御簾越しの山
御簾越しの山【みすごしのやま】
遠くだったり、霞んだりして、ぼやけて見える山。
春の空は、青く晴れきっているようでも、遠くの山々を見るとかすんでいたりする。
うすく、その姿を透かした影は、稜線がわかるから、見過ごしたりはしないけれど。
たぶん、しないけれど。しないと思うんだけど。
遠く身近な山々の奥にたたずむ富士の峰とか。
霞んでみえていない日でも、あそこにあるんだなあって、景色の中に形を思い描いてる。
かつては、高貴なお方は、御簾越しにしかお会いできなかった。
御簾に透かされたその影の仕草とか、仕草に付き添って放たれる香とか、はっきりとしないけれど、はっきりとしないからこそ、優雅に感じられて。
あの霞んだ御簾の向こうにある霊峰は、いかにもそれだけの存在感をもっている。
直接は見れないことで、その姿はイメージの中で、現実よりも洗練されて、現実よりも事実に近づいていってるのだろうか。
御簾の向こうの姿を想像することで、より一層この意識が彼の頂に近づいていっているのだろうか。
見えなくなった時に、見えてくるもの。
見える時にこそ、見えてくるもの。
それを重ね合わせた時に、真実はこの眼に写るのだろうか。
御簾越しの山の、その姿は、常とは変わらなくとも、その真により迫って、わたしたちの意識に映し出される。




