「ずっと嘘をついていた」
~~~~~蜂屋幸助~~~~~
コルムと初めて出会ったのは、イリヤーズの裏路地だった。
突如崩れた宿の残骸の中から命からがら這い出した俺に、手をさし伸べてくれたのがコルムだった。
互いに歳が近くて、ログイン時間も似てた。
──俺たちはすぐに仲良くなった。
笑いのツボも似てて、興味を持つ対象もそっくりで。
──どこへ行くにも欠かせぬ相棒となった。
偶然だと思ってた。神様も粋な計らいをするもんだなと思ってた。
──まさかそれが……。
「なんでおまえ……そんなことを……?」
声が擦れる。うまく言葉にならない。
なんでこいつは。どうしてそんなことを。
疑問ばかりが沸いてくる。
だってそんなの変じゃないか。
だってそんなのおかしいじゃないか。
俺はいつもここにいたのに。
おまえはいつもそこにいたのに。
なんでそんな、回りくどいことをするんだよ……!!
ワンピースの裾を握ってもじもじする小巻。
ほんのり顔が赤くなっている。
「心配……だったから……」
ぼそぼそ。
「……え? 誰が?」
「――あんたがよ!!」
小巻は声を荒げた。
「だってそうでしょ!? いくら摩耶ちゃんが心配だからって、自分まで一緒になってあんなにガリガリに痩せちゃって!! 病人みたいになっちゃって!! 食べろって言っても食べなくて!! 息抜きに遊びに行こって言ったら『そんなことしてる場合じゃないんだ』って怒っちゃって……!!」
ああ……。
「『そんなこと』って何よってあたしがキレて!! そしたらあんたもキレ返して来て!! だからグーで殴って逃げて!! ――あれは悪かったと思うけど……!!」
「……」
なんとなく頬をさすった。
小巻が泣きながら殴ってきたことを覚えている。すんげえ痛かった。歯が折れて血が出たんだった。
あれはいつのことだったか……たしか小学校の……。
具体的には思い出せない。
でもそうだ。あれからなんだ。小巻と喋らなくなったのは。俺たちが親友じゃなくなったのは……。
「……最初は謝ろうと思ったの。でもなかなか切り出せなくて、まごまごしてるうちに朱里さんからFLCの話を聞いて……。最初はイタズラのつもりだった。ちょっと遊んだら正体明かして、改めて……ごめんって謝るつもりだった。──でもできなかった。あんたがあんまり楽しそうにしてるから。幸せそうにしてるもんだから。そんなあんたの顔をもう少し見てたい、もう少しこうしていたい。もう少し、もう少し……繰り返してたら、いつの間にか後戻りできないとこまで進んでた。毎晩毎晩嘘を重ねるうち、リアルで話すのが苦痛になった。罪悪感をごまかしたくて、たぶんすごくひどいことを言ったりもしたと思う。ホントにごめん……」
「……」
コルムとは毎晩会ってた。朝になるまで語り合ったこともたくさんある。
優しくて頭がよくて侠気があって……。
朝なんて来なければいいと思ってた。目が覚めたらすべては夢になりそうな気がしてたから。
こんな友達二度とできないと思ってた。だけど実際には傍にいた。
いつもそこにいたのに、俺が気がつかないだけだった。
んく……っ、小巻の喉から音が漏れ出す。それはたぶん感情の溢れる音。
「ホント……ごめん。こんなあたしで。──嘘だったんだ。コルムなんていなかった。全部嘘っぱち。偽物。幻影。──……さっき、あの幼生体のことをモドキなんて言ったりしたけど、それはあたしのほうだった。友達モドキ。友情モドキ。いいやつモドキ。愛情モドキ。……全部嘘。……嘘だったの。嘘でごめん。ねえ……がっかりした? ……軽蔑した? いまさらダメだよね? 気持ち悪いよね……? 嫌いになったよね……?」
――ぺたり、小巻は床にへたりこんだ。
「ごめんね? あたし……ホントにあんたのことが心配だったんだよ。――好きだったんだ。好き
だから傍にいたかったんだ。嫌われても……疎まれてもいいって……。ずっとずっと……それだけは……ホ、ントだった……ん、だよお……!! 幸……助ぇ……!!」
――最後は言葉になっていなかった。
小巻が泣いていた。
あの小巻が泣いていた。
強くてすばしっこくて頭がよくて冷静で。クラスの人気者で親連中や先生からの受けもいい、最強無敵の女子中学生。俺にはもったいない幼馴染。
