22-7 : 邂逅
「……初めましてぇ……東の四大主ぅ……」
口許に垂れ流れた魔物の紫血を舌でベロリと舐め取りながら、ニールヴェルトが力を込めて斧槍を押し込んでいく。
「やはり、人間だったか……」
長雨で泥濘んだ地面に、ゴーダの足がズブズブとめり込んだ。
「そぉだよぉ……“明けの国”からぁ、遙々あんたら魔族に会いに来たぜぇ……ひははっ」
「……随分と、手荒な遠足のようだな?」
ゴーダがちらと、地面に突き立っている“カースのショートソード”に目をやる。
「“古いカース”が、何やら世話になったと見える……」
「ああぁ……」
ゴーダの目線を追ったニールヴェルトが、訳知り顔でにんまりと嗤う。
「そのショートソードなぁ……よぉく斬れるから、気に入ってるよぉ……。あんな獣の成り損ないの血に沈んで錆びるには、惜しい一振りだぁ……」
「なるほど……同感だな……」
「んんー? 怒んねぇのかぁ?」
「カースの愚か者には、個人的に恨みがあってね……むしろせいせいしている」
「……ひははっ。おンもしれねぇなぁ、あんたぁ……」
「漫談が得意というわけではないのだがね。ところで――」
泥濘みの中でゴーダがぐっと足を踏ん張り、ニールヴェルトの斧槍をわずかに押し戻し始める。
「貴公らの長は――“明星のシェルミア”は、どうした?」
ゴーダのその問いかけに、ニールヴェルトは一瞬不思議そうな顔を浮かべたが、その表情はすぐにグニャリと歪んだ嗤い顔の下に消えた。
「ああぁ……そういやあんたら、一騎打ちした仲だったなぁ……何ぃ? 気になんのぉ?」
そう尋ねる狂騎士の目には、面白がるような好奇の色が浮かんでいた。
「ああ、気になるね……貴様の口を裂いてでも聞き出したいと思う程度には、興味がある……」
冗談じみた言葉で語るゴーダの声は、しかし一切笑っていなかった。
「……ひははっ」
“魔剣のゴーダ”の殺気を間近に感じて、“烈血のニールヴェルト”は高揚した嗤い声を上げた。その表情はまるで、影絵芝居の幕上に映る歪な笑みを強調された悪魔の像のように捻れ上がっていた。
「……あのお姫さんはぁ、血の繋がった実の兄に全てを取り上げられてぇ、地下牢行きになったよぉ……今頃は闇に呑まれて発狂してるかぁ、頭は無事でも趣味の悪ぃ獄吏の慰みもんにされてんじゃねぇかぁ? ひはははっ」
……。
「ひははっ」
……。
「……あ?」
……。
「どしたぁ? 何急に黙り込んでんだよぉ? “魔剣のゴーダ”様ぁ?」
……。
……。
……。
「なるほど……よぉく、分かったよ……よぉくな……」
斧槍の柄を受けているゴーダの腕がピタリと静止し、それはニールヴェルトがどんなに力を込めても全く微動だにしなかった。
「この戦端が開いてから、ずっと腑に落ちずにいた……私に一騎打ちを申し出、『血を流すのは自分1人で十分』とまで口にした女が……その覚悟で以て、この“魔剣のゴーダ”を負かしさえした騎士の望んだことが、果たしてこんなことだったのかと……」
「ひははっ、まぁ、最初に街ひとつお宅らに潰されたのはぁ、俺ら“明けの国”側なんだけどなぁ? お陰でお姫さんは大臣どもに干されてこの有りさ――」
「――随分と……愉快そうだな……貴様……」
暗黒騎士の兜の奥から差す、全てを見透かすような視線に触れて、ニールヴェルトが思わず口を噤む。
「……っとぉ、喋り過ぎたなぁ。そぉらっ」
微動だにしないゴーダをもう1度押し込み、その反動で後ろに飛び退いて距離を取ったニールヴェルトが、斧槍を振るって構えを取る。宙に弧を描いた凶刃が降りしきる細雨を叩き、地面に打ち付けられた雨粒がビシャリと弾ける音を立てた。
