「魔法のカレー」
~~~~~蜂屋幸助~~~~~
料理をしていた。ジャガイモの皮を剥いて切り、ニンジンの皮を剥いて切り、玉ねぎの皮を剥いて切った。野菜ゴロゴロのカレーを作っていた。
河野家のキッチンは広くて作業がしやすい。道具もひととおり揃っているし、いちいちモノがいいので気分がいい。
意外と思われるかもしれないが、料理は得意だ。さんざんお袋に手伝わされてきたせいだけど、こういう状況では役に立つ。
時子は生まれついての不器用女だった。動きが鈍く、計画性がなく、管理もずさん。家事を教え込むことは、かなり早い段階からみんなが諦めていた。
だから掃除洗濯は週一で来るハウスキーパーがやり、料理はすべてケータリングというお嬢様プロテクトが敷かれた。料理器具を使うのは親父さんだけなのだが、その親父さんはそもそも家に寄り付かない。
一流のハウスキーパーと一流のケータリング。掃除洗濯に隙は無く、食事はどれもこれもすこぶる美味い――でもこの家には、そしてその味には、愛情というものが不足している。手間をかけずに金だけかけた生活は、きっと時子から、成長期の大切な何かを奪っている。
だから、なにか作ってやろうと思ったのだ。お金では買えない家庭の味。くそやかましい妹と、妹を溺愛する親バカふたりとともに囲む食卓の味を、こいつに教えてやりたいと思ったのだ。
「……いい匂い……してこない。……ほんとに料理してるの?」
HMDを被った時子が、不満げに聞いてくる。
「するか!! まだ下ごしらえの段階だぞ!!」
「漫画やアニメじゃ、料理したらすぐにプ~ンと香ってくるのに……」
「表現だろ表現!! 声優のくせに漫画やアニメを鵜呑みにすんな!!」
「……声優は、そこにあると信じることが大事……信じなければ声は出ない」
「職業病だそれは!! 現実はかくも厳しいのだ!!」
大変だなプロは!!
「ちょっと期待してたのに……」
すごくがっかりした声だった。たしかにアニメとかじゃそうだけどな。食材の処理してる横で鍋がグツグツいっててさあ。あれ美味そうに見えるんだよ。いい匂いがするんだろうなってさ。でもそれって行程の問題だし、今は美味しそうに見えない瞬間だってだけ。野菜だって切るだけじゃダメなんだよ。灰汁をとったり辛味を飛ばしたり、地味な努力の積み重ねが美味しい料理に結びつくわけ。
人間だってきっと同じ。そう言い切るのはおこがましいかもしれないが。
「ケータリングならすぐに来るし……失敗してもいいのよ?」
「はいそこ!! 憐れむような感じ禁止!! 俺は料理できる系男子だから!! 失敗してるわけでもムリしてるわけでもないから!!」
「……でも涙目になってる」
「これ玉ねぎのせいだから!! ふえぇ、失敗しちゃったよう……とかそんなんじゃないから!!」
「このまえ演じた役の女の子は……カレー作るって言ってなにか別の生命体を作ってたわ……」
「暗黒物質とか謎のゲル状物質とかな!! そういうの俺もアニメで見たことあるけどムリだから!! あれは錬金術かなにかで錬成したものだから!! 賢者の石とか混ざってるから!!」
等価交換の代償は健康。
時子にさんざ邪魔されながら玉ねぎとジャガイモを水にさらしたところで、はたと気づいた。
「やべ……ニンニクがない……」
うちではいつも常備しているから忘れてた。
「不覚……。しかたねえ……買って来るか……」
手を洗ってエプロンを外す。
「ちょっと近くのスーパーまで買い物行ってくるからな。ルル、時子の面倒見てろよ。最近は慣れてきたみたいだし、もう大丈夫だとは思うけど、万が一があるからな。気持ち悪くなったら容赦なくログアウトしろ」
「あいあ~い。行ってら~、あるじ様~」
「……行ってらっしゃい」
「戸締まりも忘れんなよ!!」
俺の携帯ではなくPCの中にいるルルに時子の世話を頼むと、サイフだけ持って部屋をあとにした。
高速エレベーターに乗り込んで、買い忘れが他にないか考えて、ついでに時子の好きなカスタードプリンを買って来てやろうか、声優さんだからのど飴とか必要か? あの家に加湿器あったか? などと思いを巡らしながら……ふと昔のことを思い出す。
摩耶がまだ入院していた頃、同じ病院で俺はひとりの女の子に出会った。
名前はなんだったか。どんな顔だったか。すべてがうろ覚えで薄ぼんやりとした霧の彼方にある。
あいつもたいがい不器用なやつだった。何もできず、笑い顔すら下手くそだった。
俺と摩耶と3人でごっこ遊びをしたり、花を摘んでティアラを作ったり、イノセントな遊びを繰り返して……繰り返して……。
最後はどんな別れ方だったか覚えていない。
そんなに前のことじゃないはずなのに、思い出そうとしても思い出せない。
