「暑いのは夏のせいだけではなく」
~~~~~武田涙~~~~~
「ほら!! お姉ぇ!! 頑張らないと!!」
藍に背中を押された涙が向かったのは、例の高層マンションのエントランスだった。
「ちょ、ちょっと待ってよ藍ちゃん!! わたし……まだ心の準備が……!!」
「できるできないじゃないの!! や・る・の!! もう10日になるんでしょ!? いい加減に浮気男をとっちめてやらなきゃ!!」
「そ……そんな、浮気なんて……!! そもそもわたしたちつき合ってるわけじゃ……!!」
「浮気じゃなきゃ本気でしょ!! これで何日目だっけ!? このままじゃその女子に盗られちゃうよ!? それでもいいの!?」
「うう……そう言われると……」
涙は困ってしまう。
幸助の怪しげな行動について相談すると、藍は思いきった行動に出た。幸助の妹である摩耶を連れ、涙を伴い、マンションのその部屋を直撃するというのだ。摩耶は人定確認役であるとの説明だが……。
「で、でも……そんないきなり行ったりしたら迷惑だし……!!」
毎日張り込む執念はあっても声をかける勇気のない涙にとって、藍の徹底的なポジティブ思考は脅威だ。彼女の行動にはIFがない。もしダメだったらという懸念がない。
涙は好かれたいけど嫌われたくはないのだ。嫌われるくらいなら黙っていようというネガティブ人間だ。
「あーうっさいうっさい!! ごめんくださーい!!」
藍は涙の反論をすべてスルーし、摩耶を引きずるようにしながら自動ドアをくぐって、受付の警備のおじさんのところにずんずん歩み寄った。
「おや、なんだいお嬢ちゃん」
50歳ぐらいの初老のおじさんは、ニコニコと優しげな笑みを浮かべながら3人を迎えてくれた。
「ほら!! 早く早く!! お姉ぇ!!」
「えっ? ええ?」
何をすればいいのか戸惑っている涙に、藍はさっと手を差し出してくる。
「スマホ貸して!! お姉ぇのスマホ見せるのよ!! ほら!! 蜂屋幸助が待ち受けになってるんでしょ!!」
「………………!!!!!?」
ぼん、顔から火が出たと錯覚するほどに恥ずかしかった。
「ちょ、ちょちょちょちょ……!? なんで知ってるの!?」
隠し撮りした写メだった。校舎の屋上から、朝登校してくる幸助を写した。眠そうにあくびをかみ殺している姿がとてもキュートで、密かに涙の宝物になっている。だけどあまりに恥ずかしくて、身内にすら見せたことはなかったのに……。
「あんなに頻繁に見てりゃわかるわ!! 真後ろに立って覗いてみたら、アップにして画面を指で撫でたりしてて、気持ち悪いったら!!」
「――ううううぅっ!?」
「あと横から覗いてもダメだから!! 平面だから!! 角度は変わんないから!!」
「――ふああああああぁ!?」
精神攻撃に怯んだ隙に、スマホを奪い取られた。
藍は迷うことなく待ち受け画面を表示させ、それをおじさんに見せつけた。
「ねえねえおじさん!! さっきこの人がここ通ったでしょ!? どの部屋行ったか知らない!?」
「ん~」
おじさんは待ち受けを見て「ああ……」と察したような顔になったが、すぐに表情を引き締めた。
「……悪いけど、わからんねえ」
「うそうそ!! 絶対わかってる顔してたよ!!」
「あ、藍ちゃん……」
「ね!! お願い!! 教えてよ!!」
パン、と両手を合わせて拝み倒す姿勢の藍。
「お姉ぇの初恋がかかってるんだよ~!!」
「――ちょおっとぉ~!?」
とんでもないことを暴露する藍を無理やり受付からひっぺがし、壁際まで連れて行く。
「なによいいとこだったのに!!」
「なによじゃないでしょもう~!!」
藍はけろっとして悪びれもしない。姉のために行動しているという自覚の成せるわざだ。
相談したのは自分だが……たしかにそうなのだが……。
「本当にやめてよう……。もう心臓が止まりそうなの……」
