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最果てのクロニクル~サヨナラ協定~  作者: 呑竜
妖精戦争

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「樽の中」

 ~~~~~アンバー~~~~~


 ──少し前のことになります。

 アンバーは静かに切り出した。


 あの日アンバーは、嵐をついて部屋に侵入して来たワイナールにさらわれた。

 発作を起こし寝込んでいた彼女の体調は最悪で、ワイナール自身の力の強さもあったけれど、ほぼなんの抵抗も出来ずに担ぎあげられた。


 輸送手段は馬車だった。屋敷の裏手に停められていたのに押し込まれ、酒樽に詰め込まれた。泣き声も叫び声も戸惑いも、すべて自然の猛威に呑み込まれた。


 堅牢な造りの酒樽にはご丁寧に魔法封じの呪力までこめられており、アンバー単独での脱出を不可能にした。手で叩けば手が、こじ開けようすれば指が痛むだけだった。


 途中で馬車が変わった。

 今度の御者はワイナールではないのか、運転は荒くおおいに揺れた。

 揺れるたび固い板地に叩きつけられ、痛みで声が出た。一度などは衝撃で気を失ったこともある。さらなる衝撃ですぐ目が覚めたけれど。


 時間の経過はよくわからなかった。酒樽の中は暗く、一切の光が射し込まなかった。

 嵐が去ったのは音でわかった。

 鳥のさえずりや風の音は、なんの慰めにもならなかった。どこへ連れて行かれようとしているのかどうされるのか、焦燥感だけが募った。

 

 食事も水も一切与えられなかった。

 飢えと渇きに耐えながら板地に爪を立てると、細かな傷が無数に存在することに気がついた。

 それらはただの傷でなく、意味を持った文字列だった。


「お母さん助けて」「死にたくない」「傷が痛いよ」「痛い痛い痛い!!」「もうやだよぅ……」


「――!?」

 ぞっとするような文面の数々。悲しみと絶望の声たち。

 これはきっと、かつて自分と同じような目にあった子供たちのメッセージだ。


 察したアンバーは恐ろしさとおぞましさに苛まれ、文字をなぞるのをやめようとしたが――やめられなかった。

 怖くないわけではない。だけどどうしてもやめることはできなかった。

 村のお兄さんお姉さんたち。かつてどこかですれ違っていたかもしれない人たちのメッセージを無視するわけにはいかなかった。律儀に素直に、彼女はすべてを受け入れた。


「やだやだやだ」「パパ……ママ……」「なんでわたしがこんな目に……」「ワイナールが犯人」「ワイナールに騙されないで。悪いヤツだ!!」


 痛みや窮状を訴える言葉だけではなかった。中には必死に冷静さを保とうとしているものもあった。いつかどこかの誰かがこの樽の中のメッセージに気づくことを信じて……。

  

 自分のメッセージもいつかこうして、誰かに読まれることになるのだろうか――。

 そんなことを想像して、アンバーはぐすりと鼻をすすった。すすりながら、しかし他にどうしようもなく文字列をなぞり続けた。


「あの急カーブの窪みには覚えがある。北東の街道かも」「ひょっとして王都に向かってる?」「外が賑やかだ。キャラバンかな?」「いいなあキャラバン。うちの村にも来てくれればよかったのに」「村に帰りたいなあ……」



「――王都方面。キャラバン」

 奥歯を噛み締めるようにしながら、その単語を頭に刻み込んだ。

 何かの機会に脱出できたなら、王都方面へ向かえばいい。なにせ生まれた土地勘がある。

 キャラバンが来るような大きな街や村があるなら、そこへ駆け込むのもいいだろう。人の中に紛れてさえしまえば安心だ。


「――機会があるなら……」

 萎えそうになる心を叱咤した。かぶりを振った。

 絶対に帰るのだ。カロックの村へ戻るのだ。バドやレフのもとに、師匠のもとに。

 

 ――わたしはアンバー・ロックグラス。

 ――わたしは絶対に帰る。絶対に生き残って、あなたたちを助けに行く。

 ――だから絶対、諦めないで。


 過去、あるいは未来の誰かへのメッセージを刻んでいると、不意に馬車の動きが止まった。激しく馬がいなないた。


「……なにかしら」

 板地に耳をつけそばだてた。どんな物音をも聞き逃さぬよう細心の注意を払った。

 街道を見回る巡回騎士の臨検などであれば最高だ。

 その時は全力で大声を張り上げてやる――。


 声は複数あった。

 馬車の御者のもの。対しているのは女性だろうか?

