「同期すル」
~~~武田涙~~~
幸助がFLCにログインしなくなってから2週間が経つ。
その間も状況は目まぐるしく動き続けた。
絶命砲によって半壊した王都の様子は静止画や動画、様々な形でネットに流れた。
消失した一部店舗、いなくなったNPC、大幅に変わった地形。王都の象徴ともいえるバンドリューエル城の大尖塔の崩落。ネットワークゲームとしては異常ともいえる大規模変動の連続──。
禍と呼ばれる一連の災禍は、想像以上の衝撃をもたらした。
勢力を大きく減らし、いまや風前の灯火となった王国軍や気を吐くNPCたちを救うべく、愛国心や庇護欲を刺激された元プレイヤーたちが次々と奮起し、舞い戻ってきた。
騒動に興味を持った新規プレイヤーの数が右肩上がりで上昇し始めた。
FLCというゲーム自体が再注目され始めた。
王都の賑わいは、以前とは比較にならない――。
でも、肝心の幸助の姿がそこにはない。一番喜びそうな彼がいない。
ログインしないだけでなく、部室にも姿を現さない。休み時間は机に突っ伏して寝たフリ。下校時間になるとさっさと帰ってしまい、話しかける暇もない。
告白して以来、何かと気に掛けてくれて、時々一緒に帰ってくれるようになったりしていたのに、それもなくなってしまった。
自分の存在がFLCを想起させるからだろうか。
思い出したくないことを思い出してしまうからだろうか。
もうあんな風に、笑って話しかけてはくれないのだろうか。
優しいまなざしで見つめてはくれないのだろうか。
「……!!」
挫けそうになる心を叱咤する。
自分は決めたのだから。もう逃げないって。もう待たないって。恋愛からも、世の中のいろんな辛いことからも。
「……なにをそんなに思い詰めたような顔してるわけよ。あんたは」
「あ、先生」
放課後の図書室で調べ物をしていたら、当麻先生に声をかけられた。
「その……ちょっと調べ物を」
「……幸助くんのためにって? ルルの記憶を取り戻す方法を探してるって?」
「──!?」
「わっかりやす……」
呆れた表情で、先生は言った。
「そんなことしてる暇があるなら、もっとモーションかければいいのに。弱ってるところにつけ込んで一気にオトす。定石でしょ?」
「ちょ、先生……そんな……」
身も蓋もない言い方に、思わず顔が赤らむ。
まったく同じことを妹の藍も言っていたが、そんな不意打ちのようなやり口は汚いと、涙は思う。
「わたしはそんな……!!」
「いい機会じゃない。あのコをゲームから離れさせる」
「──!?」
いつものことだが、先生の発言にはまったく容赦がない。
「でしょ? あんなに四六時中ゲームゲームって。なんやかや2年生なのよあのコ。高校進学とか将来とか見据えて、他のコは色々考えてる時期なのに」
「幸助くんの成績って……その……」
今まで聞いたことはなかったが、日頃の様子から、決していいほうだとは思えない。
「中の下ってとこね」
「うう……」
でも、先生は続けた。
「地頭自体は悪くないのよ。だから頑張れば確実に成績は上がるはず。武田さんの進路についていくぐらいまでは簡単にいけるはず」
おや、と涙は思った。
「先生は、けっこう幸助くんのこと評価してるんですね……」
万事につけ遠慮会釈のない先生にしては、これは破格の評価だ。
「頑張りどころを間違えてるのが問題なのよね」
先生は肩をすくめた。
「実際、いいコだとは思うわ。よく気がつくし、家では家事も手伝ってるらしいし。妹さんの面倒もよく見てるみたいだし……。感受性が豊かすぎるのが欠点かな。たかがゲームのことで一喜一憂して、あげくあんなにふさぎ込んで」
「先生も他人のこと言えないような……」
涙は苦笑してしまう。
自分だってバドが戦闘不能になった時に学校を欠席したくせに。
「私はいいのよ。大人だもん」
べー、と舌を出す。
