役者は揃った
約五十年前魔王が現れ、聖剣に選ばれた無名の青年が仲間と共に魔王を倒した。
それにより世界は平和となり、青年は勇者と称えられこの国の王女と結婚してめでたしめでたし、と物語のように終わったと、ついこの間まで皆が思っていた。――新たな魔王が現れるまで。
魔王が現れて早一カ月と少し。聖剣に、ではなく王女に選ばれた勇者とその一行は魔王討伐のために街を――出ていなかった。
その勇者であるケントは訪ねてきた仲間のロイドに茶も出さず、本を読んでいた。
「おいケント、そろそろ魔王討伐に行く気になったか?」
「全然。てか魔王が現れただけで特に被害とか出てねぇじゃん」
「被害はなくとも皆不安がっているだろう」
「そうか? 俺には前と変わんねぇように思うけどな」
ケントが視線を窓の外に遣るのに釣られてロイドも外に目を向けると街人たちの楽しそうな姿が見えた。
ほらな、と言いたげな顔を向けてくるケントにまたも説得は失敗に終わった、とロイドは溜息を吐いた。
ケントにやる気がない所為か他の仲間たちもあまり気概がない。これは自分が何とかせねば、と意気込んだロイドだったが、成果は依然として出ていなかった。
ロイドはベッドに横になって本を読み耽るケントを見てもう一度大きな溜息を吐いた。
「お前はいつになったらやる気になるんだ?」
「ん~……そうだな、魔王が何か仕掛けてきたらな」
「それからでは遅いだろう」
「つってもなぁ、いくら魔王でも何もしてねぇ奴を倒すのは人道的にどうなんだよ」
ただ面倒くさいだけだろう、と思っていたロイドはケントの言葉に驚いた。
確かに何もしていない相手に魔王だからという理由で倒すのはおかしいだろう。思わず感動しそうになったロイドだったが、それならそうともっと早く言って欲しかった重い溜息を吐いた。疲れ果てたロイ
ドを労わるかのように鳥がピィ、と鳴いた。
「あれは……伝書鳥、か」
ロイドが鳴き声に目を向けると窓台に止まった伝書鳥がいた。
先程の鳴き声はロイドを労わった訳ではなく、手紙を届けに来た事を知らせるために鳴いたようだ。
青い羽色に王家の家紋の刺繍が入った布を巻き付けた伝書鳥は王女のものだ。何かあったのだろうか、とロイドは伝書鳥が届けた手紙を受け取るとサッと流し読んで目を見開くと、荒々しくケントの目の前に突き付けた。
「なんだよ、一体……」
真面目なロイドならば手紙のようなものは丁寧に扱うのに、普段しない雑な扱いに不思議に思いながらケントは突き付けられた手紙に目を通す。
そこには魔王討伐を中止する、と書かれていた。
ケントには嬉しい知らせだが、同時に首を傾げた。あんなに魔王討伐に乗り気だった王女が突然それを中止するとは思えなかったからだ。
それは王女の幼馴染であるケントだから感じた事なのかもしれない。
「エミリアに会いに行く」
「だが今いる街から動くな、とも書かれているが……」
伝書鳥は届けたい相手に必ず届くと有用だが、差出人は相手がどこにいるかまでは分からない。
つまり王女エミリアはすでにケントは街を出ていると思っているが、実際彼はまだ街にいる。
「王宮に行くのに街からは出ないだろう?」
「……エミリア様に叱られても知らんからな」
こうしてケントはやっとその重い腰を上げた。
「それにしても、何だかんだ言いつつエミリア様の心配をするんだな」
前を進むケントに笑顔でロイドが言った。それにケントは不愉快そうな顔をして振り返る。
「何言ってんだ?」
ケントとエミリアを知る者は大体お似合いの二人だと言うが、ケント自身はエミリアの事をただの幼馴染もしくは妹分としか思っていない。
だがケントとしてはそれですら良い方で、会えば人を見下したような態度で接してくるエミリアを嫌っていないだけましであった。