人の記憶なんてそんなものなのだろう。どれだけ大事な思い出でも、忘れたくない記憶でも、時がたてば摩耗し擦り切れ、どこかへ消える。
「ううむ……」
葛藤に胸を痛めているうちに、エレベーターは一階に着いた。
いつも静かなエントランスの片隅が妙に騒がしい。
「なんだなんだ?」
ソファセットのほうを覗きこむと、なぜか涙がいた。ついでに摩耶と、もうひとり同じ年ごろの女の子も一緒にいた。
「なにやってんだ?」
ぽん、涙の肩を叩く。
「――ふわあああああああああぁ!?」
今まで見たことのないくらいの凄い勢いで跳びすさった涙は、ソファの陰に隠れた。
「ななななな……あ。――ああああああぁ!?」
顔だけ出してこちらを窺い……途中で何かに思い当たったように叫んだ。
「どうした落ち着け。どーどーどー」
怖くないよー。俺は敵じゃないよー。
「き、き、き、き……聞いた!? 聞こえた!?」
「……なにが?」
「わたしのあのその……そのあの……」
涙は顔を真っ赤にして言い淀む。
「お姉ぇ!! 違う!! 本題はそっちじゃない!! ほら頑張って!!」
涙の妹……? が檄を飛ばしているが、なんだかよくわからない。涙は涙でおろおろうろうろ困ってるようだし……。
……あ。
思いついた。ひとついいことを思いついた。俺って、天才なんじゃなかろうか?
「涙!!」
「は、はい!?」
突然の俺の呼び掛けにびっくりした涙は、ぴーんと背筋を伸ばして硬直した。
「今、時間あるか!?」
「は、はい!! 売るほどあります!!」
「俺たちとカレー食わないか!?」
「はい!! ………………はい?」
~~~~~河野時子~~~~~
……このままではいけない。
私は心の中でつぶやいた。
幸助に近づきすぎた。出会って10日しかたっていないのに、もはや10年来の知己のように慣れ親しんで、生活の深いところにまで入り込まれている。
料理を作ってもらう。サイフを渡して買い物に行ってもらう。寝落ちしたのを起こしてもらう。今日などは鍵屋の前で立ち止まって合鍵を作ってもらいそうになった。我にかえってやめたけど、いい加減にするべきだ。
私は彼に心を許しすぎている。
信頼できる人間だとは思うけれど、一緒にいると楽しいけれど、これ以上はダメだ。
だって、もしまたあの時みたいに幸助やルルを失ったとしたら、耐えられる自信がない。こーくんとまーちゃんを失った時みたいに悲しいのは、もうごめんだ。
これ以上擦り寄らなければいいのだ。ふたりに依存しなければいいのだ。世間一般の友達付き合いと同じように、つかず離れず、一定の距離を保とう。
――私はもう、あの時みたいな子供ではないのだから。
「ねーねー。ママ~?」
私の……ではないハチヤの頭の上で、ルルが囁く。カナバル草原で城羊を狩って毛皮を剥ぐという牧歌的な(?)作業を繰り返している最中のことだった。
「……なに?」
「うちのあるじ様と、本気でパパママの関係になる気はないですか?」
「…………は?」
何を言ってるんだろうこのコは。
「ああ見えてけっこう優良物件だと思うんですけどね~。明るいし元気だし、炊事洗濯掃除と家事全般に万能ですし。頭がいいとかイケメンとかはないですけど、いろいろ気の付く人ですし。今もきっと、ママの好きなカスタードプリンを買って帰ろうか、声優さんだからのど飴とか必要か? あの家に加湿器とかあったかな? とかとか、いろいろ考えてると思うんですよ」
「……いいやつだとは思うけど」
私はドキリとした。
そんなことは知ってたのに、他人の口から……しかも自分と同じ声質で改めて聞かされると、そわそわと落ち着かない気分になる。
「……あなたは、それでいいの?」
ルルと幸助は、不思議な関係を築いている。恋人のようであり、親友のようであり、家族のようでもある。他の誰も入り込めない、親密で緊密な関係だ。
そこへ私が入っていいのだろうか。ルルの執着はそれを許すのだろうか。
「……そうですね~」
パタパタパタ。ルルはハチヤの頭の上で羽根だけ動かして揚力を発生させながら、けれどしっかりと髪にしがみついている。猫が全身で伸びをしているようにも見える。
「そう思ってた時期が、ルルにもありました。あるじ様はルルのもので、他の誰にも渡さない。近づく人に噛みついて邪魔をして、遠ざける番犬を自任してた時期もあったんです。でもね……」
ルルの声のトーンが落ちる。
「……ルルがいなくなっても、あるじ様の人生は続くんですよ。そのことに今さらながらに気づいたんです。ほら、『孫の顔を見るまでは死ねない』って、ドラマでよくやるじゃないですか? あんな心境なんですよ。あるじ様に、ルルの認めるいい嫁を見つけるまでは消えられないなって……」
……ん? 消える? いなくなる?
