18-4 : 平坦な灰色
――“宵の国”陣営。
――“ネクロサスの墓所”、中心部。
「……カッカッカッ……」
表面のところどころに雑草が繁茂し、半ば朽ち果て土に還りかけている神殿の遺跡。その内部に据えられた皇座に掛けた北の四大主“渇きの教皇リンゲルト”が、白骨化した顎を打ち鳴らして笑い声を上げていた。
「おぉ、おぉ……我が2万の軍勢を容易く打ち破り、威勢良く前進してきよるわい……」
丘の上に築かれた神殿遺跡からは、砂煙を上げながら前進してくる真紅と銀の騎士たちからなる人の波が眺望できた。“墓所”の丘陵地帯を埋め尽くさんばかりのその光景を前にして、リンゲルトは感嘆の声を漏らした。
硬い骨だけの存在であるリンゲルトには、当然“表情”というものが存在しなかったが、法衣を纏った北の四大主の何もない眼窩には、どことなくこの状況を楽しんでいるような気配があった。
いや、それは正確には、幼い存在の衝動的な行動を前に、口許を緩めているといった態度だった。
「老骨相手に、全く容赦のない連中よ……やれやれじゃわい……」
リンゲルトが、皇座の上に溜め息をつきながら深く身を沈めた。最古参の四大主である教皇の全身の骨が、キシキシと軋む音を立てる。
……。
……。
……。
「……カッカッカッ」
“渇きの教皇”が、どこにも繋がっていない骨の口を開けて、不気味に笑った。
「そうじゃ……我が“黎明歴”を相手に苦戦するようであっては、こちらも興が醒めるところじゃわい……。よかろう……もう少し、貴様らの遊戯につきあってやろうではないか……餓鬼どもよ……カッカッカッ」
風もない中でリンゲルトの法衣がふわりと揺れ、どこからともなく、灰が宙を舞っていった。
「――“遡行召喚:平定歴”……」
***
――“明けの国騎士団”進軍地帯、前線。
“ネクロサスの墓所”の北東・東方・南東、計3方面に展開し、“神速の伝令者”による統率のとれた動きで同時多発的に進軍した“明けの国騎士団”。その各師団はそれぞれが“墓所”の中心部に向けて放射状の進路で前線を上げ、やがて3方面の部隊が1つに合流し、今や巨大な侵攻部隊となって一直線に進撃していた。
“宵の国”側の2万の骸骨兵たちは8割以上が行動不能に陥り、全滅を通り越して殲滅状態となっていた。
人間の侵攻を妨げるものは、何もない。
「エレンローズ様!」
最前線を行軍していく第6師団に所属するエレンローズの下に、“神速の伝令者”の指令を伝える為、軽装の騎士が騎馬に跨がり駆けつけた。
エレンローズの騎馬は足が速く、最低限の装備だけを纏う連絡用の軽装騎馬でも併走するのがやっとだった。
「何」
駆けつけた騎士には目線をやらず、ただ前だけを凝視してエレンローズが言った。
「本陣より、伝令です! 『全軍前進。敵陣本営を一気に制圧せよ』、と!」
「……」
伝令を聞き届けた女騎士は、口を真横に結んだまま目線を“墓所”の彼方へと向けている。
「……エレンローズ様?」
復唱も何もないことに戸惑った連絡騎士が、女騎士の名をもう1度呼んだ。
「言われなくても、承知してるわ。早く下がりなさい。そんな軽装で最前線を走っていたら、死ぬわよ?」
エレンローズは連絡騎士の言葉に応じこそしたが、視線が横を向くことはなかった。
「……確かに伝令、お伝えいたしました。……。……エレンローズ様」
「……今度は何」
連絡騎士が、駆ける馬上からちらりと背後を振り返り、エレンローズにだけ聞こえるように声を抑えて口を開いた。
「……なぜ、エレンローズ様が“特務騎馬隊”と同行されているのです。彼らは“騎士団”の指揮下にない独立部隊のはずでは……」
