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田舎の村はずれの一軒家でも、30分も経たないうちに警察はやってきた。
何人もの警察官がドヤドヤと上がりこみ、物々しい状況へと変った。
康子たちはどうすることも出来ず、居間のソファに座ってなりゆきを見守るしかなかった。
菫は気分が悪くなったといって、2階の部屋で横になっている。
無理も無い。
康子も、咲江の姿が頭から離れない。
普段、咲江は寝室のベッドを利用していた。
ベッドの上に敷かれた布団は少し乱れていて、絞め殺された後で客間の押入れのなかに押し込められたのではないかと、真っ先に駆けつけた年配の警察官は話してくれた。
康子はソファに座って警察官たちがうろつき回っているのを眺めていた。少し遅れてやってきた私服の警官のなかにグレーのパンツスーツを着た女性の姿があった。
30歳くらいのその女性は私服の警官のなかでもわりと若いほうに見えた。だが、よく見ているとその女性が周りの警官たちに指示をしているのがわかった。
やがてその女性刑事が康子に近づいてきた。
「県警の仙道です」
その女性刑事は優しく声をかけた。
事情を訊くために、仙道は一人ずつ分けて居間から連れ出した。最初に信夫を、次に2階で横になっている菫に、最後に康子に声をかけた。そうすることでそれぞれの話の食い違いがあるかどうかを確認するのだろう。
「大丈夫? こんなことになってショックでしょうね。少し話し聞けるかしら?」
仙道は康子を玄関先に連れ出すと、気遣うように言った。
「大丈夫です」
「じゃあ、今日のこと、話してもらえるかしら?」
仙道は康子を促した。その言葉を受けて、康子は自分とこの家の関係から話し始めた。自分が東京で暮らしていることと、今日帰ってきた理由も話したほうがいいと思ったからだ。
仙道は時々、相槌を打ちながら、康子の話に耳を傾けた。
頻繁に玄関を出入する警察官たちの姿が気になったが、それでも康子は話を続けた。
康子の話が、咲江の遺体を発見したところまできたとき――
「仙道さん、水道屋が来てますが」
一人の警官が玄関のドアを開けて声をかけた。
「水道屋?」
仙道が振り返る。警官のすぐ後ろにツナギ姿の若い男の姿があった。
「ミサワ水道といいます。あの……水道が凍結したということで電話をいただいたんですが……」
若者はどうしていいかわからなそうな顔をして玄関に立っている。
「すいません……今、こんな状態で……」
康子もどう対応していいかわからなかった。家のなかは警官たちが歩き回り、自分たちでさえ身を小さくしていなければいけない気がするのだ。
「水道、凍ったの?」
と仙道が康子に訊いた。
「はい……家に帰ってきてから気がついて、電話してあったんです。でも、無理ですよね?」
「そんなことはないわよ。なおしてもらったほうがいいわ」
「いいんですか?」
「そりゃ、水道が出なきゃ困るでしょ」
仙道の言葉にしたがい、康子は水道屋の若者を台所へと案内した。
水道屋はあまりにも場違いな雰囲気に、居心地が悪そうにしながら康子の後をついてきた。
「ここ、もう大丈夫ね?」
仙道が鑑識の警官に確認をとった後、水道屋にOKを出す。
水道屋はホッとした顔をして作業に取り掛かった。
「よくこういうことはあるの?」
仙道が水道屋に訊く。
「昨夜は冷えましたから。あちこちで凍っちゃって」
作業を続けながら水道屋は答えた。
「今年の冬は寒いものね。じゃあ、一年に何度も凍ることもあるんじゃないの?」
「そういう家もありますね。慣れてる人は夜中に水を出しっぱなしにして凍らないようにするんですが……それを忘れると凍っちゃうんですよね」
「昔からそうなの?」
仙道が康子に訊いた。
「はい、咲江さんが家に来るまでは私が気温を確認しながらやってました。それに毎年、必ず凍るってわけでもありません」
「凍るかどうかは微妙なところなのね」
仙道はそう言って水道屋の作業を見つめた。
* * *
30分もかからないうちに水道は問題なく使えるようになった。
水道屋が帰っていくと、再び康子は居間に戻った。居間のファンヒーターのスイッチは入っているが、全てのドアが開け放されているため、部屋はまったく暖まらない。
信夫は別の刑事に連れられ、咲江の遺体が見つかった客間のほうに行っているようだ。
仙道はそのまま一人で外に出て行った。その姿は居間のソファに座って待つ康子の位置からも確認出来る。足元を眺めながらゆっくりと庭から表の通りに出て行く。きっと康子の話を聞いて、足跡を確認しに行ったのだろう。だが、首を捻りながらすぐに戻ってくる。