「ここまで育っちゃったら性格の矯正なんてできないし、手遅れなの。でも彼は違うでしょ。子供。まだまだいくらでも変われる子供。青春の大切な時期を捧げるものが、ゲームであっていいの? 勉強とかスポーツとか部活とか。もっともっと可能性はいくらでもあるはずなのに」
「……そこがいいとこなんじゃないですか」
確信をもって、涙は言った。
「ん?」
「たかがゲームに打ち込めるところがいいところなんですよ。他の人なら鼻で笑うようなことでも本気で打ち込んで、笑って、泣いて、時折挫けることもあるけれど……。そういった感受性豊かなところが、わたしは、大好きなんです――」
あ、口元を押さえたがもう遅い。
「あの、その、あの……いまのは……!!」
あわあわする涙を、先生は半眼で見た。
「……ふーん」
「ごしゅじんさま~。てつだってあげましょうよ~」
先生のスーツのポッケから、ふくちゃんの声が聞こえた。
「あら。ふくちゃんは優しいのね~。うんもうっ、いいコいいコ」
スマホを取り出して液晶の中のふくちゃんにひとしきり頬ずりすると。
「仕方ないわね。手伝ってあげる」
「――ホントですか!?」
「といったって私もそっち系のことはよくわからないから、先生の先生に頼んであげるわ」
「先生の……先生?」
~~~当麻宅応接間~~~
先生のお屋敷の応接間に通されると、ほどなくして先生に伴われてお鷹さんが入ってきた。濃紺色のワンピースに白い袖飾りというクラシックなお手伝い服に身を包んだ齢70の女中頭。
まっすぐ伸びた背筋、鋭く引き絞られた眼光。頑迷に見えるが、意外や教え子には甘い。
「おひさしぶりです。大先生」
「武田様もお元気そうでなによりです」
お鷹さんは口の端を歪めるようにして笑う。
ひきこもった先生を説得しに来た時以来だ。
「今日は蜂屋様はご一緒ではないので?」
「ええ。それが色々と事情がありまして……」
「──なるほど。だいたいわかりました」
FLCというゲーム。大まかな流れ。ルルという存在について説明すると、お鷹さんは考え深げな表情になった。
「解離性健忘。あるいは解離性同一性障害といったところでしょうか」
「健忘……記憶喪失ってことですよね?」
「はい。心的外傷、内的葛藤などの極度のストレスによって引き起こされる、ある種の防衛行動です」
「防衛行動……」
お鷹さんは首肯する。
「ええ。辛い現実、忘れたい過去、重すぎて受け入れられない事柄から逃げるために、体が逃避を選ぶことがあるのです」
お鷹さんの隣に座っている先生が、居心地悪そうに身をよじった。
「同一性障害も似たようなものですね。健忘とは異なり忘れるのではなく、逃避するために主となる人格とは異なる別の人格を作り出してしまうことです。別の人格には主となる人格の記憶がないので、そのため逃避が成立する」
「ルルちゃんが別のルルちゃんを作り出した……?」
こみ入った話になってきた。
「自我を持つAIということならば、そちらのほうがあり得る話でしょうね。むしろ人間よりも簡単なはずです。ハングアップした。フリーズした。いつまで経っても回復しないので、デフォルトの人格インターフェースを用意した」
「……声をかければ届きますか?」
「逃避といったって、まったくそこにいないわけではないのです。ひきこもっている状態にすぎません。声をかければ届きます」
「私ちょっと急用が……」
逃げようとする先生の襟首をお鷹さんが捕まえた。
「お嬢様も教師の端くれだったら、生徒の危機に逃げるような真似をするんじゃありません」
「はぁい……」
ごほん、とお鷹さんは咳払いひとつ。
「ただしそれは人間だったら、の話です。自我を持つAIとなると、ことはそう簡単にはいきません。ネットワークのアーキテクチャの問題になってきます」
「アーキテクチャ……」
「純粋に構造的な問題なのです。簡単に説明しますと、ネットワークゲームは大別して3つのシステムに分かれます。それぞれデータベースサーバ、アプリケーションサーバ、クライアントです。データベースサーバにある大本のデータをアプリケーションサーバが加工してユーザーであるクライアントPCに提供するという流れです」
