21-1 : 鍛冶師と黒騎士
赤熱した炭の熱波が空気を揺らし、巨大な炉に開けられた通気穴から激しい気流の渦巻くゴォーという音がする。
炎が渦巻く炉には、腕よりも太い鎖と人の背丈ほどの大きさの滑車で吊された煉瓦造りの溶鉱炉が据えられている。その溶鉱炉の中には、目を灼いてしまうほどの眩しい光を放つ、ドロドロに溶けた鉄が満ちていた。
――“宵の国”東方国境線。“イヅの城塞”内、工房。
「……ンがーっ……」
工房内に無造作に置かれた長椅子の上に寝転んで、大きないびきを掻いている魔族がいた。
「……ンごーっ……」
仰向けになって豪快に大股に開かれた脚は、長椅子の左右から落ちて足の裏が地面に付いている。寝相が悪いのか、頭もだらりと宙に投げ出されていて、頭頂部が真下を向いていた。当然左右の腕も大人しくしている筈がなく、左手は無意識に腹をボリボリと掻き、垂れ下がった右手には縄が握られていて、その先にはずんぐりとした大きな徳利が括り付けられていた。
長椅子の上でだらしなく大の字になっているその魔族は、健康的な褐色をした肌の露出が異様に多かった。上半身は胸元にさらしを巻き、その上から袖がなく裾の短い羽織を羽織っているだけだった。下半身は下着の上に短い腰巻きを巻き付けている以外には、何も纏っていなかった。
しなやかな太股も、括れてわずかに割れている腹筋も、さらしからはみ出ている胸の谷間も、ヘソも腋も首も無防備に全て放り出して、心地よく酒に酔って眠っているその顔は、緩みきって半笑いしている。
炎のように赤い髪の毛はばっさりと適当に切られていて、それが飾り気のない結い紐を使って頭の後ろに纏められていた。その額から申し訳なさそうに、とても短い2本の角がちょこんと生えていたが、この酷い有様を前にそんなもので魔族としての威厳を保てる筈もなかった。
男たちが思い描く、恥じらいのある女性らしさなど微塵もなく、”イヅの城塞”専属女鍛冶師“火の粉のガラン”はそのようにして奔放に眠りこけているのだった。
「ガラン殿」
「……ンがーっ……んん……」
ガランの名を呼ぶ声があったが、爆睡している女鍛冶師はそれに全く気づかない。
「ガラン殿」
再び声がしたが、ガランはムニャムニャと口を動かすだけで起きる気配を見せなかった。
「……グごーッ……んん、ゴーダや、何をやっとる……それはワシのぱんつじゃぞ……ぐゥー……」
「!」
カチン、カチン。と、金属の弾かれる音がした。集中しているとき、考え事をしているとき、そしてイライラしているとき、腰に吊した刀の鍔を指で弾いて刀身を出し入れするのが、ベルクトの癖だった。
「ガラン殿の夢の中で、ゴーダ様の身に一体何が……?」
ガランの寝言に対して、ベルクトが真剣そのものの声で呟いた。東の四大主“魔剣のゴーダ”の右腕たる漆黒の騎士ベルクトにとって、たとえそれが他人の夢の中であろうと、ゴーダという存在が自らの主であるということに変わりはないのである。
ガランの夢の中のゴーダを案ずるばかりに、ベルクトの顔をすっぽりと覆い隠している兜の奥で紫炎の眼光がゆらりと揺れた。
「……へ、へ……へぶしっ!」
そしてそれに促されるように、大きなくしゃみをしたガランが目を覚まして、長椅子の上にむくりと身体を起こした。
「……何じゃ……? 何やら殺気が……?」
やがて、寝ぼけ眼で頭を掻きながら辺りを見渡すガランと、工房の入り口で刀の鍔を指で何度も弾いているベルクトの目が合う。
「おお、ベル公、おったんか! 起こしてくれればいいものを」
「何度もお呼びしましたが……いえ、ゴーダ様が大事になられる前に起きていただけたのなら、問題はありません」
「ん?……よぉ分からんが、まぁえっかの。うーん、よく寝たわい」
淡々とした口調で話すベルクトに首を傾げながら、ガランが脳天気にガハハと笑って身体を伸ばした。漆黒の騎士の兜の奥に揺れていた紫炎の眼光は、女鍛冶師が気づくより先にふっと消えていた。
「ガラン殿、戦闘態勢は解除されていますが、城塞にはまだ警戒態勢が発令中です。ゴーダ様も不在のこの状況下で眠っている場合では……」
ベルクトがやんわりと、ガランの態度に苦言を呈す。
「ぶぅー……ベル公がいじめよる……ちょっとぐらい眠りこけてもいいではないか!」
頬を膨らませ口を尖らせて、ガランがぶーぶーと不満を口にした。