既にパトカーなどの警察の車が何台も来ているため、足跡は確認出来なくなっているのかもしれない。
「話は終わったのか?」
振り返ると信夫が立っているのが見えた。信夫のほうの事情聴取もどうやら終わったようだ。
「うん、お父さんのほうも? 何を聞かれたの?」
「同じ話を繰りかえしただけだよ」
そう言って疲れたようにソファに腰をおろす。
玄関のドアが開く音が聞こえ、すぐに仙道が姿を現した。
「外のプレハブは何ですか?」
信夫の姿を見て、仙道が問いかける。
「あれは……去年、妻が建てたものです」
「誰かが暮らしているわけではなさそうですね」
「……ええ」
「鍵がかかってるようですが」
「……ええ」
「見せてもらえますか?」
「あ……はい」
信夫は急ぎ足で寝室のほうに向った。そして、すぐに鍵を持って戻ってくると仙道に手渡した。
「私も行ってみていいですか?」
康子もそう言って立ち上がった。
「いいわよ」
仙道はすぐに康子の意図を察したように頷いた。
康子はサンダルを履くと、仙道の後についてプレハブに近づいていった。
鍵を開ける前に――
「出来るだけ部屋の中の物に触らないようにしてね」
そう言って仙道は康子にも白い手袋を渡す。「あなたもここには入ったことはないのね?」
「はい」
仙道が鍵をさしこんでドアを開ける。
室内を見回しながら、仙道は慎重に足を踏み入れた。康子もその後に続く。
「外から鍵をかけられたら、中からは開かないようになってるみたいね」
仙道はドアを調べながら言った。
「何のためでしょう?」
「さあ、まるで座敷牢みたいね」
確かに窓には面格子がハマっていて、これでは窓から出ることも出来ないだろう。
仙道は振り返ると――
「暗いわね。電気点けてくれる?」
康子は急いで照明のスイッチを捜した。だが、壁にはそれらしきものは見当たらない。迷っていると、部屋の明かりがパッと点いた。
振り返ると、仙道がその天井照明から伸びた細い紐を引っ張っていた。
「ホントに初めて入ったみたいね」
そう言って康子を見つめる。どうやら自分を試そうとしたようだ。
靴を脱いで中へ入る。
「まるで使ってたような様子がないわね」
そう言って仙道が部屋を見回した。
置かれているのは小さな棚とテーブル、そして洋服ダンスだけだ。綺麗に部屋は片付けられ、隅に置かれた小さなゴミ箱には何も入っていない。
手前が普通の部屋となっており、奥には少し狭いが台所とトイレが設置されている。仙道が言うようにどれも使われた形跡はない。
これから誰かがここに住むつもりだったのだろうか。
「あなたが帰ってきてから、誰かここに入った人はいる?」
「いないと思います」と康子は答えた。
「これは?」
仙道が訊いた。
部屋に置かれた小さなテーブルの上に、一枚の用紙が置かれている。それは婚姻届だった。そこにはまだ誰の名前も書かれてはいない。
「誰か結婚する予定だったの?」
「さあ……」
康子は首を捻った。
仙道は洋服ダンスに何も入っていないのを確認しながら首を捻った。
「ホントに誰も寝泊りしたような形跡がないわね」
「父は何て話してましたか?」
思い切って康子は仙道に訊いてみた。
「昨日のこと? ほとんどあなたと同じよ」
仙道はサラリと答えた。
「警察はどう見てるんですか?」
「どうって? 何か心配なことでもあるの?」
「いえ、そういうわけじゃないんですが……」
「今のところ、あなたたち3人にはアリバイがあるわ。誰かが深夜にここを訪ねてお母さんのことを殺して逃げたって考えるのが自然かしらね。昨夜降った雪で車のタイヤの痕も足跡さえも消えてしまったのかもしれない」
「そう……ですか」
「でもね、なんかしっくりこないのよね」
「しっくりこない?」
「そう。お母さんはどうして客間の押入れなんかに押し込められていたのかしら?」
「それは犯人が事件の発見を遅れさせるために……」
「お母さんが寝てるところを襲われたとしたら、本当なら寝室で倒れていたはずよね。もし、そのままだったとして、誰かに発見されたのかしら?」
「あ……」
「そう。押入れに隠したところで、発見がさほど遅れたというわけじゃなかった。じゃあ、何のために隠したのかしら……いえ、隠したのかどうかだってわからないわね。妹さんの話では、お母さんを見つけた時、押入れの扉は開いていたそうだから」
仙道はそう言ってドアを開けた。
「鑑識!」
部屋から出ると、仙道は他の警官に中を調べるように指示を出した。