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 信夫は居間のソファに座っている康子を見て――

「役場に行って母さんのこと伝えてきた。あとで葬儀屋さんに来てもらうから」

 と言った。

 そして、キーケースをテーブルの上に投げるように置くと、疲れたように背中を丸めてソファに腰をおろした。

「お父さん……一つ教えて欲しいの」

「なんだ?」

 信夫は康子の顔を見た。

「本当は今日、法事をやる予定だったんだよね?」

「……ああ、そうだな。お母さんがあんなことにならなければな」

「それは本当なの?」

「え?」

「法事なんて嘘だったんじゃないの?」

 その言葉に信夫の顔が引きつる。

「な……何を……」

 声がうわずっている。

「おじいちゃんの法事だったら、近所の人たちに声かけていたんだよね。当然、区長さんも呼ぶ予定だったんだよね」

「……」

「さっき喜一さんが来たとき、太一さんは今日、仕事に行ったって言ってたでしょ。もちろんお母さんの事件で法事なんて出来るわけない。でも、本当に法事の予定が入っていたとしたら、太一さんが今日、仕事に行くわけないよね? 法事って嘘だったの?」

 少し間を置いてから、信夫が小さな声で言った。

「……すまん」

「どういうこと? 教えて。何のためにそんな嘘をついたの?」

「法事は……その……母さんが考えたんだ。おまえと話をしたいって……」

 信夫は膝の上に置いた手をギュッと握り締めた。

「私を帰らせるために?」

「うん」

「話しって? お母さんは何の話をしようとしてたの?」

「……」

「お父さんはお母さんのこと何か知ってるんじゃないの?」

 自分の声が震えてることを感じながら、康子は言った。

「……康子」

「昨日、帰ってきた時、お父さんは何も言わずに家に入ったよね? お父さんは誰よりも礼儀正しくて、挨拶だけは欠かしたことはなかった。さっきだって、ちゃんと『ただいま』って言ってた。それなのに昨日はそうしなかった。誰もこの家にいないことを知っていたからじゃないの? もしかして……お母さんが死んでいることを知っていたんじゃないの?」

「それは……」

「お父さん、何を知ってるの?」

 訊くのが怖かった。それでも真実を知りたかった。

 信夫はどう答えていいかわからないように、口を微かに動かした。だが、それは声にはならなかった。

 その時、一台のセダンが門から入ってくる音が聞こえ、康子は視線を窓へと向けた。

 それが警察の車だということはすぐにわかった。

 若い刑事が車を運転している。そして、その助手席から仙道が降りるのが見えた。仙道は若い刑事が車から降りようとするのを制して一人だけ家のほうに近づいて来る。

 嫌な予感がした。

 信夫は何かを隠している。だが、今はそれを追及している余裕はなかった。

 考えている間もなく、玄関からチャイムの音が聞こえてきた。

 康子は信夫との話を中断して、仙道を迎えいれるために玄関に急いだ。

「寒いですね」

 居間に入ってくると、仙道はそう言って信夫の顔を見た。「昨夜もずいぶん冷えたみたいですね」

「そうですね」

「昨夜、水道は凍りませんでしたか?」

 そう訊きながら信夫の正面に座る。

「大丈夫です。一応、少しだけ水を出しておきましたから」

 と、その脇に立ったままで康子が答える。

「そう。やはり水を出しておけば凍らないんですね。じゃあ、その前日はどうして凍ったんでしょうね?」

 ドキリとした。

「それは咲江が殺されてしまったから……」

 と信夫が言った。

「奥さんはいつも9時には布団に入られるんですよね?」

「はい」

「じゃあ、亡くなられた時間にはすでに寝ようとしていたはずですね。つまり布団に入ったあとで殺されたとすれば、水道の水は出していたんじゃないですか?」

「じゃあ……殺されたのはもっと前ということに……」

「実は司法解剖の結果が出ました」

 仙道の声は厳しさを増した。「死亡推定時刻は夜9時から10時の間と見られます」

「そ、それじゃ、まだ寝る前だったかもしれない」

「そう考えることも出来ますね。ところで昨夜、ご主人はホテルに泊まられたと言ってましたね」

「はい」

「東京へはお一人で行かれたんでしたね?」

「そうです。ホテルに確認してもらえばわかります」

「それは確認が取れました。しかし、それが一人で行ったという証明にはなりませんよ」

「どういう意味ですか?」

「解剖の結果、一つおかしなことがわかりました。咲江さんの胃にはラーメンが残されてました。ほとんど消化されていない状態でした。たぶん食べた直後に殺されたんでしょう」

