちの陰から、グッチャグッチャと生々しい咀嚼音が聞こえてくる。
肉の引きちぎれる音。骨を噛み砕く音。内蔵をすり潰す音。血を啜る音。その行為にテーブルマナーなど皆無。それは“食事”とすら呼べないもの――ただの“捕食”であった。
「…………」
“侍女の形の呪い”たちが、最後に咥えた肉片を飲み込むゴクリという喉の音が聞こえるまで、ニールヴェルトはまるで目の前で恋人を寝取られでもしたかのように、片時もそこから目を離せないまま呆然と涙を流し続けていた。