その言葉を聞いて、女騎士の灰色の瞳が初めて連絡騎士の方にきょろりと向けられた。
「……単純な話よ」
ゆっくりと口を開くエレンローズの目は、たったひとつの目的のみをじっと宿し、ただそれだけを真っ直ぐに見据えていた。その瞳には周囲の何者も映り込んでおらず、そこにはただ混じりけのない平坦な灰色だけがあった。
「彼たちの方が、強いんだもの……」
そう言って後ろを見やったエレンローズの目線の先には、真紅の甲冑を纏う騎士から投擲槍の補充を受け取る鬣の赤騎士の姿があった。
「弱い人たちになんて、ついてこられるだけ、迷惑よ」
軽装騎士は、短くそう呟いたエレンローズの目を見返しながら、喉が不気味に渇いていく感覚を覚えた。何と冷徹な目。何と冷淡な言葉。そこには王都で何度か言葉を交わした女騎士の面影など、どこにも残っていなかった。
それきりだった。エレンローズは目線を正面に戻し、口を噤んで、それきり軽装騎士の存在に注意を払わなくなった。
軽装騎士は騎馬の手綱を引き、無言のまま“右座の剣”の隊列から離れていった。
エレンローズの忠告に従った軽装騎士の行動は正しかった。でなければ、次の瞬間に飛来した青銅の矢の雨から生還することなど、できはしなかっただろう。
***
「――新たな敵兵? 確かな情報ですかな?」
“明けの国”陣営、本陣。魔族勢力を表す黒い駒の取り払われた地図を見やりながら、細身の参謀官が怪訝な顔を浮かべた。
「前線からの最新情報です。複数隊から同様の報告が。確度は信頼できます」
情報官が部下に指示を飛ばして、慌ただしく術式巻物を整理しながら告げた。
「ふん、貧弱な石器を振り回すだけの烏合の衆が幾ら加勢に来たとて、この戦況は変わりはせんよ」
戦端が開くと同時に吸い出してから、これで何本目かになる新品の煙草に火をつけながら、口ひげの参謀官が鬱陶しげに言った。
「魔族側の援軍規模と布陣を報告させよ。場合によっては、こちらの陣形も変えねばならぬ」
初老の参謀が、落ち着き払った声で淡々と言った。
「その必要はありますまい。駒運びは既に佳境。王手もいいところですぞ」
口ひげの参謀が、ふんと鼻で短く笑い飛ばした。
「王手間近で気を大きくするのは、貴殿の悪い癖じゃ。それで何度、私に盤戯で差し負けたか覚えておいでか?」
初老の参謀が鋭い目つきで口ひげの参謀を見やる。たしなめられた参謀官は、火をつけて間もない煙草を灰皿に押しつけ大きく咳払いをした。
「前線情報、詳細上がってきました」
山積みの“神速の伝令者”に浮かび上がった文字情報をまとめ、要点を紙面に書き殴った情報官が、硬い口調でそれを読み上げる。
「敵兵援軍、青銅器で武装しています。弓兵、槍兵……騎馬の存在も確認」
その情報を耳にして、細身の参謀官が目元をぴくりと動かした。
「……青銅器? 兵科も複数種? これまでのただの骸骨兵の集まりとは随分と異なる構成ですな?」
「虎の子、か。うむ……確かに、王手までにはまだ幾分か手数が足りぬようであるな……」
口ひげの参謀が、地図上から除けていた小さな黒い駒を数個指に挟んで、再び並べ始める。
そして、情報官が更なる最新の戦況を告げる。
「――です」
……。
……。
……。
駒を配置する参謀官の手が、ぴたりと止まった。
「――待て……今、何と言った?」
聞き間違いではないかと、口ひげの参謀が情報官の顔を見やった。
「敵兵の援軍規模が、何と?」
情報官が、手元の覚え書きを覗き込み、その数字を確かめて、再び告げた。
「……敵兵援軍、規模、5万」




