「彼女にもわからない」
~~~~~蜂屋幸助~~~~~
声優さんが産みの親という感覚は、俺にはちょっとわからない。でもたしかにルルを構成する要素のことに思いを馳せれば、そうなるのかなという気はする。人間が血と肉で出来ているように、ルルは電子と声で出来ている。
「……え? なにこれ、なんで前に進まないの? その場でぐるぐるしてるだけなんだけど……?」
「ママ!! ママ!! 十字キーで操作するんですよ!!」
「……やってるんだけど」
「それマルチスティックです!! 視界動かしたり体の向きを変えるやつですよ!!」
「……なるほど。どおりで目が回……」
きゅう、とクールな見た目に反した可愛らしい声を上げながら机に突っ伏す時子。
「ママ~!?」
ルルが慌てて声をかけるが、すでに遅しで、時子は机にしがみつくようにしている。
「あーそれな。マルチスティックあるある」
十字キーとの配置が紛らわしいんだよな。んでそれが、視界の広いHMDとの合わせ技で三半規管直撃するんだよ。世の中にはこれでゲロるやつもいるからな。
「ちょっと休んで、次は十字キーの位置を確認してから始めるんだな」
「な……なんか悔しい……」
「ママ~!! がんばって~!!」
「……え? ……なにこれ、やっぱり同じ場所をぐるぐる回ってるだけなんだけど……?」
「ママ!! ママ!! 今度はRボタンが押しっぱなしになってるんですよ!! それはフリーランのボタンなんで、方向転換してる状態で固定しちゃってるんですよ!!」
「……なるほど、どおりで目が……」
再びきゅう、と突っ伏す時子。
「ママ~!?」
ルルが繰り返し騒ぐ中、「お、天丼か?」などと呑気に構えていたのだが、時子はそのあともFLC初心者が引っ掛かるような場所ですべて引っ掛かり続けた。操作を誤り、3D酔いにかかり続けた。
俺は根気よく教えたが、天然記念物級の物覚えの悪さを発揮した時子は、けっきょく最後まで慣れることなく、向こうでのルルの姿など見る余裕もなく、最終的にはソファに倒れるように寝込んでしまった。
「……おまえみたいにどんくさいやつ初めて見たよ……」
ちょっと引き気味に言うと、時子はソファに仰向けに横たわったまま、片目だけで俺を睨んだ。
「……うるさいわね。昔から乗り物系には弱いのよ」
「三半規管もそうだけど……手先の不器用さも関東代表ぐらいはあるぞ?」
答えの代わりにクッションが腹に飛んできた。
「痛って」と言ったが別に痛くはない。
時子はふんと鼻を鳴らし、天井を見上げた。
「……昔からなのよ。不器用で物覚えが悪くて、何するにもみんなの足引っ張って。そのくせ妙に押しが強くて自分勝手でめんどくさいやつだって……」
だから友達も出来ないのよ、悪い? とセルフで泥沼にはまり込んでいく。じつにじつにめんどくさいやつだ。
~~~~~
エレベーターを降りて受付の警備のおじさんに会釈し、エントランスを抜ける。夜だけれど外はまだまだまだ熱く、冷房で冷え切った肌からぶわりと汗が浮き出てくるのを感じる。
「なんとも実りの多い一日でしたねえ~。あるじ様」
感慨深げに腕組みしてうなずくルル。
「実り……ねえ。驚愕の一日ではあったけどな」
俺は肩を竦めて今日あったことを振り返る。
「教室を追い出されて」
「ルルのママに出会って」
「家に無理やり連れてかれて」
「綺麗な女の子の家に招待されて」
「ゲームを教えさせられて」
「密かなボディタッチにドキドキして」
「恣意的な言い換えやめていただけますかねえ」
「ひひー」とルルは笑う。
「でもよかったじゃないですか。PC使わせてもらえる約束してもらって」
「そこはな」
あの後も結局満足なプレイが出来なかった時子はしかし、ギブアップすることを不本意とし、日を変えての延長戦を提案してきた。
俺の役割は、時子がFLCをきちんとプレイできるようにすること。ルルと話をさせること。
見返りに、夏期講習の間だけ、俺は時子のPCでFLCをプレイさせてもらえることになった。
ルルの望みも叶うし、俺の望みも叶う。ウィンウィンの素晴らしい提案ではあるのだが。
「……なんだってあいつは、そこまでルルにこだわるんだ? 負けず嫌いにしても度が過ぎてないか?」
「そりゃルルのママだからに決まってるじゃないですか。愛ですよ、愛」
得意げに胸を張るルル。
ルルとしてはそうなんだろうがな。あいつにとってルルってのは何なんだ?
自分の声が自由に一人歩きしている、そこが引っかかっているのか?
