26-24 : 道化
――。
――。
――。
「……くく……くくく……」
“呪い”の情景を脳裏から追い出して、アランゲイルが自嘲の嗤い声を漏らした。
「私は、とんだ道化だ……自ら生んだ子よりも権力に目の眩んだ浅はかな女に、そんな女から男を横取りしていった阿婆擦れ女……どちらの女が生み落とした子に媚びを売るかで頭を悩ませるばかりの無能ども……くくく……我ながら、醜い道化だ。なぁ、シェルミア……」
“シェルミア”。その名が自然と独り言の中に零れ出たことに、アランゲイルははっとして、そんな自分に腹を立てて歯を噛み締めた。
そして再び、自嘲の嗤いが込み上げる。
「シェルミア……ああ、お前のことを必死に何かから護ろうとしていた、無垢で無知だった幼い日の私こそ、まさに道化の極みだ……。そうまでして大切に大切に護っているつもりでいたお前に、追い越され、何もかも奪われ、挙げ句の果てにこの手でお前を罪人に貶めたアランゲイルという男の、何と滑稽なことだろうな……くくく……まさに、全てを貪るこの呪いを背負うに相応しい。そう思うだろう……? くくく……ははは……」
……。
……。
……。
「――ひははっ……」
アランゲイルの乾いた嗤い声に混じって、宵闇の影に別の声が聞こえた。
――ズチャリ。
「ギギャギャ」
その声に反応して、“人造呪剣ゲイル”が贄を求めて枝を生やし、結んだ実から這い出た呪いが人に似た形をとって飛び出した。
宵闇にバチリと閃光が疾り、ビュワと風の唸る音が聞こえた。
真紅の刃に引き戻された呪いの枝先には、焦げ付きズタズタに引き裂かれた実がぶらんと垂れ下がっていた。
「……近寄んなよぉ、アランゲイルぅ……俺までそいつに喰われっちまうだろぉがぁ」
影の中から星の光の下へ、顔だけを覗かせた“烈血のニールヴェルト”が、間延びした声で王子の名を呼び捨てた。
「私へ忠誠を誓っていた銀の騎士たちすらこのゲイルは喰らったのだ……今更、騎士であることを放棄した者を喰らったところで、問題などなかろう」
ニールヴェルトをギョロリと見やるアランゲイルの目は、その男をもう人間としてすら見ていなかった。
「ははっ、俺の生き甲斐を奪っておいてよぉ、てめぇだけ一丁前に腹ぁ立ててんじゃねぇよぉ、クソ王子殿下ぁ……」
“人造呪剣ゲイル”の感知範囲から外れた先へ移動しながら、ニールヴェルトが吐き捨てるように言った。
「人がせぇっかくぅ、あの暗黒騎士に力負けしてぇ、最っ高の死に場所を手に入れたってぇのによぉ……転位の術式巻物なんぞで呼び戻しやがって……騎士なんてもうやってられるかよぉ」
手をひらひらと振って、ニールヴェルトが歩き去っていく。その後を、アランゲイルが追いかけるでもなく、重い足と呪いを引き摺りながら進んでいく。
主従関係も何もが破綻した2人だったが、それぞれが向かう方角は皮肉にも同じだった。
「死にたがりの狂人が……ならばさっさとこの呪いの餌に名乗りを上げればいいものを」
「だぁれがそんな不細工な剣に喰われてやるかよぉ。俺は死にてぇんじゃねぇよぉ……俺ぁ、誰よりも生きてる実感が欲しいだけだぁ……そうするための1番手っ取り早い方法がぁ、戦場にあったってだけのことでさぁ」
「そのなりで騎士になったのも、それが目的か」
「他に何があんだぁ? それがなくて、だぁれがこんな面倒くせぇもんになるかよぉ」
……。
……。
……。
「ニールヴェルト……騎士であることを放棄した貴様が、今更どこに向かっている?」
狂人の背中に向けて、アランゲイルが問うた。
「もうここには、“魔剣のゴーダ”はいねぇ……だがなぁ、ここぁ、“宵の国”だぁ」
ピタリと足を止めたニールヴェルトが、振り返ることもせず言葉を返す。
「だったらよぉ、挑むのは一箇所しかねぇだろぉがぁ」
「……くく……騎士を辞めたところで、貴様の行き先は同じではないか」
ニールヴェルトの言葉を聞いて、アランゲイルが思わず嗤い声を上げた。
「ひははっ。目的は変わらなくてもよぉ、アランゲイルぅ。あんたを護る義務がなくなっただけ、俺ぁ好きなようにできるからよぉ」
「そうか……ならばついでに覚えておけ、ニールヴェルト。私を護る義務がなくなった分、貴様は自由だ。それはつまり、この呪剣がお前を喰らおうとすることに、私は一切関心を示さないということでもある」
「ひはははっ! アランゲイルよぉ、あんた、本当に言うようになったじゃねぇかぁ……」
アランゲイルの冷たい声に、ニールヴェルトが嬉々として歪んだ嗤い顔を返した。
「その言葉ぁ、そっくりそのままあんたに返してやるぜぇ。せいぜい、俺が気まぐれ起こしてあんたのことぶっ殺しちまわないように気をつけなぁ……ひははっ」
……。
……。
……。
――もはや、理由も大儀もない……。
アランゲイルが、心の内で小さく呟く。
――私の生が、私の歩みが、この真紅の呪いを背負う運命にあるのなら……。
――この呪いが、この飢えが満ちるまで……喰らい尽くすまでのこと。
……。
……。
……。
――「王子殿下」
記憶の中に聞こえるそれは、アランゲイルに“宵の国”への侵攻を囁きかけた宰相、ボルキノフの声だった。冷静さと聡明さの仮面を被った、得体の知れない男――幼少の頃から人が腹の内に抱える黒いものの臭いを間近に見てきたアランゲイルには、初めて顔を合わせた日からその男の異常性は透けて見えていた。
ボルキノフという人の皮の下に、アランゲイルはどす黒いものを見ていた――これまで見てきたどんな醜い人間のそれよりも、自分の抱える黒い塊よりも、もっとずっと歪なもの。
“あれ”はあながち、本当に人間ではないのかもしれんな――遠い“宵の国”の地から、アランゲイルはそんなことを唐突に思った。
だが、そんな人非人の言葉にすら、いや、そんな者の言葉だったからこそ、アランゲイルは縋るしかなかった。
この、どうしようもなく絡みつき、爛れきった運命に、ボルキノフのあの言葉は、ともすればわずかな希望ですらあったのだ。
……。
……。
……。
――「王子殿下」
――「“宵の国”を攻め、御自身のお力を示されようとするならば、彼の地の中心を目指されるがよい」
――「血を、求められるがよろしい」
――「……彼の国を、統べる者の血を……」
――「そこに、あるいは貴方の求めるものがあるやもしれませぬ……貴方のその腹の内に抱える、未だ言葉にならぬ願いを叶えるものが、あるやもしれませぬ……」
……。
……。
……。
“王子アランゲイル”。そして“烈血のニールヴェルト”。主従関係の解消された2人の孤独な人間の視界の先に、“宵の国”の中心が――聳える“淵王城”の影があった。