「ははあ……」
「プレイヤーがいちいち何か行動するたびにデータベースサーバにアクセスさせていたら、処理負荷がかかってパフォーマンスが劇的に減衰する。なのでいくつかのデータは一時的にアプリケーションサーバやクライアントに置くようになっている。人格インターフェースのデータもそうでしょうね。プレイヤーとの対話の中で成長するというアルゴリズムである以上、基本的にはクライアントに置き、蓄積したデータをデータベースサーバで吸い上げ加工し保存して戻す、という形をとるでしょう」
「……データベースサーバと幸助くんのPC内にルルちゃんはいるってことですか?」
「基本的にはそうですね。中を覗いてみないと正確なことは言えませんが」
中を覗けばわかるのか……何者なんだろうこの人は、涙は驚きを隠せない。
「問題なのはどこに逃げたかです。デフォルトの状態の自分をデータベースサーバから取り寄せた。身代わりとして置き、自分はどこへ行ったのか。クライアントにいればいいですが、データベースサーバにいるとなると、権限の問題になる。まあクライアント内だとしても権限の問題はあるのですが……」
お鷹さんはいたずらする子供のような顔になって、にたりと笑った。
「それはそれでやりようがある、といったところです」
「そしてもうひとつの問題です。心の問題」
「……心」
「彼女をそうさせたストレス原因をなくさなければ、根本的な解決にならないということです」
~~~蜂屋幸助~~~
鉄塔下は、俺と小巻だけの秘密基地だ。他の誰も──それこそ摩耶ですら知らない場所だ。道行く俺たちを偶然見かけてあとを追ったのだとしても、撥水性の高いズボンに長袖シャツ、リュックにトレッキングシューズといった森ガールみたいな完全武装であることの説明がつかない。
とすると、小巻が教えたのだ。なんのために?
それはたぶん──
「解離性健忘? 解離性同一性障害? そんな問題なのか? そんな、人間みたいな……」
「──ほら、そこ」
とくに考えもせずに発した俺の言葉を、涙が鋭く咎めた。
「ルルちゃんはそこに悩んでたんだよ。自分には意志があるのに、あるじ様が認めてくれないって」
「認めてないわけじゃ……」
「ルルちゃんはね。自分が人間だと思ってるんだよ。もしくは、それに限りなく近い存在だと思ってる。だから、歌で状態異常が回復するのがイヤだったんだよ」
「……」
「自分自身に置き換えてみて? たしかにハッピーな歌を聴いて気分が高揚したり、暗い歌を聴いて気分がふさぎこむことはあるかもしれない。でも、がらりと変わったりはしないんだよ。恐怖がまったくなくなったりはしないんだよ。勇気をもって抗うことが出来るようになるだけなんだよ。誤魔化す力が湧いてくるだけなんだよ。上書きされることなんて、あるわけないんだよ」
「……」
「あの時、ルルちゃんは泣いてたじゃない。やだって、そんなの聞かせないでって。でもわたしが……」
涙が唇を噛んだ。拳を握った。たぶんそこにあるのは自責の念だ。
「待て涙――」
涙の腕を掴んだが、止まらなかった。意外な頑なさでかぶりを振った。
「わたしが聞かせた……っ」
「おまえじゃない。悪いのは指示した俺だ。おまえが気に病む必要は……」
「──わかってたはずなんだ」
俺の手を引きはがすと、涙は突然、男の子みたいな口調になった。
「ボクにはわかってたはずなんだ。他ならぬボクだからこそ、想像出来たはずなんだ」
……アールだ。
俺は気づいた。
涙は今、兎耳族のアールとして話をしている。
雪深いヴィンチの街出身の、ショートカットに兎耳を生やした女の子。一人称はボク。知識を鼻にかけ、尊大な口調で推理を語る、威丈高な名探偵。
「一緒に旅をしてきた仲間だった。大断崖を目指す中、何度も危難を乗り越えてきた仲間だった。だから知ってた。ルルが自分という存在の矛盾に悩んでることを」
「……」
