25-2 : この名にかけて
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脱力した身体を暗黒騎士の腕の中に預けたまま、シェルミアがゴーダの顔をぼんやりと見上げた。超越の禁呪を宿して赤く光る目は焦点が定まらずふらふらと左右に小刻みに揺れていて、掠れた呼吸音は浅く間欠的だった。
「……ぁ……なン、で……?」
「もういい、喋るな……」
シェルミアの肩に回した左手に思わず力が入りながら、ゴーダがぼそりと呟いた。暗黒騎士の右手には、抜き身の“運命剣リーム”が握られている。
「……は、……は、……。……そ、れハ……」
「まぁ、こちらにもいろいろとあってな……この剣は、今はとある騎士から一時的に借り受けている。事が片付けば返そう。私には専属の鍛冶師がいるのでね……どうにも他人の打った剣というのは、手にしっくりとは馴染まんのだ」
腰に吊した、装飾の施された古い造りの鞘の中に“運命剣リーム”を収めながら、ゴーダが冗談を言うような調子で言った。
「さて、私は『もう喋るな』と言ったぞ、シェルミア。この場はこちらに預けてもらえるとありがたいのだが? 貴公に……たった1人でここを護り通した姫騎士様の信頼に、この“魔剣のゴーダ”の名が適うのなら、だが」
静まり返った声で、ゴーダがシェルミアにそう問うた。
……。
……。
……。
シェルミアが、震える手をゴーダの肩に伸ばし、聞き取れないほどの小さな声を喉の奥から絞り出す。
「……ぁ……まぞ、くの、貴方、に……言う、ことで、は……ないので、しょうが……」
その声が、涙を堪えて震え始める。
「お願い゛、します……民に……ァ゛……罪は、ない、のです……護って、ください……っ……は、……は、……あな、たを……信……じて……」
……。
……。
……。
「――請け負った」
「…………」
ゴーダのその言葉を聞き届けたシェルミアの口許は、安堵に少しだけ笑っているようにも見えた。
……。
……。
……。
気を失ったシェルミアを両腕で抱えて、ゴーダがのそりと立ち上がった。
――コキリ。
暗黒騎士の背後で、北の四大主“渇きの教皇リンゲルト”が首の骨を鳴らす渇いた音が聞こえた。
「……北方の護りは首尾良くいったようだな、リンゲルト」
振り向くこともせず、東の四大主“魔剣のゴーダ”がリンゲルトに語りかけた。
「他愛なきことよ。我が“墓所”の力の前にはのう」
教皇が、静かにそれに応える。
「東の護りこそ、どうなっておるのじゃ、ゴーダよ……よもや、人間に押し負けなどしてはおらんよのう?」
「この私がか? 見くびらないでいただきたいものだな、御老体」
「……カカッ。これは礼を欠いておったな、暗黒騎士よ。つい、老婆心が出てしもうてな――」
亡者たちの担ぎ上げる輿、その座の上でのそりと身を乗り出して、組んだ両手を口許に当てたリンゲルトが、ゴーダの出方を窺うように言葉を継ぐ。
「――“明けの国”に湧いた下賤な種族に情が移って、リザリア陛下のお治めになられるこの地に、そやつらを招き入れなどしてはおらんかと、心配してのう……」
「……何ともまぁ、そんなことにまで気を配っていただけるとはね。傷み入るよ、教皇殿」
……。
……。
……。
肌がビリビリと粟立つような、鋭い沈黙が降りる。
その沈黙の中を、ゴーダがシェルミアを抱き上げたまま、リンゲルトには脇目も振らず、すたすたと歩き始めた。
「……どこへ行く、ゴーダ」
リンゲルトの咎めるような冷たい声が、渇いた風に乗ってゴーダの肌をひやりと撫でた。
「何、少々人払いをな。お互い、積もる話がありそうだ。部外者には御退席願おうと思ってね。悪いが、そこで待っていてくれないか? リンゲルト」
兜越しに横目でちらとリンゲルトに視線を送り、前を向き直ったゴーダが“不毛の門”の断崖絶壁に向かって歩いていく。
――スタ。
ゴーダの右足が断崖に掛かり、そのまま左足が持ち上がると――重力の方向を無視して絶壁に足の裏を張り付かせた暗黒騎士が、水平方向に向かって直立した。シェルミアの長い金色の髪は、その壁面に向かって垂れている。
そうして次元魔法によって重力の方向を歪め、崖の壁面に立ったゴーダは、何でもないというようにすたすたと歩いて、見る見るうちに“不毛の門”を挟む双璧の頂上へ向かって登っていった。
「……ふん」
先ほどまで自分がいたぶってきた人間の女を抱き抱えて、こちらには目もくれず絶壁を登っていくゴーダの姿を見やりながら、リンゲルトが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
教皇がすっと骨の指を前に出すと、それに応じて“鉄器の骸骨兵団”が前進を始めた。その進路のわずか先には、シェルミアが死にものぐるいで立ち続けていた、彼女が剣で刻み込んだ国境線があった。
……。
……。
……。
――斬。
その国境線を歩き越えた瞬間、“明けの国”のその地を踏むより先に、鉄器の骸骨兵たちはバラバラに切り刻まれて骨の山と化していた。
……。
……。
……。
「私は、『そこで待っていてくれないか』と頼んだつもりだったのだがね……――誰が、『動いてもいい』などと言った?」
断崖絶壁から水平に身を投げ出して直立しているゴーダが、“鉄器の骸骨兵団”とリンゲルトを見やってぽつりと言った。その声音には、有無を言わさぬ静まり返った迫力があった。
「…………」
ゴーダがシェルミアを絶壁の頂上の開けた土地に運び上げるまでの間、リンゲルトは終始無言でその様子をじっと見上げていた。
コキリ。と、教皇の首の骨が鳴る音だけが不気味に響いていた。
***
“不毛の門”の双璧を登りきったゴーダが、その先の山肌の中にできた広く平坦な岩場の上に、気を失っているシェルミアの身体をそっと横たえた。彼女の銀の甲冑に傷んでいない箇所はなく、肌の覗いている部位には無数の生傷ができている。
「全く……そんな小さな身体1つで、あのリンゲルトと正面からやりあう馬鹿があるか……」
信じられないというふうに頭を振りながら、ゴーダが呆れたように大きく溜め息をついた。シェルミアの頬を指の背で撫で、血で貼り付いた金色の髪をそっと払ってやりながら、暗黒騎士は兜の内からその傷だらけの寝顔をじっと見つめる。
「ほとほと無茶をする姫騎士様だ……少しは自分の身を顧みろ。今、お前に死なれるようなことがあっては困るのだよ……“明けの国”の民も、私もな……」
そして、その意識を失った顔を覗き込み、容態の安定していることを今一度確かめてから立ち上がったゴーダが、シェルミアに背を向けて歩きだす。
「よくぞ、この場を保たせてくれた……よくぞ、私を信じてくれた……」
……。
「ならば私は、全力で以て貴公のその意地と信頼に応えよう……」
暗黒騎士の兜の奥で、静かな怒りを宿した紫色の眼光が、炎のようにゆらりと揺れた。
「東の四大主として……“魔剣のゴーダ”の名にかけて……」