 御者はおそらくワイナールの部下。アンバーの入った酒樽を軽々と抱えた感じから、相当な力持ちだ。か弱い女性など、きっとひとひねりにしてしまうことだろう。

 がっかりしかけたが、いやまだわからないわとアンバーは思った。

 女は女でも、女妖精なら話は別だ。人間と違ってひ弱だが、彼女らには腕っぷしを補うほどの魔力があるケースが多い。


「何を話してるのかしら……?」

 会話の内容はおぼろげにしか聞き取れない。

 何かを言い争っているようだった。

 御者と女の言い争い。それをなだめる複数の声――。

 もめごとが起こるようなら友好的な関係ではないのだろう。

 多対一なら一気に状況は有利になる。

 ――希望の光が見えてきた。


「だから言ってるでしょ!? あんたワインの行商のくせに、客に売らないってのはどうゆー了見よ!?」


 距離が近づいたのだろうか。急に声がはっきり聞こえてきた。


「だから卸売りだって言ってるでしょう!! これは引き取り手の決まってる品なんだから、小売りするわけにはいかないんですって!! 信用の問題だ!!」

「だったらここにあるの全部買い取ってやるわよ!! あんたは村まで戻って、もう一回配達にいけばいいでしょ!? それで一切問題ないじゃない!! 有名なカロック村のワイン。アタシだって呑みたいのよ!!」

「いや問題だらけでしょうよ!! あんたさっきから自分の都合ばっかりじゃないですか!! いくら妖精貴族だからって!!」


 ――妖精貴族!?


 アンバーの心臓が跳ねた。

 まだ王都に住んでいた折、何度も目にしたことがある。圧倒的な実力を誇る妖精に与えられる尊称。ひとりで一軍に匹敵するとも言われる実力者が、すぐ傍にいるのだ。


「助けて!! お願い助けて!! わたしはここよ!! ここに囚われてるの!! 捕まってるの!!」

 全力で樽を叩いた。平手で叩き、足で蹴った。

 飢餓に悩まされた体では力が出ない。でも、ここを逃せば後がない。

「ねえお願い!! 気づいて!! わたしこのままじゃ殺されちゃう!! 変なところに売り飛ばされて、変態老人に口では言えないような目にあわされちゃう!!」

 声を嗄らして叫んだ。喉が裂けても構わないと張り上げた。


 しばらくなんの返答もなかった。

 御者と妖精貴族は声高に罵り合い……唐突に止んだ。


 ――行っちゃった……?


 恐ろしい想像にアンバーは震えた。

 最高のチャンスだったのに逃してしまったのだろうか。

 妖精貴族に聞こえないならまだしも、御者にだけは聞こえていたらどうしよう。苛められたらどうしようと怖気を振るった。


 ――ガタガタ、ガタン。


 足音が近づいてきたと思うと、いきなり樽が揺れた。

 誰かが開けようとしているのだ。

「……負けない」

 アンバーは拳を握った。妖精貴族ならいいが、そうでなかった場合は何をされるかわからない。

 自分の非力さは重々承知のアンバーだ。拳で殴るわけではない。威嚇するために使うのだ。蓋が開けられた瞬間、魔法を唱えるための隙を作るのだ。


 ――バド、レフ、師匠!! みんな、わたしに勇気をちょうだい――!!


 蓋が開けられる瞬間、アンバーは拳を突き出した。

 蓋を持ち上げ、弾き飛ばすようにした。

 魔法封じが解けると同時に呪文を唱えた。

聖光ホーリーライト」。尼僧ナンが使える数少ない攻撃呪文だ。上手く決まれば走って逃げるぐらいの隙を作れるかもしれない。

 呪文は完成した。あとは対象だが……。 


 ――敵は……どこ!?


 立ち上がり、きょろきょろとあたりを見回す。

 一番最初に目に飛び込んできたのは、ホバリングする女妖精だった。

 人間の赤ちゃんくらいのサイズの妖精。燃えるような赤髪に緑の複眼。ベースはハチなのだろうか、赤いロングスカートの下から黄色と黒の縞模様が覗いている。


「あっはっは!! あーはっはっは!!」

 女妖精は手を叩いて笑い出した。

「面白い嬢ちゃんだねえ!! まさかみずからノックアウトしちまうとは!! なんだ、アタシの助けなんて必要なかったじゃないか!!」


 見れば、床に髭面の大男が倒れている。御者だろうか。

 目をぐるぐると回しているのは、転んだ拍子に頭でも打ったのだろうか。

「──!?」

 自分の拳を見たアンバーは、はっと気がついた。

 つまりこういうことだ。助けを求める声に気が付いた女妖精が御者自身に樽の蓋を開けるよう命じ、そこへタイミングよく、アンバーの拳によりかち上げられた蓋が当たったのだ。

 顎を打たれた御者は後ろに倒れ、頭を打って昏倒した。


「わたし……わたしが……?」

「あっはっは!! なーに呆けてんだい。しゃきっとしな、胸を張りな、あんたは自力で脱出したんだから!! 嬢ちゃん……あー、あんた、名前はなんていうんだい?」

「アンバー……です」

「よろしくな。アンバー。アタシはコデット。コデット・レイ・ボワル卿だ!!」


 この世に生きる一個体としての自信に満ち満ちたコデットの笑顔。

 なんだかアンバーは気が抜けて、同時に限界がきた──。


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