6-4 : 1つ目の命令
「――“魔剣四式:虚渡り”」
私が螺旋階段の踊り場で魔剣を発動すると、螺旋階段の本棚の一角に立てかけられた蒼鬼が、私の持っている空の鞘に向かって瞬間転位した。
蒼鬼が転位する際に、その周囲の魔法書も転位に巻き込まれ、私のいる踊り場を照らす月光のスポットライト上に、大量の魔法書が山のように積み上がった状態で出現する。
「わぁい」
「すごいすごぉい」
「らくちん、らくちぃん」
人形たちが、私の足下で歓声を上げた。
月光の蟲干しの手伝い……それがローマリアの、1つ目の命令だった。
「はあ……何でこんなことに私の魔剣が……泣いていいか?」
私は魔法書の山を前にがっくりと肩を落とし、とほほと声を漏らす。
「ないちゃだめぇ」
「つぎだよ、つぎだよぉ」
「“あおおに”かして、“あおおに”かしてぇ」
人形たちが、ピョンピョンと飛び跳ねながら、蒼鬼を寄越せとせがんでくる。
「もういいよ……もう好きにやってくれ……」
私は溜め息をつきながら、蒼鬼を鞘から抜き、人形たちの足下にそれを置く。
「つぎはあそこぉ」
「いくぞぉー」
「うんしょ、うんしょ」
「よいしょ、よいしょ」
人形たちが数人がかりで抜き身の蒼鬼を担ぎ上げ、螺旋階段を上っていく。そして人形たちが目的の本棚に蒼鬼を置き、転位の影響範囲を調整した“四式”を、踊り場の私が発動させる。かれこれこの作業を数往復、繰り返していた。
「随分と捗っていますわねえ」
人形たちが蒼鬼を立てかけた場所の、更に上の階層から、ローマリアがクスクスと笑いながら、螺旋階段を下りてくるのが遠目に見えた。
「人形たちも貴方のことが気に入ったようですわ。良かったですわね、ゴーダ?」
「……それはどうも」
ローマリアと私の声が、塔の中空構造の空間に反響する。
「次の棚が最後ですわ。もうひと頑張り、よろしくお願いしますわね」
やれやれ……1つ目の命令は、思っていたほど過酷な内容ではなかったのが唯一の救いだ。さっさと最後の棚の魔法書も転位させて、終わらせるとしよう。
「――“魔剣四式:虚渡り”」
私が“四式”を発動させると、“蒼鬼だけが戻ってきた”。
「……ん?」
転位の影響範囲を調整し損じたか? ふだんは刀を瞬間転位させる魔剣としてしか使わないから、調整が難しい――。
「あら、ごめんなさいませ。その棚の魔法書には、魔法が効きませんの」
ローマリアが、口元をニヤリと歪めながら、わざとらしい口調で言った。
「……何?」
「その棚に保管されている魔法書は、禁書指定の書物。内包している魔力が強すぎて、外部からの魔力の干渉を一切受け付けませんの」
「それはつまり、どういうことだ?」
私のその問いかけに、ローマリアは愉悦の余り頬を紅潮させながら返答する。
「つまり、手作業で丁重に扱いなさい。よろしいですわね?」
私は思わずカチンと来かけたが、そこは指輪を手に入れるという目的のためにぐっと堪え、黙って禁書棚を目指して螺旋階段を上り始めた。
「嗚呼、何て懐かしい光景……あの頃は、貴方や他の弟子たちが、よくこうして蟲干しをしていましたわね。ふふっ」
ローマリアが、上層部の螺旋階段からこちらを見下ろして、愉快げな声を出す。
「お前は嫌みなところがあの頃より増したな、ローマリア」
嘲笑・嫌悪と言った感情の籠もった昔話を交わしながら、私は禁書棚にまで辿り着く。
「禁書、ねぇ。読んだことなかったな」
禁書という単語に少しばかり興味が湧いた私は、禁書棚から適当に1冊の魔法書を取り出し、それを開いてみた。
――見たこともない言語で、その禁書は書かれていた。だが奇妙なことに、見たことのないはずの言語でありながら、私はそれを読むことができた。いや、違う、私が読んでいるのではない……“私が読まされている”……。その由来の分からない文字列の向こうから、何かがこちらを覗き込み――。
「あやばいこれだめなやつだ」
私は猛烈な勢いでバタンと禁書を閉じた。
禁書棚は私の背丈の2倍の高さと、歩幅で10歩はゆうにある横幅で、そこにびっしりと禁書指定の魔法書が並べられている。
