「変な女」
~~~~~蜂屋幸助~~~~~
河野時子に手を引かれた俺は、半ば無理矢理教室から連れ出された。
「――ちょ、ちょちょちょ!!」
意外にも強い力で、俺はぐいぐいと引っ張られた。制止の声を聞かず、河野時子はずんずんと廊下を歩いた。
ジュースとハンバーガーとカップラーメンの自動販売機と、いくつかのテーブルと椅子と観葉植物があるだけの簡素な休憩室は、授業中ということもあって、他に誰もいなかった。
「ちょっとあんた、どういうことだよ!?」
椅子に投げ出された俺は、抗議の意をこめて河野時子をにらむ。
「あんたじゃない。河野時子。時子でいいわ」
「俺は蜂屋幸助。幸助でいいよ。……ってそうじゃねえよ!! 自己紹介してる場合じゃねえよ!! あんな目立つことして、講師にも目をつけられて、この先通いづらくなるだろ!? なにしてくれてんの!?」
「聞きたいことというのは他でもないわ」
しかし時子は俺の台詞を完全にスルー。
「……くっ、こいつ……!! 話を聞かない系女子か!?」
「……あなたのそれ、見せなさい」と言うなり、あろうことか俺のポッケに手を突っ込んできた。白く長い指が、股関節周りの繊細な部分をごそごそとまさぐってくる。
「――うお!? や、ばか、やめろ!! なにやってんの!?」
「……暴れないで。取り出しづらいから」
「そりゃ暴れもするわ!! 変なとこに手を突っ込むな!!」
「……ポケットの何が変なのよ」
「なにその真顔!? いやべつにポッケ自体に罪はねえけどさ!! 近くにあるものが問題というか!!」
「……もの?」
「小首を傾げてんじゃねえよ!! 知らねえとは言わせねえぞ!?」
「……あなたが何を言ってるのか本気でわからないんだけど」
「こらこらこら!! 無視して手を動かすな!! ほんともう勘弁してください!! 無理無理!! そこはダメ!! ――うっ!? わ……わ、わ、わかった!! わかったから!! 自分で出すからもうやめろ!! 必要以上に動かすな!!」
「……携帯がふたつに増えた?」
「増えてねえよ!! それはもともとあったものに色々あって変化して……ああもう!!」
「はあ……はあ……!!」
全身嫌な汗でびっしょりになった俺は、息も絶え絶えにならりながら携帯を取り出すと、時子に渡した。携帯を他人に渡すのに抵抗がないとは言わないが、正直、今の俺にそんなことを考える余裕はなかった。大暴れしそうになる自分の分身を抑え込むのに理性という名のリソースをフルに注ぎこまざるを得ない状況だったのだ。
「あるじ様……?」
口元に手を当てて絶句しているルル。
「いやいやいや、なんでおまえ責めるような口調なんだよ!! 見てたよね!? いまのどうしようもない流れ見てたよね!? そのうえで俺を責めるとかどういう了見なの!?」
「ポッケの中にいたので見えてはないです」
……あ。
「た、たしかに!! でもなんとなくわかるじゃん!? 想像つくじゃん!?」
「なるほど……股間を押さえながら座り込むあるじ様を見て想像することというと……」
「ストーップ!! わかった!! やっぱり想像しないで!!」
俺の携帯を手にした時子は、興味深そうに画面の中のルルと俺とのやりとりを見ている。
「吹き込んだ覚えのない私の声……。繋ぎがシームレス過ぎる……。受け答えが的確すぎる……。人力ボーカロイドじゃない……?」
「……じんりきぼぉかろいど?」
ルルが首をかしげる。
「ボーカロイドは知ってる? 色んなメディアから声優のアカペラ音源を切り貼りして作るのを、人力ボーカロイドって言うのよ」
「ははあ……」
同じ声質の者同士が語り合う不思議。
「よくわかりませんけど、ルルはルルですよ?」
「ルル? ……そう、あなたはそういう存在なのね。生きてるのね。電子の妖精? 精霊? 最近流行ってるわよね」
お話しの中ではな。
「そういうあなたはどなた様で? なんだか聞き覚えのある声なんですが……」
「河野時子。声優よ。たぶんあなたの声の大元」
時子は自分とルルを交互に指差す。
「大元……? ルルの声の産みの親……?」
ルルははっとしたような顔になる。
「……ママ!?」
「え、そういうことになるの!?」
「……そうかもしれないわね。 産んだ覚えはないけれど」
