「巡ル」
~~~蜂屋幸助~~~
秋晴れ清々しい休日だったが、徹底的に何もする気が起きなかったのでパジャマのままごろごろしてた。
漫画を読むでなくラノベを読むでなくアニメを見るでもない。勉強なんてとんでもない。
なんでも出来るけど、あえて何もしない。贅沢な休みの過ごし方。
これぞ至福、これぞ人類の進化形……などとうそぶいてベッドの上で重力に身を任せていたら、お袋に怒られた。
「ほら、いつまでも寝てんじゃないの。朝ごはんが片付かないでしょ? いつまでも夏休み気分でいるんじゃないのよ。まったく……」
ぶちぶち言われながら階下に降りると、摩耶が先に食卓についてた。
寝癖だらけのぼさぼさの髪、うとうと閉じかけの目。パジャマが半脱げになって、肩が露わになっている。
可愛いいダメ妹さんも、俺と同じくお袋に起こされた口らしい。
「兄妹揃っていつまでも寝てんじゃないの」
「……ぁうあわ~い」
返事というより鳴き声。
「おはよ。摩耶」
「あよに~」
たぶん「おはようお兄ぃ」と言ったのだろうが。
「あんたもさっさと食べなさい。私はこれからサークルの集まりがあるんだから」
気がつくとよそ行きの服に着替えているお袋。
「ええ~マジで? 摩耶の散歩はどうすんの?」
「あんたが行ってきなさい。お兄ちゃんでしょ?」
「ええ~」
摩耶の散歩。なんだか犬みたいな扱いだが、病弱な摩耶の体力造りも兼ねた行為なのだ。なかなか自分からは外へ出ないしやれと言っても運動しないダメ妹を引きずって、一緒に外をぶらぶらするわけ。
いつもは摩耶を溺愛する親父かお袋のどちらかが行くのだが、親父は出張中、お袋は大学時代のサークル仲間と恒例の女子会があるらしい。何歳でも女子会。
「別にいいでしょ? どうせあんた、家にいたってゲームしかしないんだから」
「わかんないじゃん。いきなり勉学に目覚めて有名私立を受験するかもしんないじゃん」
「受けてもいいけど落ちたら自腹ね」
「人間って環境じゃないですよね!! だから公立で充分!! さっすがお母様、わかってらっしゃる!!」
なし崩し的に散歩に同意させられると、摩耶が俺の顔をがばりと覗き込んできた。
「ホント? ホント? 今日はお兄ぃと一緒なの!?」
現金なもので、ついさっきまで半病人みたいな顔でパンを齧っていたのに、大好きなお兄ぃとお出かけ出来るとわかった瞬間、おっきな目に星をキラキラ輝かせて喜んでいる。
「ん……おう」
「やったー!! お兄ぃと一緒だー!!」
お兄いと一緒、の歌を歌いながらテーブル周りを踊り跳ねる摩耶。「食事中に踊らないの!!」と叱られしょんぼりする摩耶。はいはい可愛い可愛い。
仕方ない、ダメ妹のために貴重な休日を費やしてやるとするか。どうせ家にいたってごろごろするだけだしな。
「……ん?」
食事を済ませ身支度を整え外に出ると、なぜか小巻がいた。俺の家の玄関先で、アフガンハウンドのチコのリードの長さを調整している。
「おっおっ、小巻ちゃん!? おっおっ、チコも一緒かー!!」
オットセイみたいな鳴き声を上げながらチコに抱きつき長い毛並みにもふもふしている摩耶はほうっておくとして。
「……なにやってんのおまえ?」
「見たらわかるでしょ? お散歩デートよ」
「……見てもわかんないし、デートというにはそもそも相手がいないみたいなんですがねえ……」
「当然、あんた」とニッコリ。
「そんな約束した覚えはないんですがねえ……」
「残念、外堀は埋まっているのだ」
ふふん、と肩をそびやかす小巻。
「外堀……?」
視線を感じて居間の窓を見ると、お袋がにやにやしながら手を振っている。
「……なるほどグルか」
外堀どころか城内に内通者がいるレベルだが。
手を振り返している小巻をにらむ。
「朱里さんとは良好な関係を維持しております。とさりげないアピール」
「なんのアピールだよ……」
「……聞きたい?」
ニッコリと首を傾ける小巻。
「いやいいです……」
クラスの人気者でムードメーカーで陸上部のエースで勉強も学年1位の完璧超人。家が隣の幼なじみで、実は長年の親友である「コルム」のプレイヤーで、かてて加えて──あー……うん、その、あれだ。
すべてをカミングアウトしたあの日以降、そういえばちゃんと話をしていなかった。ゲームのことは話してたけど、リアルで面と向かって話してはいなかった。
何をかっていうとそれがまたあれなんだけど……ううむ。
萌黄色の薄手のブラウス。超ミニのスカート。何が入ってるかわからないポシェット。こんがり焼けた健康的な肉体を女の子らしいあれやこれやで着飾ってる小巻は、とても可愛い女の子だ。学校の男子にも人気だし、告白された経験も一度や二度じゃきかない。
