7-2 : 行軍の双子
翌朝。
ロラン、エレンローズが護衛を引き受ける輸送部隊の編成は、兵士20名、ヒイロカジナ(明けの国原産の、赤毛をした大型の山羊のような生物)8頭からなる。
天候は快晴。一面の雪原が陽光を反射し、肌が焼ける感覚があった。
ヒイロカジナたちは、背中に補給物資・野営道具一式を詰め込んだ袋と箱を、背中と両脇に満載している。この大型の山羊のような生物たちは、荷物の重さをものともせず、のっしのっしとゆったりした一定の速度で、だが確実に雪山を歩き続ける。ごわついた触り心地の赤毛を纏った彼らの小さな目には、温厚さと賢さが浮き出ている。荷物を運ばせるには最適の家畜である。
「よし、進路そのまま。あの峰を回り込んだ先が開けているから、そこまで行けば遠征隊の姿が見えるはずです」
分厚いコートとマントを着込んだロランが、隊の先頭で地図とコンパスを確認し、進路を示す。
「足下に気をつけて。昨夜の吹雪で深雪になってる。足を滑らしたりなんかしたら、ひとたまりもないわよ」
エレンローズは、同じくコートとマント姿で、隊の殿を勤めていた。
昨夜積もったばかりの柔らかな深雪に、足を何度も取られる。気温は氷点下であるにも拘わらず、額に汗が浮かんでくる。
隊列は雪に阻まれ遅々として進まず、行軍速度は平野のそれの5分の1にも満たないほどだった。
兵士たちも、ヒイロカジナたちも、誰1人として口を開かず、ただ黙々と雪に埋もれながら、次の1歩を踏み出し続けていた。
……。
長く続いた沈黙を破り、1頭のヒイロカジナが、ブオっと腹に響く低い鳴き声を上げた。
その1頭の鳴き声に呼応して、他のヒイロカジナたちもブオッ、ブオっと鳴き始める。
「……どうしました?」
先頭のロランが隊列を振り返り、兵士たちに確認する。
「分かりません。ヒイロカジナたちが何かを威嚇しているようです。いや、これは怯えているのか……?」
手綱を預かる兵士の1人が、落ち着かなげに鳴き続けるヒイロカジナをなだめながら、眉をひそめた。
「ロラン!」
殿のエレンローズが前方を指差しながら、警戒を呼びかけた。
「あそこ! 何かいる!」
エレンローズの指し示す方向に、ロランが振り返る。
補給部隊が目印に進んでいる峰の頂上、尖った岩肌の上に、数人の人影があった。
「……遠征隊か?」
人影は余りに遠くにあるため、詳細を確認することができない。
しかし、輸送部隊の兵士の1人が矢で射られたことで、“彼ら”が敵対者であることだけは自明のものとなった。
「! 全隊! 防御態勢!」
ロランが指示を飛ばし、自身もマントで隠れた背中から大型の盾を取り出し、前方に展開する。
「ちょっと! 何でいきなり射ってくるわけ!?」
エレンローズが、一際大量の荷物を背負った屈強なヒイロカジナの陰に隠れながら叫んだ。
他の兵士たちも各々防御の態勢を固め、その陣形の中で矢傷を負った兵士の応急処置に取りかかる。
「少なくとも、“あれ”は遠征隊じゃない! こちらも応戦します。弓の準備を!」
兵士たちが、ヒイロカジナに吊した木箱の中から弓を取り出すよりも早く、峰の上に立つ人影の集団から、雄叫びが聞こえた。
その雄叫びは、言葉としての意味を持たず、また人間の発する類の声音ではなかった。それは獣が発する声。相手を萎縮させ、自らを鼓舞させるため、ただそれだけの、本能の叫びだった。
その雄叫びで焦った数人の兵士たちが、狙いの定まりきっていない矢を射た。矢は峰の上の人影たちにかすりもせず、斜面の雪に刺さり、埋もれていくばかりである。
だが、たとえそのとき狙いを澄まして矢を射ることができていたとしても、雪の斜面を“滑走”してくる人影たちに、それを命中させることはできなかっただろう。
獣の叫び声を上げる人影たちは、細長く加工した木の板を蔓で足にくくりつけ、雪上の抵抗を減らし、峰の上から転がるよりも速く滑り降りてきた。
猛烈な速度で近づいてくる人影たちの詳細が、明けの国の兵士たちの目に映る。
人影たちは、全員が奇妙な柄の刺繍の入った民族衣装のようなものを着ていて、手入れのされていない錆び付いた剣を持っていた。
顔は人間によく似た顔つきをしている。尖った形状の耳だけが、人間とは明らかに異なる造形をしていた。
それはとても組織化された集団とは言えず、野盗のようにも見えなかった。
雪焼けした肌と、ごわついた髪と、大きく見開かれた目の、ぎらつく眼光。
……獣。容姿だけなら人間と見間違うほどだったが、明けの国の騎士たちの目には、それらは道具を持った獣としか思えなかった。その獣性を宿した形相と、剝き出しの闘争心からは、一欠片の理性も感じられなかったのである。
「速い……! まずい!」
兵士たちが遠距離戦の弓から、近距離戦の武器に切り替えるより先に、滑走してきた“道具を持った獣たち”が、輸送隊を取り囲む。
その数、5体。
数でこそ輸送隊側が勝ってはいたが、大量の物資を背負ったヒイロカジナたちを率いていては、満足な応戦は難しかった。何より、部隊は物資輸送を目的に編成されていたため、装備自体が貧弱であった。