エミリアに会うたびケントは昔は可愛かったのに、と彼の後ろを雛鳥のようにくっついてきていた頃を思い出す。しかしそんな思い出は遠い昔で、現在は罵詈雑言の嵐。
だが周りは何故か二人を温かい目で見ていた。その理由はケントのみ知らない。
王宮までもう少しというところで二人は男たちに絡まれている少女を見つけた。
「ロイド、衛兵たち呼んでこい」
「分かった。……手加減しろよ」
ロイドが衛兵所に向かってくのを確認したケントは男たちに向かって行った。
「なぁお前ら、女の子一人に男共が寄って集って何してんだ?」
「あぁ? 何だお前」
「通りすがりの勇者様ってな。今ここで謝ったら見逃してやらねぇこともねぇけど?」
ケントの言葉にキレた男たちが襲いかかってくるのを交わしながら、ロイドの説得を聞き流して読んでいた魔導書に書かれていた術を咄嗟に使った。
「な、何だ? 体が動かねぇ」
「さっき読んだ本通りやってみたが、案外上手くいくもんだな」
あまり知られていないがケントの祖父は初代勇者の仲間である魔導師であった。それもあってかケントは魔法も得意である。否、剣よりも得意かもしれない。
「さぁ、どうする?」
逃げられない男たちに笑みを浮かべながらケントが近づこうとした時、後ろからカツンと良い音を鳴らして彼の頭が殴られる。
「手加減しろって言っただろうが」
「痛ってぇ、つか手加減してんだろ!」
「……まぁ、怯えてはいるが手は出していないみたいだな」
ロイドが呼んできた衛兵たちに捕らえられている男たちを見て一応納得したらしい。それを見て、殴られ損な気がしたが文句は言わず、ケントは男たちに絡まれていた少女に声を掛ける。
「大丈夫だったか?」
「は、はい」
怯えからか涙目で小柄な少女はケントを見上げた。
必然的に上目遣いになった少女に、小刻みに震える体。この国の女性には無いか弱い手足。
少女の目から涙が一粒零れ落ちるのと同時にケントは恋に落ちた。
* * *
執務机に並べられた書類を処理しながら、この国の王女エミリアは溜息を吐いた。
王女でありながら将軍の職にも就いている彼女は魔王が現れたという知らせを受けて、幼馴染でありこの国の兵士でもあるケントに勇者として魔王討伐の指令を出した。
本当は初代勇者の孫で実力もあるエミリア自身が行こうとしたのだが、父である国王に一人娘にもしもの事があっては、と止められたことにより彼女が信頼し腕のあるケントが勇者となった。
だがエミリアが溜息を吐いたのは過保護な父に呆れて、ではなく人質として預かっている少女にあった。
始まりはケントに勇者を任命してから十日程経った頃に届いた書状。
魔王が現れたことにより通常よりも多い書類整理に追われていた時、エミリアの侍女であり副官でもあるリサが差出人不明の書状を持ってきた。
見た目はただの白い紙でよく書状に使われるものなので、あまり不思議に思わずそれを開いた。開いたら爆発した、だとかはなかったが、そこに書かれていた内容が問題だった。
「魔王が降伏!?」
叫んだエミリアに驚いたリサが内容を理解してもう一度驚く。
まだ人間と魔族の争いが起こっていない段階での降伏宣言。書状には魔王とは思えないほど丁寧で、何か企みがあるのではないかと疑うほど下手に出ていた。
実際エミリアは疑った。かと言って無視することは出来ず、国王にだけこの事を知らせて魔王に手紙を送った。
そして返事の手紙はすぐに届いた。
信用していただけないのなら人質を差し出します、というこれまた丁寧な文章でますます疑いが深くなる。
だが人質引き渡しの期日に人質を差し出されれば、如何に怪しかろうが引き受ける他なく。魔王降伏を認め、今回の人間対魔族の争いは起こる前に終息となった。
そして残ったのが人質。少女を思い出してエミリアは溜息を吐いた。
魔王の娘と名乗った少女シオンは小柄で重いものを持った事がないような細腕で、とても魔王の娘とは思えないほど可愛らしい。
