7-1 : 寒空の双子
――時は少し遡り、ゴーダとシェルミアの一騎打ちから3日後。ゴーダが“星海の物見台”を訪れる2日前。
「……うぅっ……」
ごうごうと強風が吹き付ける夜。テントの中にこんもりと盛られた毛布の山の中から、くぐもった声が漏れ聞こえている。
「……ちょっと……これやばいわよ……。死んじゃう、本気で死んじゃう……」
毛布の山がごそごそと蠢く。その声音には悲壮感よりも、苛立ちの感情が強く表れていた。
「そんなところに包まってばかりいないで。はい」
毛布の山の横に腰掛けているもう1人の人影が、湯気の立ち上るスープ皿を毛布の端に置いた。
「温まるよ、エレン姉様」
スープのにおいを嗅ぎつけて、毛布の中からぬっと手が伸びてきた。
「……ありがと、ロラン」
そのとき、突風がテントを直撃して、風に煽られて膨らんだ幌の隙間から、吹雪が吹き込んだ。
雪の粒子が肌にぱちぱちと当たる。それは“冷たい”を通り越して、“痛い”と感じるほどだった。毛布から伸びていた手が、さっと再び中に引っ込む。
スープはあっと言う間に冷めてしまった。
湯気の上っていない液体には、食べ物としての魅力がほぼないと言ってもよかった。吹雪の最中の雪山で野営しているときは、特にそうである。
毛布の山が一際ぶるりと震え、エレンローズがぶつける相手のない怒りの声を上げた。
「さーむーいーっ!」
***
事の起こりは、更に2日前に遡る。
――明けの国、王都。騎士団宿舎、執務室。
「北の大山脈へ、ですか?」
一騎打ちの見届け人、ロランとエレンローズが並んで立っている。机を挟んで2人を見つめているシェルミアに向かって、エレンローズが口を開いた。
「ええ、そう。数日前から、遠征隊がそこで任務に就いています。あなたたちには、遠征隊へ補給物資を届けてもらいたいのです」
シェルミアが、生真面目な顔つきで用件を告げた。
宿舎の中ということもあり、3人とも甲冑は身につけておらず、涼しげな綿の服を着ている。シェルミアの長い金髪は頭の後ろに1本に結われていて、その頭の動きに合わせてゆらゆらと左右に揺れていた。ロランとエレンローズは、銀髪を真横に短く切り揃えていて、少し重たげなシェルミアのそれと比べると、随分と軽そうな髪型をしていた。
「本当はきちんとした部隊を編成したいところなのですが、国葬の参列騎士を増やすようにと、アランゲイル王子直々の書面が届いたもので、動ける者が限られているのです」
そこまで口にして、シェルミアは一旦目を閉じて、握り合わせた両手を困ったように頭に押しつけた。アランゲイル王子の扱いに頭を痛めている様子だった。
「ロラン。エレンローズ。イヅの大平原の件があってすぐのことですから、2人とも疲れているとは思います。ですが今、少数精鋭で北の大山脈を目指そうとすると、あなたたち2人にお願いする他ありません……どうか引き受けていただけないで――」
「おっ任せくださいっ!!」
シェルミアが言い終えるが速いか、エレンローズが胸をドンと叩いて即答した。
「他ならぬシェルミア様がお困りとあれば! このエレンローズ、雪山だろうが砂漠だろうが海峡だろうが、どこへなりとも!!」
「ちょっ、ちょっと姉様」
鼻息を荒らげて大きな声を出しているエレンローズを、ロランが困り果てた顔つきで制止する。
「みんな戦死者の国葬で喪に服してるんだから、静かにしなきゃ」
「そりゃそうなんだけど! 幾ら御自分の近衛兵長だったデミロフたちの国葬とはいえ、遠征中の部隊の補給もほっぽりだして人を回せだなんて、アランゲイル様はもうちょっと考えてほしいと思う!」
エレンローズが、今度はロランの方を向いて、胸を張ってまくし立てた。
「う、うん、そう。そうなんだけど、だからもうちょっと声を抑えてってば、姉様」
ロランが慌てた様子で手を上下に振って、エレンローズにトーンを抑えてとジェスチャーする。
「ロラーン! あんた男なんだから、こういうときこそはっきり言わなきゃダメなんじゃないの?! シェルミア様が頭を抱えられてしまう前に、できることあったと思うんだけどー!」
くすっと、小さな笑い声がした。シェルミアが、2人のやりとりを見て口元を緩める。
「エレンローズ、大丈夫ですよ。国葬の取り仕切りは、こちらに任せて下さい。それよりも、あなたたちに無茶を言ってしまう自分が情けない」
シェルミアが、小さな溜め息をついた。
「何かあれば、ついあなたたちに頼ってしまう。毎回、貧乏くじを引かせてしまって、本当にごめんなさい」
「シェ、シェルミア様、そんな、そんなこと言わないで下さい」
エレンローズが、慌ててシェルミアの掛ける執務机に駆け寄る。
「貧乏くじだなんて、私たち、これっぽっちも思っていません! シェルミア様から御相談いただけることが嬉しいんですから! 私とロランでよければ、いつでも頼って下さい!」
そして、エレンローズが声のトーンを落として続ける。
