17-20 : そして溢れる、貴方の思い出
――“宵の国”、西方。
――“大断壁”、“螺旋の塔”。
――250年前。
――“あの日”。
――。
「……何故だ……ローマリア……」
――“何故”? 何故、そのようなことを訊くのです、ゴーダ?
「答えろ……ローマリア……!」
――簡単なことですわ、ゴーダ。
「……何……?」
――わたくしは、力を求めましたの……。魔法という枠を超越した、全く新しい力……全く新しい概念を……。
「そんなことの為に……」
――“そんなこと”? そんなことを、そんなつまらないことを、言わないでくださいまし、ゴーダ。
「お前は……そんなことの為に……! そんなことの為に……“大断壁
”の要塞を、“螺旋の塔”を、魔族軍を、滅ぼすのか……!」
――不可抗力、でしたの。まだわたくしには、この力を……“彼ら”の力を、うまく扱えないようですので。でも……貴方を傷つけずに済んで、本当によかったですわ。
「何を……何を言っている……ローマリア……?」
――さあ、これでわたくしは、貴方の遙か先を歩いてゆけます……。これでやっと、胸を張って、貴方の師であり続けることができますわ。
「……」
――ですから、ね? ゴーダ……これからも、ずっとずっと、わたくしの弟子でいてください。治癒の魔法書に触れられないわたくしに、魔法書を開いて読ませてください。
「……」
――それから時々、オレンジタルトを食べましょう? “星見の鐘楼”で、貴方とわたくし、2人きりで……。
「……」
――? ゴーダ……?
「……断る……」
――……え?
「……何を言っているんだ、お前は……! 魔族の同胞たちを皆殺しにしておいて……魔族軍を全滅させておいて……俺を、裏切っておいて……!」
――……ゴーダ? ですから、それは仕方のなかったことで……。わたくしは、貴方の為に――。
「黙れ……! 力だと……? 何だそれは……何だ“そいつら”は……! それは、禁忌だ……この世界の摂理を逸脱した、触れてはならない、外法だ……!」
――そんな……ゴーダ……わたくしは、ただ――。
「近づくな……! 外法者……!」
――嗚呼、ゴーダ……何故、刀を抜くのですか……?
「ローマリア……今すぐ、そんな力は捨てろ……頼む、捨ててくれ……!」
――それが……貴方の望みなのですか……?
「違う……! 望んでるだとか、望んでないだとか、そういうことじゃないんだ……!」
――……そう、ですか……。
「……」
――ええ、“分かりましたわ”。
「ローマリア……」
――でしたら、今すぐに、わたくしを殺してください、ゴーダ。
「なっ……!」
――わたくしの意志では、もうこの力を、切り離せません。この力を、元あった次元に還すには、貴方の“魔剣”でこの右目ごと、わたくしを斬るしかありませんわ。
「……っ……気でも振れたのか、ローマリア!」
――……いいえ? わたくしは、正気ですわ。わたくしはただ、事実を言っているのです。この力が不要だと言うのならば、そうするしか、ありません。
「……ロー、マリア……」
――わたくしは、おかしくなってなどいませんわ……わたくしは、貴方に追いつかれるわけにはいかなかった、それだけです。その為に、“それだけの為に”、わたくしはこの力を求めましたの。それを得るためには、犠牲が出ることも承知していました……貴方に、怒られることも、覚悟していましたわ……。それでも、貴方ならきっと、力を得たわたくしを、受け入れてくれると思っていましたの……そう信じて、いましたの。
「……」
――貴方の師で有り続けることができるのなら、貴方の視界に在り続けることができるのなら、わたくしは、どんな力だって、手に入れてみせます……この身が、転位魔法の波長と完全に同調しているこの肉体が、“あれ”に侵されようとも……。
「……」
――ですけれど、貴方がこの力を拒むのなら、ええ、わたくしも、こんなものは、いりません。
「……」
――同胞たちを殺して、胸が痛まないはずがないでしょう? 罪の意識が、ないはずがないでしょう?
「……」
――貴方に出逢うまでのわたくしは……わたくしの望みは……傷ついて悲しんでいる方を、癒やして差し上げたかった……その為の、力が欲しかった。それが願いでしたわ。ですからわたくしは、無理と分かっていても、治癒の魔法を学ぶことを諦めきれなかったのです……。
「……」
――ですから、あのとき貴方がわたくしに、治癒の魔法書を開いてみせてくれたのが、本当に……本当に、嬉しくて……。
「……」
――初歩的な魔法の話をするだけで、とても喜ぶ貴方の顔が、とても……とても、可笑しくて……。
「……」
――そして、いつの頃からか、貴方が喜んでくださることが、わたくしにとっての、喜びになっていましたの……。
「……」
――気がついたときには、貴方が望むものが、わたくしにとっての望みになっていましたの。
「……」
――ですから……貴方なら、この力もきっと望まれるはずと、思っていましたの。
「……」
――ですから……貴方がいらないものなんて、わたくしには、何の価値もないですわ……。
「……」
――ここに残っているのは、同胞の血で汚れたこの手だけ……もう、罪悪感で、押し潰されそうなのです……後悔で、おかしくなりそうなのです……耐えられそうに、ありません……。
「……」
――ですから、ね? ゴーダ……お願いします……馬鹿なわたくしを、愚かなわたくしを、夢から醒めたわたくしを……殺してください……この世界に存在してはならないこの力を、滅してください……。
「……お前はこの俺に、斬り捨てろと言うのか……ガランの鍛えた、この刀で……! そんな顔で、泣いている女を……っ!」
――ふふっ……。ごめんあそばせ。涙は女の武器ですものね……意地悪しているわけではありませんのよ? ただ……どうしても……どうしても、止めることが、できなくて……ふふっ……。
「……っ……覚悟しろ……ローマリア……! お前のことは……絶対に、絶対に許さん……! やっと、やっとお前に手が届くと思っていたのに……お前の隣に、ようやく立てると思っていたのに……!」
――ゴーダ……。
「……そんな力に手を出したお前を……遠くに行ってしまったお前を……俺はずっと、恨み続けるからな……!」
――ええ……もう一緒にいられないというのなら、もう2度と戻れないというのなら、せめて、恨み続けてください……貴方に想い続けてもらえるのなら、それも、悪くはないですわ……。
……。
……。
……。
――ですから……もう、終わらせてくださいまし……。
……。
……。
……。
――嗚呼、あの女鍛冶師が鍛えた刃……とても、美しいのですね……。
……。
……。
……。
――少し、妬けてしまいます……。
……。
……。
……。
――どうなさいましたの?