「おまえはおまえでさっきから受け入れるの早くねえ!? 順能力高すぎねえ!? 俺が言うのもなんだけど、こいつ見た目は携帯の中の謎アプリだよ!?」
しかしふたりは俺を無視して盛り上がっている。
「ママ!! 会いたかった!!」
「娘よ!! 会えて嬉しいような気がするわ!!」
ひしっ、と抱き合うふたり。これもうどこからツッコンでいいのかわかんねえな。
~~河野宅にて~~
時子の自宅は街中の一等地にどかんと聳える高層マンションの一室だった。警備員が常駐している、セキュリティ万全な感じのだ。
部屋は広く沢山あり、調度品もいちいち高級。窓は全面ガラス張り。当麻先生の家とはまたベクトルの違った金持ちの家だった。
「家の者のことなら気にしなくていいわ。父は貿易商の仕事で海外を飛び回っていてほとんど帰って来ないし、母は他の男と出ていったから。基本私の独り暮らしなの」
「うん、どんな表情をしたらいいのかわからなくなるような家庭の事情を教えてくれてありがとう」
「……笑えばいいと思うよ?」
「うん、ただの人でなしだなそれは」
真顔で何を言ってんのかねこいつは。というかそもそも何を考えているのか。
「今日会ったばかりの男子を部屋に入れようとかよく思えるね、おまえは」
「……さて、どうしてかしらね。私にもわからないの。あ、でもあらかじめ言っておくと、私に変なことをしようとしても、ボタンひとつで警備のおじさんが飛んでくるし、私自身スタンガンで常時武装してるから無駄よ?」
「うん、まったくその気はないんでね。だからスタンガンをバチバチ言わせるのやめような?」
「護身用に通信教育で空手も習ってるし」
「あ、それ役に立たないやつだから」
といって小巻やイッチーばりに役に立つのやられても困るけども。
「あるじ様がママと……あるじ様がパパに!?」
「はい劇画調の顔で驚かなーい。何度でも言うが、まったくその気はない」
「それはそれで失礼な話よね……。女としての沽券に関わるわ」
「どうして欲しいんだおまえは……」
はあ、と重いため息をつく。
つうか、そもそもセキュリティがどうこういう問題じゃなくないか? もっと生理的なというか……。本気で警戒されるのも嫌だけど、薄いは薄いで心配になる。人として。
「無駄口叩いてる暇があったらさっさとセッティングしたら?」
時子は落ち着いたもので、長い足を投げ出すようにしてソファで寛ぎながら、当然のように指示出ししてくる。
「叩き始めたのはおまえだがな!?」
反論しながらも素直な俺は、鞄をフローリングの床に置いて作業を開始した。
リビングに設置されたデスクトップPCの脇に、未開封のHMDが投げおかれている。ご丁寧にFLCのソフトやコントローラまで用意されているのは、時子がFLCの制作スタッフにプレゼントされたからだそうだ。声を当てた時に縁でってことなんかね。うらやましい。けっこうバカにならない値段すんだよなこれ。
「興味がないから開封すらしてなかったんだけど、娘の活躍が見れるなら別よね」
とは時子の弁で、
「ママにルルの晴れ姿を見せるんですよ!!」
ルルは力いっぱいはしゃいでいる。本当に嬉しそうだなこいつ。
「……ちょいちょいちょいで、ほい出来たっと」
インストールしてコントローラとHMDの設定するだけなんで、セッティング自体はものの数分で出来た。キャラメイクまでするなら数分どころか数時間かかっても終わらんだろうが(そこが楽しい)、今回はルルの姿を見せるのが目的だから、俺のIDでログインするだけでよかった。
「こっちな」
手招きすると、時子は素直に近寄ってきた。
そのまま椅子に座らせ、HMDを被らせる。
「……?」
「どうした?」
床屋みたいに後ろに立つ俺を、時子はきょとんとした顔で振り返る。
「なんだか……なんだろう。私にもわからないの」
「はあ?」
なんだそりゃ。
頭をひねる時子。しかしいくら考えても何が変なのかわからないようだった。
「どこか懐かしいような……ピースがぴっちり嵌まったような……遥か昔にもこんなことがあったような……そんな気がするの」
「そりゃ、HMDなんてそんなに珍しいもんでもねえからな。経験ぐらいあるだろ?」
「ううん。そういうんじゃなくて……既視感? まあ、いいわ」
思考を放棄した時子は、改めてHMDを被ってコントローラを握る。ルルが携帯画面からFLCの中へと移動する。
「よくわからんやつだな……」