「……シェルミア様の方こそ、少しお休みになってください。1番お疲れなのは、シェルミア様なのですから」
シェルミアの目元には、うっすらと隈が浮き出ていた。イヅの大平原から戻って以来、国葬の準備と補給作戦の段取りと、何よりゴーダとの一騎打ちの衝撃で、うまく眠ることができなくなっていた。
それでも、シェルミアは微笑を浮かべながらエレンローズに応える。
「私も馬鹿ではありませんから、そこまで無茶はしませんよ。ありがとう、エレン」
――。
シェルミアの執務室を後にして、出発の準備に向かうエレンローズの目は、きらきらと輝いていた。
「むふ、むふふ……ねえ聞いたロラン? 『エレン』って、シェルミア様が私のことを『エレン』って呼んでくださったわ! どうしよう、すっごく嬉しい!」
エレンローズの傍らを歩くロランが、苦笑いを浮かべながら相槌を打った。
「エレン姉様、ほんとにシェルミア様のこと大好きだね」
エレンローズは鼻息も荒く、ロランの言葉を全面的に肯定した。
「当然よ! だってシェルミア様は、私の憧れの方なんですもの! よっしゃー! 大山脈が何よ! 今の私に怖いものはないわ!!」
息巻くエレンローズが、腕輪のはめられた右腕をぐっと上に掲げた。
***
――北の大山脈。輸送部隊護衛任務2日目、夜間。ロラン、エレンローズの野営テント内。外の天候、吹雪。
「……もーやだぁ……寒いよぉ……お腹空いたぁ……」
北の大山脈に踏み入れた最初の野営から、輸送部隊は吹雪に見舞われていた。大山脈の麓に至るまでの、1日目の道程が小春日和であっただけに、行軍2日目のこの環境の急変振りに、エレンローズは参ってしまっていた。
出発前のエレンローズの張り切り様を横で見ていたロランが、思わず溜め息をつく。
「もー、姉様、昨日までの元気はどうしたの。自分で引き受けたことなんだから、しっかりしなきゃ」
「だってぇ……私、寒いのだけはダメなのよ……」
エレンローズが毛布の中でもごもごと呟いた。
見かねたロランが、温め直したスープを入れた皿を片手に持って、エレンローズが潜り込んでいる毛布をガバっと持ち上げた。
「ひゃあ! ロラン、やめて! 寒い!」
毛布の中で縮こまったエレンローズが、小さな悲鳴を漏らした。
「はいこれ食べて! 元気出して! 姉様!」
ロランが、持ち上げた毛布の中にスープ皿を押し込んだ。
「うぅっ……」
エレンローズが、情けない声を漏らしながら、ロランの作ったスープを口に運ぶ。
「……ぐすっ……おいしいです……」
「残さず食べるんだよ、姉様」
「はい……」
毛布の中から、スプーンが皿の底に当たるカチャカチャという音が聞こえる。やがて、その音がしなくなると、毛布の中から空になったスープ皿が返ってきた。
「ごちそうさまでした……」
「はい、お粗末様でした」
ロランが皿を受け取り、軽く拭いて綺麗にする。明日の出発に向けて、使い終わった鍋や皿を、ロランが几帳面に鞄の中に納めた。
……。
吹雪の風音とともに、夜が更けていく。テントの中には、明るさを落としたランタンの小さな光だけが、ぽつんと灯っていた。
エレンローズは、毛布を頭まですっぽりと被り、丸くなっている。
ロランは、ランタンの小さな光を頼りに、山脈の地図を確認している。
「……ねぇ、ロラン」
エレンローズが、毛布の中から呼びかけた。
「何? 姉様」
ロランが、地図に目を落としながら生返事を返した。
「一緒に寝よ?」
「ぶっ!?」
思わず吹き出したロランが、慌てて振り返る。エレンローズが、毛布の山から頭だけをすぽっと出して、ロランを見ていた。
「ねぇ、一緒に寝よーよ」
「え、いや、ちょっ……いきなり何を――」
「だってぇ……くっついた方があったかいじゃん……」
戸惑っているロランを尻目に、エレンローズがけろっとした顔で言葉を継いだ。
「……姉様、子供じゃないんだから……」
ロランが思わず頭を抱えた。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃん。双子の姉弟なんだし。昔はよく一緒に寝てたでしょ?」
「それは十年以上前の話でしょ――」
「つべこべ言わないの!」
痺れを切らしたエレンローズが、毛布を被ったままむくっと立ち上がり、ロランに飛びかかった。
「ちょっと姉様! 危ないってば」
「……あったかぁい!」
ロランの背中に抱きついたエレンローズが、感嘆の声を漏らした。
「すっごくあったかいよ、ロラン」
「姉様、いい加減にしてよ――」
そこまで言ったところで、ロランは口を閉じた。耳元でエレンローズが、子供のような顔で寝息を立てて眠っていた。
観念したロランが、小さな溜め息をつく。
「……。……姉様の馬鹿」
エレンローズに抱きつかれたまま、ロランは毛布に包まり、左腕にはめた腕輪で、エレンローズの右腕の腕輪をコツンと小突いた。
***
翌日、ロランはとてもよく熟睡して目覚めたが、悔しかったのでそのことはエレンローズには言わなかった。