だからと言ってエミリアはシオンが魔王の娘じゃないのではないか、と疑っている訳ではない。間者としてなら多少疑ってはいるが、エミリアはシオンが人質としての義務を果たしていれば、ただの魔族の少女でも構わなかった。
では何が彼女を悩ましているかというと、シオンがケントの好みのタイプである可憐な子だからであった。
エミリアは幼馴染であるケントが好きである。
ケントと一緒に居たいがために剣の修業をしたり、害獣退治をしたり、魔物討伐をしたりと彼のやる事行く所どこでもついて行った。
それの所為かお陰か眠っていた力が呼び起され、彼よりも強くなってしまったのは予想外だっただろう。否、彼女の祖父を考えれば当然の結果だったのかもしれない。
後にケントの好きなタイプが可憐な子だと知ったエミリアは三日寝込んだ。
しかしエミリアは確かに可憐とは言い難いかもしれないが、別に筋骨隆々の男のような体格と言う訳ではなく、女性らしい体形にしっかりとした筋肉がついているだけで美人である。何とか周りに励まされ立ち直ったエミリアだったが、またもや難題が立ちはだかった。
エミリアは彼の前だと素直に好意を伝える事が出来なかった。
素直になろうと思えば思うほど空回りする彼女を急かすかのように現れたのが、シオンである。
この国の女性はエミリアに憧れて強い女性が多く、可憐と言える人はいなかった。また彼女の空回りを周りが分かっていた事もあって、エミリアのライバルとなりえる人もいなかった。そんな中でケントの好みど真ん中のシオンだ。
ケントにシオンを会わせれば確実に彼女に惚れる、という女の感が働いたエミリアは何とかケントを王宮に近づかせないように彼に手紙を送った。
それが自分もケントと会えないという事にエミリアは気付いていなかった。
やはりエミリアは空回りしたままなのであった。
* * *
魔物が蔓延る深い森の中に魔王城はあった。その城の玉座にて魔族の少年が叫ぶ。
「勇者が倒しに来る。どうしよう!?」
第二十五代魔王であるセシルは自身を倒しに来るだろう勇者に怯えていた。
だが彼は魔王であるが別に悪い事をした訳ではない。ただ先代の魔王が嗜虐的な性格で領土を奪うために人間たちを襲った事が、魔王とは残虐なもの、魔王が現れたら倒す、という法則が出来上がってしまったことによる魔王討伐だった。
セシルは先代より前のように魔族の領土でひっそりと暮らしていきたかったのだが、どこから情報が漏れたのか人間たちに魔王が現れたと知られてしまい、且つ勇者まで出てきたとなると、もう自分の人生終わった、とセシルは無心で縄を輪に括った。
「早まってはなりません、セシル様!」
セシルが輪に括った縄に首を差し入れようとした時、側近のサイラスが部屋へと入ってきたことにより彼が首を吊る事はなかった。
だがセシルの目に光はない。勇者が向かってくる以上、魔王の死は免れないのだ。
暗い空気を纏っているセシルに気後れしつつサイラスが一つ提案をする。
「セシル様、書状を送ってみてはいかがですか?」
「……書状?」
「はい。降伏する、と書くのです」
サイラスの提案にセシルはすぐに乗った。紙とペンを用意させ、なるべく印象が良くなるように丁寧に書いた。そして書状は速達で人間の王国へと届けられた。
それから五日後、人間の王国から届けられた手紙を読んでセシルは今度こそ首を吊ろうと椅子に乗った。
またしても止められたセシルは渋々縄を片付けて手紙をサイラスに渡した。内容はそんなこと信じられますか、というもの。
たった一回の先代魔王の悪行に苦しめられるセシルの目はもうこの世を映していない。
手紙を読み終えたサイラスはセシルのその様子に一歩後ずさり助言を与える。
「魔王様、人質を差し出しましょう」
「人質か……、でも一体誰を?」
「魔王様の娘を」