実質、戦力として有用性を持つのは、少数精鋭での護衛として部隊に加わっていたエレンローズとロランの2人だけである。
“道具を持った獣たち”は、板を足に固定していた蔓を手で引きちぎり、雪原に2本の足で立った。猫背の姿勢に、錆び付いた剣を持つ手をだらりとぶら下げて、輸送隊を囲む輪をじりじりと狭めていく。
「何なの、あんたたち! ……っていうか言葉通じてる?」
エレンローズの問いかけに、“道具を持った獣たち”は、ただ狼のようなうなり声を返すだけである。
「……言葉は話せないけど、道具を使う程度の半端なオツムは持ってるってこと……。厄介そうね……」
エレンローズが苦笑いを浮かべた。
「姉様! そっちの状況は?!」
隊の先頭に立つロランが、殿のエレンローズに問うた。2人は隊列の先頭と最後尾にそれぞれ背中合わせに立ち、2体と3体の群れに分かれた“道具を持った獣たち”と対峙している。
“道具を持った獣たち”は、本能的にロランとエレンローズの2人がこの“狩り”で最も厄介な存在であると理解しているようだった。
「おっかないの2匹と、にらめっこしてるわよ。ロラン、こいつらって、はぐれ魔族? それとも魔物?」
「魔物ではない、と思うけど……言葉が通じないから、魔族とも言えないかな……」
「何よそれ? まあ、別に――」
エレンローズが、毛皮のコートとマントで隠れた背中に右腕を回し、細身の直剣を抜いた。
「――はぐれ魔族だろうが、魔物だろうが、どっちにしたって――」
エレンローズが、更に左腕を背中に回し、マントの下から2本目の直剣を引き抜いた。
「――蹴散らしてやるわ!」
両手に2本の直剣を持ち、エレンローズが闘気を纏う。
その気迫に、“道具を持った獣たち”の1体が怯んだが、残る1体が雄叫びを上げてエレンローズに飛びかかった。
“道具を持った獣”が粗暴な動作で振り下ろした錆びた剣を、エレンローズは2本の直剣を交差させて受けきった。
「っ……力任せってもんじゃないわね。これなら棍棒でも振ってた方がマシよ!」
エレンローズが全身をばねにして、“道具を持った獣”をぐいと押し返す。その場に転倒させるつもりの押し返しだったが、“道具を持った獣”は強靱な脚力でさっと後ろに跳びのいて、慣れた足つきで、深雪の上でバランスを取り戻した。
むしろ、押し返したエレンローズの方が、慣れない雪の足場に足を取られかけてしまっていた。
「……もしかして、ちょっと不利だったり?」
エレンローズが、口元をひきつらせながら呟いた。
***
隊列最後尾で、エレンローズが2体の“道具を持った獣たち”と剣を交えるのを目の端で捉えながら、ロランは残る3体と間合いを取り合っていた。
ロランは、エレンローズと顔も体格もよく似ている。細身で、身長はそれほど高くはない。
だから、その体格には不釣り合いに巨大な盾を持っているロランの姿は、少し異質な光景だった。とてもではないが、その盾を片手で自在に扱えるようには見えなかった。
事実、ロランはその巨大な盾を“両手で持っていた”。盾以外の、武器となるものは何も装備していない。
巨大な盾を前面に展開して、防御一辺倒の体勢をとっているロランに、3体の“道具を持った獣たち”も攻め手に迷っているようだった。
「……敵意がないのなら、引いて下さい」
“道具を持った獣たち”は、ロランの言葉にうめき声を返すばかりである。
「……悪意があるのなら、かかってきなさい」
“道具を持った獣たち”は、ロランの手前でうろうろするばかりで、動きを見せない。
「……そちらから来る戦意がないのなら――」
ロランが腰を落とし、盾を持つ手に力を込める。
「――こちらから行きます!」
盾を構えた姿勢のまま、ロランが前に突進し、“道具を持った獣”の1体に体当たりをしかけた。
シールドバッシュ。本来、防具としての役割を果たす盾を、打撃武器として使用する攻撃手段である。
巨大な盾本来の重量と、ロランの体重が乗ったシールドバッシュは、いかにロランの体格が細身であっても、その威力は驚異となる。シールドバッシュの直撃を受けた1体が、仰け反る姿勢で後方に吹き飛んだ。
防御姿勢のままいきなり攻勢に転じたロランの動きに動揺した別の1体が、錆びた剣を左右に振り回しながら斬りかかる。
ロランは剣を振り回している“道具を持った獣”の動きを注視して、自分に向かって剣が踏み込まれた瞬間を狙い澄まして、盾を前に突き出した。
ボキっという、鈍い音。直後に、剣が深雪に刺さるドスっという音と、そして“道具を持った獣”の悲鳴が、それに続いた。
ロランのタイミングを合わせたシールドバッシュが、それ自体の衝撃力に、振り下ろされた剣の勢いを跳ね返した分を上乗せして、“道具を持った獣”にカウンターをお見舞いしたのだった。
凄まじい衝撃力が、“道具を持った獣”の片腕を粉砕する。
“道具を持った獣たち”はうろたえ、3体が1か所に集まって、ロランと距離をとった。
しかし3体は距離をとっただけで、この場から引く気自体はないようだった。
優勢に立っているロランであったが、その顔には緊張の色が浮かんでいる。
「連携をとられる前にケリをつけないと、厄介になるかもしれない……」