それが泣いていた。
子供みたいにボロボロ涙を流してた。
「……っ!?」
衝き動かされるように抱きしめていた。
へたりこむ小巻を正面から抱き寄せた。
小巻は息を呑んで驚いていた。
俺自身も驚いていた。
なんでこんなことをしてるのか、自問するけど答えは出なかった。
ただ愛おしかった。
圧倒的に愛おしかった。
「……っ!!」
頬が熱い。耳が熱い。
それは俺の熱だろうか。小巻のものだろうか。
わからないけど、小さな頭がすぐ傍にあった。
香水だろうか。いい香りがうなじから立ちのぼってた。
緊張でくらくらする。
小巻がおずおずと、俺の背中に手を回してきた。
強く抱きしめ直すと、その分だけ抱きしめ返してきた。
サマーワンピースの薄さを改めて感じた。薄い布越しに、小巻の女の子が溢れてきた。
胸の柔らかさを感じた。太腿の質感を感じた。
全身から、全体から、隠しきれない女の子が漂ってきた。
みっちりとみっしりと、肉体を押し付け合う行為。
原始的な求愛行為。
それらは麻薬のように俺の心を蝕んだ。
「おまえ……ホラーとかグロ系の映画嫌いだったのに……」
「……頑張って全部観た」
「アニメとかラノベだって小馬鹿にしてたのに……」
「……それも全部観たし読んだ。けっこう面白いのもあったよ……?」
「平日夜も遅くまでログインしてたけど、部活のあとって眠かったり疲れてたりするんじゃないのかよ……?」
「……根性だけはあるんだよ、あたし」
「ゲームの中で……おまえのこと悪く言ったことある……」
「……いいよ。許すよ。リアルじゃあたしのほうがひどいことたくさん言ったもん……」
「なんで……そんなに……?」
「……言ったでしょ? あんたのことが好きなの。昔から、ずっとずっと――。あんたのためならなんだってできる。なんにだってなれる。理想の友達だって、恋人だって、天使にだって、悪魔にだってなってやる。いつだって、そう思っていたんだから……」
「……っ」
何かが胸につかえた。
――知ってた。たぶん、昔から。
いつも一緒にいた小巻。
どこへ行くにも傍にいた小巻。
その目がどこに向いているのか知っていた。
だけど関係を壊すのが怖かったから黙ってた。鈍感なふりをしてた。コルムに詳しい身の上を聞かないように、どこまで踏み込んでいいのかわからなかったから……。
「俺はこんなにびびりでヘタレなのに……」
「……知ってたよ。知ってた」
小巻の手が、俺の後頭部をあやすように優しく撫でる。
「なんだよちくしょう……!! なんでそんなに……そこまで俺のことを……!!」
涙腺が決壊した。あとからあとからあふれ出た。
でも両手がふさがっていたから拭えなかった。流れるままに任すしかなかった。
小巻の頬がもぞもぞと上下に動いた。拭ってくれようとしたみたいだけど、ハンカチじゃあるまいし、その試みはうまくいかなかった。ただ涙を共有しただけだった。
「……やーい、泣いてやんの」
「うっせえよ……!! バカ……!! 小巻ぃ……!!」
しばらくの間、俺たちは抱き合ってた。
なにをするってわけじゃなく、優しく静かに話をしてた。
昔のことを話した。
ふたりでどこへ遊びに行ったか。
どんな悪さをしたか。
チコが死んだときのこと。
新しいチコは元気か。
コルムとして遊んでたときの思い出。
――たくさんの冒険。
ふたりの間にあった空白を、それは急速に埋めていった……。
「……あ。窓、締めなきゃな」
ふと、まだ窓が開いていたことに気が付いた。
こんだけ大騒ぎしたあとじゃ遅いかもしんないけど、一応世間体みたいなのもあるわけだし……。
立ち上がろうとしたが、小巻は動こうとしない。
「……もう少しこのままじゃ、だめ?」
小巻の口から初めて聞いた、おねだりするような声――女の子の声。
すぐ傍に吐息を感じてドキリとして、思わず表情を窺った。
――大きな瞳が濡れている。頬がほんのりピンク色に染まっている。ぷるんとした唇が、吸い込まれそうなほど怪しく蠢いた。
「あたし……もっともっと、あんたと一緒にいたい……」
「……っ!?」
胸を何かが刺し貫いた。
心臓が急速に波打ち始めた。
バクンバクンバクン……!! バクンバクンバクン……!!