「申し遅れたぜぇ……俺ぁ、ニールヴェルト。“宵の国”の誉れ高き暗黒騎士ぃ、あんたに挑めるこの強運に、心から感謝を……きひっ」
「……この身のことはよく知っているらしい。ならば今更、名乗る必要もあるまい。時間の無駄だ――」
銘刀“蒼鬼”を失ったその鞘をゆらりと逆手に持ち上げながら、暗黒騎士がゆっくりと口を開く。
「――何度も言わせるな……多忙なのだよ、私は……」
……。
……。
……。
大きく広がった大樹の葉の上を雨水が伝い、その先端から滴り落ちた大粒の水滴が、地上の水溜まりに落ちて無数の粒となって飛散した。
……。
……。
……。
「――“風陣:裂風”」
初めに動いたのは、“烈血のニールヴェルト”だった。魔導器“風陣の腕輪”によって斧槍の先端に鋭く密に圧縮された風の塊が、刃を振り下ろすと同時に強い指向性を持って吹き荒れる。耳の中に甲高く響く「カンッ」という金属質の音は、切断能力を得るに至った空気の層が雨粒を割り裂く音だった。
鉄さえ斬り裂くまでに至った風の塊が、見えない刃となってゴーダを襲う。が、限界まで凝縮されたその強烈な指向性の風は、暗黒騎士にとって、目に見えずとも見切りかわすのは容易なものだった。
ゴーダがひらりとかわしたその背後で、風の刃が大樹の根元を切り倒す地響きが轟いた。
「――“風陣:穿風”」
泥の中に転がっていた弓筒をニールヴェルトが蹴り上げると、飛散した太矢が宙にピタリと静止した。空中に形成・固定された風の塊に雨水が巻き込まれ、5,6個の球形の水の幕がフワフワと浮かんでいる光景はなんとも奇妙なものだった。
ニールヴェルトがクイっと手首を返すと、それに呼応して宙に浮いた風の塊が弾け、その勢いに乗って太矢が一斉に飛翔する。
「――“魔剣二式:霞流し・飜”」
その魔剣によって、ゴーダの周囲の空間が裏返る。殊、射撃に対しては無敵と言ってもいい次元魔法だった。
ビタッ。
そしてゴーダの展開した空間の歪みに飛び込むより先に、放たれた太矢が風の壁に遮られて再びピタリと静止した。
「ぬっ」
「1回返された手をそのまま2回も使うかよぉ、猿じゃねぇんだからなぁ!」
自身の周囲に渦巻かせた風に乗って高く跳躍したニールヴェルトが、相手の死角となる直上に位置取って、落下の勢いに乗せて斧槍を振り下ろす。
ゴーダの持ち上げた鞘が斧槍の落下軌道をふわりと変化させ、凶刃はまたも紙一重で獲物を掠め地面にめり込んだ。
着地の硬直で大きな隙を晒したニールヴェルトの首元に、ゴーダが逆手の鞘を勢いよく振り下ろす。
「――“風陣:疾風”」
ドウッと風の爆ぜる音がして、その風圧は狂騎士の身体を木の葉のように吹き飛ばした。暗黒騎士の鞘が、空を切る。
「避けんのが得意なのは、あんただけじゃねぇんだよぉ! ひははっ」
宙に舞い飛びながら、風の魔方陣の浮かび上がった右手をニールヴェルトがぐっと握る。
「――“風陣:穿風”」
陽動の為に放たれ、その直後再びビタリと静止した矢が空中でぐるりと向きを変え、今度は正真正銘ゴーダに向かって射放たれる。
「……ちっ」
攻撃動作の終わりきらぬ内に再射出された矢には、いかな暗黒騎士とて対応が間に合わなかった。ほとんどの矢はその黒い甲冑の装甲に阻まれ弾け飛んだが、ゴーダは脚部と腕部の甲冑の間接部に鏃が突き立つ感触を覚えた。
「ひはっ! よぉやく当たったぁ……ひはははっ」
自身の巻き起こした風に巻き上げられ、木っ端のように吹き飛んだ身体を猫のように捻って器用に着地したニールヴェルトが、片手を突いて獣じみた低い姿勢を取りながらニヤリと嗤って見せた。