……。
……。
……。
「……ローマリア……この、馬鹿野郎が……!」
――ゴーダ?
「馬鹿野郎……俺に……お前を斬れる訳が、ないだろうが……!」
――……。
「……俺は……何も……何も、してやれん……」
――……もう、一緒にはいてくださいませんのね……。
「……すまん……」
――……殺しても、くださいませんのね……。
「……すまん……っ」
――……わたくしの望みは、すべて……叶わないのですね……。
「……っ……」
――……嗚呼、酷い人……。
「俺の望みを、勝手に履き違えた貴様が言えたことか……!」
――……そう、ですね……そうかも、しれません……いいえ、きっと、そうなのでしょう……。
「……」
――……ならば……もう、出ておゆきなさい、ゴーダ……。
「……」
――出て、おゆきなさい……もう貴方が、わたくしと一緒にいられないというのなら……貴方が、わたくしを殺してくださらないというのなら……。
「……」
――わたくしが、貴方のことまで殺してしまう前に……師匠としての最後の命令、“翡翠のローマリア”としての最後のお願いです……出て行って、ください……今、すぐに……。
……。
……。
……。
「……俺は……“私”は……お前を絶対に……絶対に……絶対に絶対に、許さん……。私のこの恨み、お前に裏切られた、この恨み……お前を恨むことしかできない、無力な私自身への恨み……忘れるなよ、ローマリア……忘れるなよ……!」
――……ええ……。
「……だから、お前も……私のことを、恨んでくれ……。お前にそんな選択しかさせてやれなかった、情けない私を、恨み続けてくれ……!」
――……はい……。
「……。……さらばだ……我が師よ……」
――……ふふっ……さようなら、破門の弟子よ……。
……。
……。
……。
――さようなら……。
……。
……。
……。
――ごめんなさい……。
……。
……。
……。
――。
あの日、わたくしは、珍しく深い眠りに落ちていました。ゴーダ、元々は人間だった貴方とは違って、生まれながらに魔族であるわたくしは、頻繁な眠りを必要とはしません。
そんなわたくしが、あんなに深い眠りに落ちたのは、異常と言ってもよいことでした。
意識が溶けていく瞬間というものを、あれほど強く感じた眠りは、わたくしにとって、初めてのことでした。
無限に続く虚無の中に落下していくような、不思議な浮遊感が、ありました。
そしてわたくしは、“夢”を見ました。浅く短い眠りしか必要としないわたくしにとって、それはとてもとても長い、“夢”でした。
その“夢”は、真っ暗な夢でした。どこまでも、どこまでも……どこまでもどこまでも続く、暗黒の夢……。果てしない暗闇のその向こうに、輝く星々が砂粒のように散りばめられた、宇宙の夢……。
果てのない、永遠に続く、宇宙を見上げる夢……。
わたくしたちの、小さな世界に満ちる“魔力”とは異なる、神秘に満ちた、宇宙の夢……。
わたくしたちの、矮小な生命に宿る“魂”とは異なる、大いなる根元たる、宇宙の夢……。
嗚呼、ゴーダ? わたくしは、気づいてしまいましたの……。これは、“夢”なのです……ならば、わたくしが見ているこの星々は、一体どこにあるのでしょう……?
あの星々は、見上げる夜空にあるのではないのです……。
その星々は、わたくしたちの、脳の中に……わたくしたちの、精神の中に……わたくしたちの、魂の中に……わたくしたちの、魔力の中に……。
嗚呼、わたくしは……あの“星々”に相応しい呼び名を、知らないのです……。
ですから、ね? ゴーダ……わたくしは、その“星々”を、そう呼ぶことしか、できませんの……。
……。
……。
……。
――“第3概念”、と……。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――。
――ぐるり。
ローマリアの右目、濁りきった翡翠色の瞳が裏返り、白目を剝いた。
ぐるり。
そして、その右目が、“更に裏返った”。
曇りきった翡翠の右目、その眼球の裏側には、由来の知れぬもう1つの瞳があった。
ゆえに、同族殺しの西の四大主は、“三つ瞳の魔女”と呼ばれている。
“あの日”以来、片時も閉じられず、1度の瞬きさえもせず、魔女の脳髄へと続く暗闇を見つめ続けた“星の瞳”が、250年の時を経て、外の世界を、映し出す。
外界に向けられた“星の瞳”が、“第3概念の使徒”が、世界を、侵食していく――。