どうして誰ともつき合わないんだろうと不思議に思ってたら、こともあろうに俺のことが──。
ついまじまじと小巻の唇を見つめてしまった。
ドクンと心臓が跳ねる。
そうだ。あの美しいものが囁いたんだ。
──あんたのことが好きなの。昔から、ずっとずっと――。あんたのためならなんだってできる。なんにだってなれる。理想の友達だって、恋人だって、天使にだって、悪魔にだってなってやる。いつだって、そう思っていたんだから……──
あの夜──コルムという別人格を脱ぎ捨て、ネットの世界から飛び出して、現実世界の窓を開けて、体当たりするような全力で──こいつは告げてきたんだ。
「行くよ、幸助」
「──ちょ、うえっ!?」
いたずらっこのようにわざわざ耳元で囁いて、ついでに息まで吹きかけると、小巻は摩耶を促し歩き出した。
「ちょ、ちょっと待てって……!!」
慌ててあとを追う俺をわざと無視して、小巻は摩耶と談笑しながらチコのリードを引いてた。
弄ばれてる。手のひらの上で転がされてる。
わかってても、背中を追わずにはいられなかった。
散歩は、町の端をぐるりと大きく回るようなコースをとった。
どうも既視感があるなと思ったら、なんのことはない。俺と小巻がまだ小さい頃によく遊んだルートだった。
羽澤屋で駄菓子を買って、政じいちゃんのスイカ畑で狙いの(もちろん勝手に拝借するわけだが)スイカの育ち具合を観察し、ヤギ坂さんという名の(勝手に命名した)ヤギと戯れ、鉄塔下に段ボールで建設した秘密基地で遊ぶという、いかにも小学生って感じの牧歌的なものだ。
最初こそ疎外感でふて腐れてた俺だったが、懐かしい道や曲がり角や建物のたたずまいを見てるうちにシナプスが繋がり、興奮してきた。
「おお、あの道見覚えある!! いかにも袋小路に見せかけて、実は大っきな通りにつながってるんだよな!!」
「そうそう!! あの曲がり角の看板!! ずっと電話番号が歯抜けのままなんだよな!! あれじゃどこにも繋がんねえよな!?」
「あの猫屋敷また猫増えてんじゃねえか!! むしろ増えすぎて怖えよ!! ちょっとしたパニックホラーぐらいいるよ!!」
「羽澤のばっちゃん生きてたかー!! ──うお、むしろ元気そうじゃねえか!! なに、九十でフルマラソン完走した!? 化け物かよ!! あ、ごめん言い過ぎた!! 頼むからその棒アイス売ってくれ!! おい俺だけ明らかに値上げすんのやめろよ!! 一本300円とかあり得ねえって!!」
「うおお、見つかった!? 逃げろ小巻!! いやこの歳になって今さらスイカ盗むつもりはねーけど、政じいちゃんの顔見たらさあ!! なんか、逃げろー、って気になるじゃん!?」
「ヤギ坂さあああああああああああああああああああああぁん!! 元気そうじゃねえかあああああああああああああああああぁ!! ひいやっふうううううううううううううううううううううう!!」
ハア、ハア、ハア、ハアッ……ふうー。
騒ぎすぎて疲れちまった。何もかもがあまりに懐かしくて、そのちょっとした変化や、変わらない安定感が楽しくて愛おしくて、ドーパミンとかエンドルフィンとかアドレナリンとか色々出た。完全な躁状態で、さすがの摩耶も「お兄ぃが壊れた……」とつぶやきちょっと引いてた。
「あんた……よっぽどこういう遊びに飢えてたのね……。やっぱり子供は外で遊ばせなきゃダメね……」
「うるせえよ!! ちょっとテンション上がっちゃっただけだろ!? そのかわいそうなものを見る目をやめろ!! 肩をぽむぽむするのをやめろ!! 目を閉じてうなずくな!! ふーやれやれって肩を竦めるな!!」
最後に訪れた林の奥の鉄塔下の秘密基地はさすがに残っていなかったが、木切れを削って作った「こうすけ&こまき」の表札が鉄柵にぶら下がっていた。
「おおーっ、これだけは残ってたか!!」
「……本当ね。全部跡形もないかと思ってたけど」
小巻も嬉しげに目を細めている。
「平型の彫刻刀で削ったんだよな。たしか」
「そうそう。あたしが指切って大泣きして」
「俺が指咥えてやったんだっけ」
「思えばあの時からスケベの片鱗は見えてたのよね……」
「いやなんでだよ。いま完全にいい話の流れだったじゃん」
顔を見合わせて笑い合う俺たち。
けっこう歩いたが、摩耶はまだまだ元気いっぱいに走り回っている。チコを猛獣に見立て、自分を猛獣使いの女王様に見立てたおままごとをしている。鞭代わりのリードで地面をピシピシやって、レンガ片を食い物に見立てて無理やり食わせようとして……うん、それは可哀想だからやめてあげなさい。