胸を抑えてしゃがみこむ涙を見下ろし、藍はにやりと口元を歪める。
「あれ? あれれ~? おっかしっいな~?」
煽るように耳に手を当てる。
「すでに告白まがいの行為をしてるお姉ぇが何か言ってる?」
「――くううう……!?」
言葉に詰まった涙は、立ち上がるなりガシッと藍の肩を掴んだ。
口では勝てないのだから、もうこうなったら実力行使しかない。このまま外へ出よう。
「むおお!? お姉ぇのくせに力ずくだと!?」
「おおお!? 勝負!? 相撲!?」
「だ……だって……!! 口じゃ勝てないから……!!」
「ふっふっふぅ~。男子との腕相撲で負けたことのないこのあたしに対して力で挑もうとは、身の程知らずなお姉ぇめ!!」
「え、ええ~? そ、それほんと~!?」
運動神経抜群だとは知ってたけど、まさかそこまでとは思わなかった涙。
ぐい、ぐぐい。藍は言葉の通り恐ろしい怪力を発し、涙の体を受付へと引っ張っていく。涙は踏みとどまろうと足に力をこめるが、靴底が床に擦れるばかりで力が入らない。
「相撲!! 摩耶もやる!!」
なぜか摩耶が参戦し、3方向からのベクトルが押し合いへし合い、組体操みたいな変な格好で拮抗する。
「……あのなあ、お嬢ちゃんたち。どんなに頼まれても、マンションの住人の個人情報は教えられんのよ」
おじさんがすまなそうに手を合わせる。
「じゃあさじゃあさ、あのソファで待つのはあり?」
藍が指さしたのは、エントランスの片隅に設えられたソファセットだ。
「出てくる知り合いを待つ分には構わないでしょ?」
「そりゃまあ……」
じゃあどうぞ、と言ったきり興味をなくしたのか、おじさんは受付の中に引っ込んだ。
「ほ、本当に待つ気なの~……!?」
藍は腕組みし、考えこむように目を閉じる。
「ん~、たしかに。いつまでかかるかわからんものを待つのはナンセンスかな?」
「だ、だよね!? だよね!? さ、もう帰ろう!? 藍ちゃん!!」
「……でもお姉ぇは5時間待ったんだよね」
「そ……それはだって……その時は隠れてたし……。ここじゃ見つかっちゃう……」
ごにょごにょと力ない言い訳は、藍には届かない。
「摩耶。あんた、ちゃんと見てなさいよ? 見落としたらぶっ飛ばすから」
「おおお!? また相撲するの!?」
「違う!! バカ!!」
摩耶も爛々と目を光らせ、協力する気満点のようだ。
「……もう~、どうしたらいいの~?」
頭を抱える涙の脇の下から、急に摩耶が顔を出した。
「――ひあっ!?」
体をくっつけるようにして、摩耶は涙の手元を覗きこんでいる。そこには藍から取り返したばかりのスマホがあるわけで……。
「お兄ぃが写ってる……?」
「――!!」
慌てて後ろ手に隠したけど、もう遅かった。摩耶に見られてしまった。知られてしまった。
「こ……これはね!! なんでもないの!! た……たまたまいい写メがとれたから……!!」
苦しい言い訳。
「ふ~ん……? ふ~ん……?」
コチコチと時計の振り子が揺れるように、摩耶は左右に体を振っている。振りながら、視線は涙に向いている。涙と幸助との関係性について、思いを巡らせている。
ぱっと、頭の上で電球が点灯したような笑みを見せて、摩耶はスカートのポケットからスマホを取り出した。
「摩耶も、お兄ぃのいい写メいっぱい持ってるよ!?」
「――ホント!? 見たい見たい!! ちょっと見せて……じゃなくて!!」
本当は全力で飛び付きたいエサだったけど、ついでにいくつか送信してほしいところだったけど、すんでのところで踏みとどまった。
「あ、あ、あ、あのね……摩耶ちゃん。ちょっとお姉ちゃんと外に行こう? もっと安全なところでその写メを……」
藍の手をどうにかこうにか振り払い、摩耶の背中を押して出口に向かう。
「――なにやってんだ? 涙」
突然、聞き慣れた声がして――。
「――うっ……!?」
その瞬間、涙の意識は真っ白になった。