「お言葉ですがガラン殿、人間ではないのですから、そのように頻繁に眠られる必要もないと思われますが」
人間より遙かに屈強な肉体を持っている魔族は、深く長い眠りを基本的に必要としない。数十分の浅い眠りがあれば十分で、その気になれば1週間以上一睡もせずにいることも可能だった。“魔剣のゴーダ”が指揮する“イヅの城塞”では、元人間であるゴーダの生活習慣を反映して1日の半分は非番時間という規則になっていたが、“明けの国”との戦端が開いてからは24時間の厳戒態勢が敷かれていた。
事実、ベルクトを筆頭に置く105名の“イヅの騎兵隊”は、人間たちの侵攻が始まって以来、全く眠っていなかった。
「……ま、いろいろあるんじゃよ」
そう言うガランの顔は、いつの間にか真剣な顔つきになっていた。ふと女鍛冶師が横に目をやると、その先には巨大な炉の傍に作られた作業場があった。赤熱した鉄を掴む鋏、それを叩き鍛える槌、刃を研ぎ上げる鑢に砥石……無数の工具が、そこには整然と並べられている。
「ベル公や、お主には分からんかもしれんがの、ワシにとっての鍛冶仕事とは、子を産み育てるのと同じことなんじゃ」
作業台の上に寝かされている、打ち終えたばかりの刀の刀身を愛おしそうに撫でながら、ガランが言葉を続ける。
「一言で“鉄”と言ってもの、それはひとつじゃないんじゃ。鉄鉱石の産地やら混ざりもんやら炭の火加減やらで、鉄は表情をコロコロと変えおる。じゃからの、同じように作っても、全く同じ物は絶対に生まれないんじゃ。ワシはそれが、堪らなくかわゆうてな」
「……」
「特に、刀じゃな。打ち鍛える一投一投、焼きを入れてやる瞬間、刃を研ぎ上げる長い長い時間……全ての工程で、“この子ら”は自分たちのことをワシに教えてくれるんじゃよ。“もう少し強めに鍛えてくれ”だの、“焼きが入り過ぎたぞ”だの、“綺麗な刃紋にしてくれてありがとう”だのとな……。それがかわゆうて、かわゆうて……ついつい、格好良く生まれたがる“この子ら”の為に、全身全霊を注いでしまうんじゃよ。お陰でワシは、刀を打ち終えるたびに産後の母のようにヘトヘトというわけじゃ、ガハハ……」
「ガラン殿……」
「何、ちぃっとばかし他の魔族の連中よりもよく眠るかもしれんがな、それだけのことじゃよ。お主ら“騎兵隊”は揃いも揃ってゴーダの言いつけ通り、ワシの刀らを丁寧に使ってくれるからの。そんなお主らの為にもいい物を作らねばと、気合いが入っている証拠じゃよ」
そう話すガランの顔は、終始穏やかに笑っていた。それは腹を痛めて産んだ可愛い我が子たちのことを想う母親の顔、そのものだった。
「……申し訳ありませんでした、ガラン殿……そのような事情があったとは知らず……」
ベルクトが、兜を俯けながら言った。腰に吊した刀を指で弾く癖は止まっていて、代わりにその柄にはそっと手が添えられていた。
「いや、いいんじゃいいんじゃ。ワシが好きでやっとることじゃからな。お主とこういう話をすることはこれまでなかったからのう、いい機会じゃったわい」
長椅子の上にあぐらを掻いて座っているガランが、ガハハと豪快に笑い飛ばした。
「どれ、ワシも後で上に顔を出すとするわい。要はそれを言いに来たんじゃろ、ベル公や」
「はい、ゆっくりお休みになられてからで構いませんので、ゴーダ様不在の間の城塞の指揮運用について、皆を揃えて話し合おうと」
「相分かった」
「では、失礼いたします」
そう言ってベルクトはぺこりと律儀に頭を下げて、静かに扉を閉めて工房から出て行った。
……。
……。
……。
「……ふぃー……危ない危ない。嘘は言っとらんが、『さっきのはふつうに酒に酔って寝とっただけじゃ』とは口が裂けても言えん空気じゃったわい」
工房に1人になったガランが、ふぅと額に浮いた汗を腕で拭いながら右手に握っていた徳利を棚の中に戻した。ガランはこの工房を作業場兼私室として使用していて、作業場側は整理整頓が行き届いていたが、私室側は恐ろしく散らかっていた。その様は正に、このがさつで繊細な女鍛冶師らしいものだった。
「うーむ、しかし、待てよ。ベル公は『ゆっくり休んでからでいい』と言っとったな。ウシシ、ならばもうちょい飲んでからにしよっかの……」
そう言って再び手にした徳利にガランが口をつけようとしたとき、城塞内がにわかに慌ただしくなり、ウシシと笑っていたガランの顔から笑顔が消えた。