風がそよぐ。日差しがぽかぽかと気持ちのいい日だ。
鉄柵を背に地面に座りこんだ俺の隣に並ぶように、小巻も腰を下ろした。
「あーあ、楽しいねっ」
「だな……」
「やっぱ、こういうとこにスカートで来るのはダメだね。あちこち切り傷だらけ」
ミニスカートから覗く小巻の足は、さすがに陸上選手だけあってむっちりしてる。
そういやこういう人たちの筋肉ってがちがちに見えるけど実は柔らかいんだってな。いや別に触る気はないんだけどさ。
「やっぱジーンズ万能だよな。伊達に西部開拓で鍛えられてないぜ」
適当な返しをしながら正面を見た。小巻の女の子な部分を見ないように。意識するとどきどきしてしまうから。
──ぼそり、小巻が囁くように聞いてきた。
「……やめんの?」
誰がでもなく、何をでもない。わかるだろうって言い方。
まっすぐな瞳が俺をとらえてる。
聞かれるのはわかってた。今までほっとかれたのが不思議なくらいだ。
「……やめねえよ」
「でも、もう二週間もログインしてないじゃない」
「……休んでただけだ。疲れてたんだ」
「あんた今まで、一日たりとも休んだことなかったじゃない。発売日から皆勤賞だって、自慢げにしてたじゃない」
「だからこそだろ。たまには休んだっていいじゃんか。なんでも出来るけど、あえて何もしない。贅沢な時間の使い方を俺は──」
ガシャン。
鉄柵が揺れる音だ。
俺と鉄柵をサンドするように手をついて、小巻が顔を近づけてくる。至近距離。接近戦。逃がさないって感じ。
「──あたしはね、別にやめたっていいと思う。そもそもが楽しむためにゲームをしてるんであって、辛い気持ちになるためにやってるんじゃない。しょせんは娯楽。ストレスを抱えるだけなら、いっそやめるのも手だと思う」
「……」
「最初からそうだった。自分勝手なNPCばっかりで、無茶なシナリオばっかりで、迷惑千万なことばかり起きて……あんなゲーム、やる価値ない。やめ時がわかんなかっただけ」
「……」
「あたしはあんたがいればそれでいい。チコもいるし、摩耶ちゃんもいるし、涙さんだってとーこさんだっている。一応先生もいる。向こうにこだわる必要は何もない。──ね、幸助。こっちの世界で幸せに暮らそう? あたしはあんたの辛い表情を、これ以上見たくないよ……」
嬉しい申し出だった。小巻なりの気遣いだった。
男の子としての矜持を傷つけないよう、最大限の配慮をしてくれてた。
やめていいんだよって。恥ずかしいことじゃないんだよって。
だけどうなずくわけにはいかなかった。だからこそ甘えるわけにはいかなかった。
俺は知ってる。それじゃダメなんだ。
「──あいつが、いないんだ」
口の中に血の味が広がる。
「こっちの世界には、ルルがいないんだ。どこへ行っても何をしててもずっと傍にいたあいつがいない。今までは携帯の中にいたけど、せめてもゲームの中にいたけど、肉体は遠く離れてても心は繋がってると思えたけど、それすらももうないんだ。……あいつは俺のことを覚えてなかった。全部忘れて、デフォルトの状態に戻ってた。『うるさくて毒舌で、あるじ様いじりが趣味のただの妖精』に戻ってた……」
辛いけれど、悲しいけれど、不思議と涙は出なかった。
胸の真ん中に穴が空いてる。涙を流す重要な装置が停止してる。
「ちょっと難しいことを言うと『ルルにはわかんないですね~』って言うんだぜ? 妖精たちが答えられない質問に返す定型句。そんなのいまさらあいつの口から聞くことになるとは思わなかった。自我を持つAIになったんだって、高次元の存在に昇格したんだって思ってたのに、実は全然安定してなかったんだ。ああいうの、なんて言っていいのかわからねえんだけどさ……」
「解離性健忘、あるいは解離性同一性障害──」
声のほうを見ると、涙がいた。
なんでこんなところに……?
小巻は「ちぇ」と舌打ちすると、俺から離れ立ち上がった。
「意外と早かったね。こんなとこ、探し当てるだけでもっと時間かかると思ったけど……」
慣れない野道歩きに難儀したのか、涙は全身草まみれで、ちょっと頬を切ったりしている。
「……頑張ったもん」
ぷうと頬を膨らませる涙の肩を「タッチ交代」と叩くと、小巻は摩耶たちのもとへ歩いて行った。
あとには俺と涙が残された。
さっきまで小巻が座ってたとこに涙が座った。背に負っていたリュックから、どさどさと大量の本を取り出した。心理学の本。医学の本。各種IT書籍。技術書の類……。
「え? なに? なに?」
状況が呑み込めずに訊ねると、涙はふわりと微笑みながら宣言した。
「ふふ、今度はわたしのターンなの」