二人の間に沈黙が落ちる。セシルは顎に手を当てて思考に沈み、サイラスは微笑みながらそれを待つ。
少しの静寂の後、思考の淵から戻ったセシルが言葉を発したことでそれは終わりを迎える。
「僕に娘、どころか子供すらいないけど?」
「はい、存じております」
再び二人の間に沈黙が落ちる。
それから数時間後、人質を差し出すという旨の手紙を人間の王国に送った。
人質差し出しの期日。セシルは数人の魔族を引き連れて国境近くの街に向かった。
街に着くと人間の王国の兵士たちが数人と王女であるエミリアがいた。
ここで人質が引き渡され、人質以外の魔族はここで別れる手筈となっている。
「それではセ……、シオン様お気を付けて」
サイラスが魔王の娘シオンに挨拶をすると魔族を連れて去っていった。その後ろ姿を見ながらセシルは涙ぐむ。
だが誰もそれを不思議の思う事なく、エミリアがセシルの肩を叩いて慰めるほどである。
「シオン姫、お辛いでしょうがそろそろ出発いたします」
「……はい」
シオン――否、女装したセシルはエミリアの言葉に用意された馬車に乗り込んだ。
人質を差し出すのには身内の方がより信用を得やすい。だがセシルには子供どころか親族すらいない。ならば魔族の少女を魔王の娘と偽ればいいのだが、そんな非道な事は出来ない、とセシルが拒否したためサイラスが彼にドレスを突き付けたのだった。
幸いセシルは小柄で中世的な顔立ちだったお陰で違和感はなかった。
ガタガタと揺れながら馬車で王都へと向かう途中、馬車が止まり辺りが騒がしくなった。不思議に思いセシルが窓に顔を寄せると魔物と戦っている兵士たちの姿が見えた。
人間たちはよく勘違いしているが、魔物と魔族は別物である。
人間たちの言い方に変えれば魔物は動物、魔族が人間という風になる。たまに魔族に近い魔物も居たりはするが、大体が意思の疎通が出来ない動物と同じだ。だから魔物が襲いかかる理由もまた動物と同じであった。
お腹が空いているんだろうな、と思いながら人質であるため大人しくしていたセシルだったが、どこか苦戦している様子の兵士たちを見て馬車の扉を開けた。その時セシルの目の前をエミリアが横切る。そのまま彼女は魔物に切り込み一瞬にして全滅させた。
その剣舞のような美しい姿に魔王は見惚れた。
「お見苦しいところをお見せしました。……シオン姫?」
「え、あ、いえ、こちらこそご迷惑をお掛けしております。国境付近に柵などつけて対策はしているのですが…」
「道理で近頃魔物の出現が減ったと思いました。ご尽力感謝いたします」
呆けていたところにエミリアに声を掛けられ慌てて答えたセシルだが、エミリアの笑顔に再び見惚れた。
だが相手が人間の王国の王女で自分は魔王、しかも今は女装した人質である己に、一人となった馬車の中で絶望した。
今、彼の近くに縄があれば確実に首を吊っていただろう。
* * *
エミリアがケントに手紙を送って、しばらく経った頃。
扉をノックする音にエミリアが返事をするとリサが入ってきた。
「エミリア様、シオン姫の事なのですが……」
エミリアを悩ませるその名前を聞いてリサに鋭い目線を遣って次を促す。
「シオン姫がどうかした?」
「はい。エミリア様の命通り、シオン姫を城下に出掛けさせたのですが……」
シオンが魔王側と連絡を取っていないか調べるために、わざと見張りを少なくして彼女の行動を監視していた。
その報告にリサはエミリアの執務室にやって来たのだが、どこか言い辛そうにしていた。
それに怪訝に思いながらリサの言葉を待っていたエミリアは突然開いた扉に驚いた。
扉を開けたのは、エミリアはこの街にはいないと思っていたケントでその隣には彼女が会わせたくなかったシオンという名の女装したセシル。
ここに三角関係の役者が揃った。
ちなみにロイドもいたが、エミリアの視界には入っていなかった。