「ママはルルの産みの親ですから。他の誰でもない、もっともルルに近い存在ですから、だからルルとしては、そうなってくれると嬉しいんです。最後の最後に、ほっとしてこの世を去ることが出来ると思うんですよ」
弱々しく微笑むルル。
「ちょ――どういうこと? なにその、消えるとかいなくなるとか……」
「あら、言ってませんでしたっけ。ルルはですね~」
――FLCのサービス終了まであと240日。それで終わり、消えちゃうんですよ。
「な……何言ってるのよ……!!」
ハチヤが伸ばした手の先をすり抜けるようにして、ルルは天高く飛ぶ。そうなると、軽戦士のハチヤには、ルルに触れる方法がない。
「ひひー。そんな動きじゃ捕まりませんよ~。まだまだですね、ママ~」
ルルは能天気に笑う。
いや――私にはわかる。その声は、無理して強がっている時の声だ。
「あなたたち……なにやってるのよ……!!」
幸助とルルのやり取りを思い出す。打てば響くような軽妙なやり取り。笑顔と笑顔。それらが全部、期限付きのものだったというのか。
なのに、どうしてそんな状態で笑っていられるのか。こんなところでゲームなんかしてる場合か。カレーなんか食べてる場合か。寂しくないのか。怖くないのか。
口に出そうとして――ルルの儚げな微笑を見て、引っ込めた。寂しくないわけがない。怖くないわけがない。他にやりようがないだけだ。
「……ダメですかね~?」
再度のお願い。
「うぅ……」
思わずうなずいてしまいそうになって――胸の奥にわずかな痛みを感じて踏みとどまる。
幸助のことは嫌いじゃない。まだ明確な好意ではないが、いきなり結婚までは想像できないが、恋人になることに異存はない程度に。
……だけどまだ、私はこーくんのことを引きずっている。もう会えるわけもない彼の姿が脳裏をチラつく。
――祖父を失い悲しむ私に、こーくんはこう言った。
「泣くなとーこ。おまえが泣いたらじーちゃんが悲しむだろうが。悲しませたくないなら、精一杯笑ってろ。笑えなかったら俺を頼れ。俺がいつでも笑わせてやるから。おまえが世界のどこにいたとしても、必ず見つけ出して笑わせてやるから。だから泣かずに待ってろ――」
幼い彼の不器用な慰めは、しかし他のどんな言葉よりも強く、幼い私の胸を打った。イノセントな笑顔が、魂までも捕まえた。
以来、私は彼を待っている。諦めたふりをしながら、今も時折、窓から外を眺める。
「……ママ?」
「……」
言葉に詰まっていると、チャイムの音がした。
後ろ髪を引かれながらHMDを外して出てみると、幸助……の後ろからぞろぞろと女の子たちが顔を覗かせた。
「どーもー。武田藍です」
「は、はじめまして……武田涙でしゅ……です」
「おおおおぉー?」
「おまえは人間の言葉で喋りなさい」
ペシンと頭を叩かれた女の子は、叩かれたところを押さえながら、元気よくシュビッと挨拶してきた。
「蜂屋摩耶です!!」
「……幸助……なにこれ?」
説明を求めると、幸助はものすごいどや顔をしながらこう言った。
「俺の友達とその妹と俺の妹!! さ、みんなでカレー食べようぜ!?」