酸素を寄こせ、血液を送れ、体中が騒ぎ始めた。
答えを返せないでいると、そっと小巻が目を閉じた。唇を突き出すように差し出してきた。
……キスをしたことはある。とーことだ。
でもあれは事故というか、向こうからしてきたことだった。避けようがなかっただけだ。
でもこれは、形はどうあれ俺からすることだ。ぜんぜん意味が違う。
小巻との今後の関係性が変わってくる。
――これはまずい。これはまずい。これはまずい。なんていうかまずい。絶対いけない。
だけど逃げ場がなかった。肉体的に密着しすぎていたし、精神的にも追い詰められていた。
衝動のようなものが俺を動かそうとしていた。
大瀑布の頂上から全力で落下しようとしていた。
――受け入れろ。キスしてしまえ。減るもんじゃなし。
――突き放せ。絶対やめろ。勢いですると後悔するぞ。
俺の中の天使と悪魔が戦ってる。
――いい女じゃないか。尽くしてくれるし、いい嫁になる。
――そこが逆に怖いんだろ。尻に敷かれる未来しか見えん。
終わらない。千軍万馬を率いた戦いは、決着がつかない。
小巻が微かに顔をしかめ、急かすように身をよじった。
「いいんだよ……? ……あたし。もう覚悟は出来てるんだから……」
「……!?」
男らしい女の子の声に、俺の体の制御は完全に奪われた。
轍に車輪が巻き込まれるように、ゆっくりとゆっくりと、小巻の唇に近づいていく――。
「――あるじ様ー!!」
大きな声が携帯から聞こえてきた。
液晶画面に大写しになったルルが、拳をぶんぶか振り回して怒っていた。ぷんぷんだった。
「――あるじ様の浮気者!! バカ変態エッチ!! 今すぐその手を離しなさい!! その女から離れなさい!!」
ぱっと小巻が顔を離す。
「うっさいわねあんた!! これはあたしと幸助の問題よ!! 口を出さないで!!」
「うるさくないですー!! ルルとあるじ様の問題でもあるんですー!! 絶対あんたの好きにはさせませんー!!」
「へっへーん。言うだけなら自由よねー? でもだからなにー? 何ができるのー? あんたはしょせん携帯の中から出てこれないでしょ? あたしがこうするのを止められる?」
言いながら、小巻の指が俺の唇を指で挟んだ。
「こ、こまひ……!?」
「ぐぬぬぬぬぬ……!!」
「ほうらー。キスするよー? しちゃうよー? 悔しい? ねえどんな気持ち? いまどんな気持ち?」
「おぉのぉれぇー……!!」
切歯扼腕するルル――その表情が、不敵に歪む。
「へっへーん。騎兵隊のご到着ですよー?」
家のチャイムが連打された。
隣の部屋から「はーい!! はーい!!」と元気よく摩耶が迎えに降りていった。
少しして階下から、「おおおー!? とーこだー!! 涙もいるー!!」と大騒ぎする声が聞こえてきた。
ドタドタと階段を駆け上がる音が続く。
騎兵隊の突撃ラッパが聞こえてくる。
「ルル……おまえ……!?」
状況説明を求めた俺に対して、ルルは喉を掻っ切るしぐさをした。
「悪・即・斬ですよー。あぁるぅじぃ様ぁー……!?」
地獄の底から響いてくるようなおどろおどろしい声で、ルルは俺の不貞を訴えた――。