「これを全部運ぶのか……鬼かあいつは……」
「いいえ、わたくしは魔女ですわ。聞こえていましてよ、ゴーダ?」
現場監督よろしく、ローマリアが上層部から私と人形たちの仕事ぶりを観察しながら、クスクスと嘲笑した。
***
それから数時間、私と人形たちはせっせと働き、禁書棚の魔法書をすべて巨大な踊り場に移動させた。
分厚い書物を抱えて階段を上り下りするというのは、想像以上に身体に堪える。
「ふふっ。御苦労様ですわ」
上層部の螺旋階段から、ローマリアの見下したような声が届く。疲労でストレスが溜まってきていた私は、声のする方向に睨みつけるような視線を送った。
しかし、声のした方向には、誰の姿もなかった。
「嗚呼、今宵の月光はとても冷たくて清らかですわ……これなら魔法書の憑き物も、綺麗に祓われることでしょう」
私の背後、螺旋階段の踊り場から、ローマリアの声がした。
上層部の螺旋階段から、この踊り場に転位したのだ。恐らく、私がイラついているのを察して、更にその感情を逆撫でするために。
「ふふっ。あらあらゴーダ、どうなさいましたの? 苦虫を嚙み潰したような顔をされていましてよ?」
ローマリアの翡翠色をした左目に、愉悦の感情が満ちていくのが見えるようだった。
「さあ、後は、残りの山積みにしている魔法書を広げて一晩置けば、蟲干しは終わりですわ」
ローマリアが、足下でせっせと行き来している人形たちに告げる。
「もうちょっと、もうちょっとぉ」
「がんばるぞぉー」
「うんしょ、うんしょ」
「よいしょ、よいしょ」
人形たちが、私が“四式”で転位させて積み上げた魔法書の山の解体に取りかかる。
そのとき、1体の人形が躓いて、コテっと転倒した。そのままコロコロと転がって、魔法書の山にゴツンとぶつかる。
魔法書の山が、バランスを崩してぐらりと揺れ、分厚く重い書物が、背中を向けているローマリアに向かって倒れかかる――。
ドサドサドサ。重い書物の雪崩が、踊り場を埋める。
「……あら……?」
仰向けに倒れているローマリアが、左目をぱちくりさせた。
「……ゴーダ?」
そして翡翠色の左目が、ローマリアを押し倒している私の目を覗き込んだ。
「無事か?」
魔法書の雪崩で背中が押し潰されそうになりながら、私はローマリアに声をかける。
「……ええ、お陰様で、何ともありませんわ……」
ローマリアの左目は、まだ何が起こっているのか理解しきれていない様子で、不思議そうに何度もぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「力仕事は人形たちに任せておけ。非力なお前が覗きにくるだけ邪魔だ」
私の身体の下で小さくなっているローマリアに、私はできるだけの嫌みを込めて忠告した。
「あの……ゴーダ?」
ローマリアの見開かれた左目が、1点を見つめている。
「人形たちが本をどけるまで、そのままじっとしていろ。私も動けんのだ。文句はそれから言え」
「いえ、そうではなく……」
ローマリアが、私の腕の下の狭い空間の中で腕を動かし、私の左肩の方を指差した。
「貴方、怪我していますわよ?」
ローマリアが指差す先に目をやってみると、私の着ている服の、左肩部分の周囲に、紫色の血の染みが浮き出ていた。魔法書の下敷きになった衝撃で、ほぼ塞がっていた左肩の斬り傷が、開いてしまったのだ。
血の染みはみるみる内に広がり、やがて布地が血を吸いきれなくなると、ぽたぽたと血が滴り落ち始めた。
「ああ、まずいな……魔法書が血で汚れる……」
私は特に含みもなく、単純にそう思い、単純にそう口にした。
私のその言葉を聞いて、ローマリアが私の腕の下で小さく溜め息をついた。
「(……貴方はもう少し、自分の身体を大事にしなさい)」
「? 何か言ったか?」
「いいえ、何でもありませんわ。……確かに、貴方の血で魔法書に染みがついては困りますわね。……跳びますわよ」
ローマリアがそう口にした次の瞬間、ローマリアと私の身体は、鐘楼に転位していた。