「ラーメン?」

 信夫の目に戸惑いの色が浮かんだ。

「確かご主人の話では、夕食にはコンビニのお弁当を用意しておいたんですよね?」

「はい……弁当は用意しておきましたが、ラーメンくらいは自分で作って食べたのかもしれません」

「確かにそういうことも考えられますね。けどね、調べてみると、その麺が少し変ったラーメンで、パプリカとタピオカパウダーが練りこまれていたんです。もちろんインスタントラーメンやカップラーメンなんかじゃありません。そんなラーメン、いったいどこで食べられると思いますか?」

「さ、さあ……」

 信夫の手が落ち着き無く、開いたり握ったりを繰り返している。

「調べてみたんです。そしたら、東京にある人気のラーメン屋さんで出してることがわかりました。そこのご主人に電話して聞いてみました。麺は特別に作っているもので、他にあるはずがないってことです。事件の夜、咲江さんはどこでそんなものを食べたのでしょうね?」

 その言葉に康子も愕然としていた。そこは康子もよく知っていた。あの夜、信夫を連れて行こうと思ったラーメン屋だ。

「そ……それは……」

「つまり、奥さんはあの夜、この家にはいなかった。あなたと一緒に東京へ行っていたのではありませんか?」

「……」

 仙道の追求に、信夫の表情が悲しく歪んでいく。

「答えなさい!」

 家中に響き渡る声だった。その声に信夫は身を竦めた。そして――

「……あいつ……そんなもの食ってたんですか……」

 力のない声が漏れた。

「あなたは昨日、奥さんを連れて東京に行きました。そして、ホテルに行く前に車のなかで奥さんを殺した。その後、奥さんのことを車内に隠して、そ知らぬふりをして翌日に娘さんたちを連れて帰宅し、隙を見て客間の押入れに奥さんを押し込んだ。違いますか?」

 その厳しい声に、信夫は肩を落とした。

 康子にとってもそれは衝撃的だった。

 信夫が何かを隠していることは想像していた。だが、咲江を殺したのが信夫だということはとても思いもよらないことだった。

 階段を降りてきた菫が居間のドアを開けた。その緊迫した空気を察したのか、固い表情をして康子の横顔を見つめる。

 康子も菫に状況を説明することも出来ず、ただ信夫を見つめていた。

 信夫は康子と菫に視線を送り、それから仙道のほうを見た。そして、搾り出すように声を出した。

「……そうです。俺が……やりました」

「なぜ奥さんを殺したんですか?」

 その問いかけに信夫は再び口を真一文字に結んで視線を落とした。

「私のため?」

 思わず康子は声をかけた。「お母さんは私のことを……ううん、私がおじいちゃんから引き継いだ遺産を自分のものにしようとしていたんじゃないの?」

「どうなんですか?」

 仙道が信夫を促すと、信夫はそれに反応するように、覚悟を決めたように顔をあげて口を開いた。

「そうです。あいつは……康子を剛君と結婚させようと考えていました。そうすれば康子が父から譲られた財産を自由にすることが出来るって……もしも、康子が断れば、監禁してでも言うことをきかせると言いました。最初は冗談だと思ってました。ところが、あいつはそれを本気で計画していたんです。康子を住まわせるための部屋を建て、剛君にも話をしていました。そして、ついに……あいつは計画を実行にうつそうとしていたんです」

 信夫の話にゾッとした。あのプレハブは、やはり自分のことを監禁するために建てられたものだったのだ。

「あなたがそんなことをさせなけれいいだけのことでしょう」

「そんな……そんなこと俺には出来なかった。でも、康子のことは守らなきゃいけなかった。そう史子に約束したんだ。俺に出来るのは……あいつを殺すことだけだったんだ。私は娘たちを守りたかったんです」

 信夫は言った。

 康子の隣で菫の小さな泣き声が聞こえていた。


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