「AIなのに自由意志がある。妖精なのに人間に恋をしてしまった。パラメータがあり、行動規則に縛られ、殺されたって復活する。歌を聴けば心の在り方すらも上書きされる」
涙が──アールが俺の腕を掴んできた。
真剣な瞳で俺を見る。
兎耳は生えていないけれど、尼僧ではないけれど、涙の皮を纏ったアールが、たしかにそこにいた。
「あるじ様が……他ならぬキミが、自分のことを作り物だとして扱う──」
「──!!」
「冗談で言ってるのかもしれないよ? ほんの軽い気持ちで言ってるのかもしれないよ? でも彼女にとっては重要な問題なんだ。それをボクは──」
知ってたのに……。
ぽつりとつぶやき、アールは手を離し肩を落とす。
声を震わせる──顔を上げる──叫ぶ。
「ボクはまだ、彼女に謝れていないんだ!! あんなにひどいことをして。泣かせて……!! なのに謝ることすらできないんだ!! そこに彼女がいないから!! 許してくれっていうんじゃない!! ただせめて……!! せめてひと目だけでも……!!」
頬を涙が伝っていた。枝先で切ったのであろう切り傷の上を、とめどもなく流れ落ちている。
「彼女に、会いたいんだ――!!」
「──!?」
涙の体を抱き寄せた。
何かに突き動かされるように抱き締めた。
「──あ、あ、あ……あれ? 幸助くん……?」
我にかえった涙の声が、今度は驚きで震えている。
「この……その……あの……。これはいったい……」
「──ごめん!!」
全力で謝った。
「俺の弱さだ!! 俺の無神経さがおまえを泣かせた!! 気に病ませた!! ログインするのが怖くて逃げてた!! ルルにデフォルトの対応をされるのがイヤで避けてた!! 休みだなんてうそぶいて!! 小休憩だなんて誤魔化して!! おまえの気持ちを考えることが出来てなかった!! ルルのこともわかっていなかった!! わかったつもりでいただけだ!! 俺たちの仲だからわかるだろうって!! 言葉にしなくても伝わるだろうって!! ――でもそんなことなかった!! 関係性に甘えてた!! 言わなきゃ伝わらないことってあるんだ!!」
「幸助くん……」
「教えてくれ!! 何が出来る!? 今の俺には何が出来るんだ!? どうすればルルを取り戻せるんだ!? どうやったら謝ることが出来るんだ!? なあ、涙!! アール!! 教えてくれ!!」
「……ふふ」
涙は小さく笑い、俺の背に腕を回してきた。
小巻とは違う感触だ。細くて肉付きが悪くて、生命体としての不安定さがある。ちゃんと食えよとか、暖かくして寝るんだぞとか、ついつい心配して声をかけてやりたくなる。
この体で大量の書籍を背負い野道を歩いて来た事実に、今さらながらに驚く。しかもそれは、俺のためにしてくれた行為なのだ。弱っちい俺の背中を押すために来てくれたのだ。
きゅっと、胸が詰まる。
健気で、いじましくて、愛おしい。一生かけても守ってやりたくなる。
それがこの、武田涙という女の子だ。
「……大丈夫だよ。ボクにすべて任せたまえ」
彼女は――涙のような優しい声音で、アールのように力強いセリフを囁いた。
「……っ」
何かが喉につかえる。
たかがゲームのために涙が用意したアールというキャラの設定は、実に文庫本1冊分にも及ぶ。
設定や文章にこだわる彼女らしいものだと当初は思っていたが、どうもそう単純なものではないらしい。
しばらくしてから気がついたことだが、それはある種の仮面、もしくは人格インターフェースのようなものだった。
万事につけ気が弱く対人関係が苦手な彼女が、俺たちと遊ぶために用意した緩衝材だった。常に間に1枚かませないとプレッシャーに押しつぶされてしまうから。外行きにと調整した別人格だった。
何百回何千回となく繰り返し演じたことで、アールという人格はたしかなパーソナリティを得た。ルルが自我を持ったのと同じように、存在として力を持った。
そして今――リアルとゲームの垣根を超え──ここに同期した。