「……ようわからんな」
考えても答えは出ない。俺は思考を放棄した。
「でもでも、本当によかったですねえ~あるじ様。あんなに綺麗な女の子と毎日一緒に塾で勉強して、一緒に帰宅して、一緒にゲームして、時々は手料理もご馳走になって、終電逃がした日には一緒のベッドで寝たりするんですよ?」
「妄想を事実みたいに言うな。大体電車関係ねえし。うちまで徒歩だし」
一時間はかかるけどもさ。
「でも、外を歩けないような大型台風の時は?」
「そんな時はそもそも外出ねえなあ」
「雷が恐くて『帰らないで!! ひとりにしないで!!』展開の時は?」
「ラブコメあるあるいつまで続けるんだおまえは」
デュクシッと携帯画面に地獄突きをくらわすと、ルルは実に幸せそうに微笑んだ。
「――あはははっ。楽しいですね~あるじ様~?」
「ん? ああ……」
――俺たちは知ってる。終わりがあること。それが避けられないこと。すべてを了承したうえで、互いに互いの喜ぶことをしてやろうと決めている。最後まで楽しんでやろうと誓っている。
だから俺は嬉しかった。ルルにリアルとの繋がりが増えることが。たとえそれが、最終的に寂しさとして跳ね返ってくるのだとしても。いまこの一瞬、ルルの短い人生が輝きに彩られるのであれば、それでいいと思ったのだ。
「……そうだな、楽しいな」
俺はつぶやくようにルルに応え、マンションの上のほう、時子の部屋のあたりを見上げる。
~~~~~河野時子~~~~~
私は昔、資産家の祖父の家に住んでいた。母が祖父の娘で、父は入り婿だった。
祖父に甘やかされて育った母は、仕事人間の父についていけなかった。いつも自分中心で、優しく声をかけてもらえないと死んでしまう病気にかかっていた彼女は、寂しさに耐えられずに他の男と家を出た。
父は一層仕事に打ち込むようになり、祖父が病に倒れても、ほとんど見舞いに行くことはなかった。
私は父の代わりを意識して、毎日学校帰りに病院へと見舞いに通った。
大概の場合、祖父は私の訪れを喜んでくれたが、午後は検診の時間であり、また入浴や食事の時間でもあり、それはわりかしデリケートな問題で、私がいないほうがいいことも多くあった。
気を利かせて病室をあとにして、あてどもなくさ迷う。けれど私に行き場所などなかった。廊下を徘徊する病人たちの話し声。見舞客の優しい声。それらはすべて、幼い私にとっては呪いの言葉のように聞こえてきた。
――望まれぬ子。
――卑しい女の血の流れた子。
――家の恥。
――財産泥棒。
祖父の財産を狙う親族はたくさんいた。実の娘である母には当然の如く莫大な取り分があった。だけど母の素行は資産家の娘にふさわしいものとはいい難く、親族からの風当たりも強かった。最悪の成り行きで家を出てからは、それが一層強くなった。親族たちは祖父の病室を訪れるたび、母の悪口陰口をまき散らして帰った。私をひと睨みしていくことも忘れなかった。
――病院の中庭の、クローバーとシロツメクサの咲く庭に、そのふたりはいた。
病院服を来た幼い女の子と、その兄らしき男の子。仲睦まじく遊び騒ぐふたりの姿に、私は見惚れた。
女の子のほうは美しかったけれど、男の子のほうはそうでもない。だけど目が離せなかったのは、ふたりの間の信頼関係だ。
その時の私は人と人との関係とか親愛の情というものを疑っていた。周りの人間すべてが敵に見え、一言一言の言葉の持つ意味を勝手に想像して裏を考えて怯えていた。
なのにふたりは完全に互いを信じ、愛し合っていたのだ。別に言葉を交わしたわけではないけれど、名乗り合ったわけですらないけれど、私にはそれがわかった。そういう気づきが、たぶんこの世にはある。
兄のほうがこーくんで、妹のほうがまーちゃん。本当はちゃんとした名前を教えてもらったはずなのだけれど、当時の私は吃音症を患っていて、そのようにしか発音できなかった。
ふたりはにこやかに私を受け入れ、遊び仲間として、友達として認めてくれた。
学校の終わった午後に病院に通い、祖父の見舞いをする傍ら兄妹に会う。幸せな日々はしかし、祖父の死と共に終わりを告げた。
家は親族同士の醜い争いの末に切り取り売り払われ、父は味もそっけもない高層マンションへ居を移した。
あの病院へどう行ったらいいかわからず、私と兄妹はそれきりになった。少し大きくなってからもう一度病院へ行ってみたが、どこをどう探してみてもあの兄妹はいなかった。退院したのか、だとしたらどこへ行ったのか、聞いてみたけれども言を左右にしてはぐらかされるばかりで、誰も教えてくれなかった。
いまだったらそれが情報保護の観点から見た正しい対応なのだとわかるのだけれど、当時の私にはそんなこと想像も出来なかった。いなくなった友達の行方を教えてくれない大人たちの無情さに、ただ絶望を深めた。
強い思い出として残っている出来事がある。何かのアニメで見たシロツメクサのティアラを、こーくんが私に作ってくれたのだ。こーくんとしては、特別な意味のない行為だったのかもしれない。でもその覚束ない手つきや、座り込んだ私の後ろに立て膝をついたこーくんの息遣いを、私は忘れない。
~~~~~
「……」
窓際に立って、下を見下ろす。幸助が立ち止り、こちらに向かって携帯を掲げている。画面にはおそらくルルが映っているのだろう。大きな声を上げ、手を振っているのだろう。
見えるわけもないのに手を振り返した。直後にバカらしくなって笑ってしまった。こんな距離でわかるわけもない。それに第一、幸助の目測した部屋の位置は、ここから大きくズレている。
「……どうして」
どうして幸助を部屋に招き入れたのか、それは自分でもわからない。いままでそんなことをしたことはなかった。相変わらず私は人付き合いが苦手で、友達も出来ない。大勢の前に出ることも苦手だから、仕事でも顔出しは原則NGとさせてもらっている。
なのに、幸助を招くことに違和感は感じなかった。ひとつの空間にいることに安堵すら覚えた。
考えても答えは出ない。私はただ立ち尽くし、なんとなく、幸助の手が触れたうなじを撫でる。




