「ふくちゃん」
~~~~~お鷹~~~~~
女中達の控室に戻ると、20代前半の若い女中達がきゃあきゃあと盛り上がっていた。
「ねえねえ、さっきのふたり、見た!?」
「見た見た!! あれよあれ!! 絶妙な距離感!! 友達以上恋人未満って感じで意識し合ちゃって、ちょー初々しいの!!」
「あーいうの見ると、もう可愛くて可愛くて、ぎゅーっと抱きしめたくなるのよね!!」
「わかるわかる!!」
「あんたの場合はショタ好きなだけでしょ!!」
「いーじゃん!! あんただって嫌いじゃないくせに!!」
「まーねー!!」
あはははは、かしましく笑い合う女中達をよそに、お鷹はひとり、ソファに腰を下ろして目を閉じた。
女中のひとりが気を使ってお茶を淹れて持ってくると、そっと目を開いてわずかに微笑んだ。
「ありがとさん」
「いえいえー。お鷹さんもお疲れでしょ? 加奈子お嬢様のお籠りが始まっちゃったから」
「なあに、あんなのは慣れたもんさ。以前にも何度かあったし、その時のほうが面倒だった。でも今日は――」
あのふたりのことを考える。加奈子の教え子ふたり。
「あー、そうですよね。加奈子お嬢様を生徒さんが訪ねて来るのって初めてじゃないですか?」
「……そうだねえ」
お鷹は嘘をつき、女中を適当に追い払うと、お茶を口に含んだ。
以前にはいたのだ。いたがゆえに悲劇を生んだ。
ぽっちゃりとして色白の、可愛らしい女の子。名前はなんと言ったか、ころころとよく笑う、愛嬌のある女の子だった。
「……いつまでも心配する必要はないのさ。あの子は打たれたまま黙ってるような、大人しい子じゃないからね」
確信を持って、お鷹はつぶやく。
~~~~~蜂屋幸助~~~~~
「――は」
先生の口から音が漏れた。言葉ではなかった。
「は……はは。あははははは――」
笑い声だった。壁に手をつきながら大きく体を揺する。最終的には耐えきれなくなって床に座り込んだ。
「……はっ、あはははははは!! あんた……武田さんって……ば、バカじゃないの!?」
「――おい先生」
咎めようと迫ると、涙がぐいと俺の腕を掴んで止めた。
「あんたもよ。こんなところまでわざわざ来てさ。恥ずかしいこと言っちゃって。たかがゲームのことで、本気で私が凹んでると思ってたの? 地獄? バカねー。ゲームじゃないの。たかがゲームよ、ゲーム。武田さんは武田さんで告白まがいのことしちゃうしさ。あっははは、これでしばらくいじって遊ぶネタには困らないわ……あーあ」
小馬鹿にするような口調と裏腹に、先生の目からはとめどなく涙があふれている。鼻をぐずぐずと鳴らしている姿は、まるで大きな子供みたいだ。
「……ふふ」
涙の顔を見ると、照れくさそうに片目をつむっている。
大したもんだ。あんなにも全力の自己主張をしたくせに、まだ他人の気持ちを察する余裕がある。
「……ほんと、バカばっかよね。こんな私のためにさ、勘違いも甚だしいわよ」
あーあ、一際大きく声を上げて、先生はネグリジェの袖でごしごしと顔を拭った。
「バカバカしすぎて。もうさ……泣いちゃったじゃない」
先生は立ち上がり、ぽんぽんと尻を叩いた。
「……しょうがないわねえ。おバカなあんたらのために、もう少しだけ、くっだらないお遊びに付き合ってあげるわよ」
「――ご」
誰かが声を上げた。俺たちから少し離れたところ、部屋の中から声がする。
「――ま――い」
長く喋らないでいて声の出し方を忘れたような、ぎこちない喋り方だ。
「ごし――まお――がい」
PCからではなかった。電話機からでもなかった。机の上に置かれたスマートホンのLEDランプが、青白く点滅している。
「あるじ様……」
「おいまさかだろ……」
ルルと顔を見合わせる。互いに呆然とつぶやく。
「――え? ――え?」
涙は状況がよくわかっていないらしく、辺りをきょろきょろと見回している。
「ごしゅじんさま~、おねがいです~」
確かに聞こえた。トロトロ甘ったるい蜂蜜のような、それは紛れもないふくちゃんの声だった。
「先生!!」
叫ぶ。
言われるまでもなく――先生は動いていた。ダッシュで部屋の中に立ち入って、まっしぐらにスマートホンに飛びついた。ベッドから垂れ落ちた毛布の端を踏んづけて、みっともなくすっ転んだ。
「痛たたた……」
転んだ拍子に打った腰を擦りながら、ベッドを背にして床に座り込む。
離さなかったスマートホンの液晶の中に、大泣きしているふくちゃんが映り込んでいた。
「ごしゅじんさま~、だいじょうぶですか~?」
「ふくちゃん――あんたなんで――!?」
先生の剣幕に勘違いしたのか、ふくちゃんは怯えたような顔になった。
「うああああ~、おこらないでください~。ぼくを~、すてないで~」
うわーん、と漫画のような豪快な泣きっぷりだ。涙が滝になって川を成して、液晶の中に溜まっていく。
「ぼくが~、おねだりしたから~、ばどが~」
「あんた……」
涙の海に沈むふくちゃんを、皆、どうしていいかわからずに見守っている。
「……どうやらふくちゃんも、保持者になったみたいですねえ」
自分自身がそうであるからか、我に返るのが一番早かったのはルルだった。呆然としたままの先生の後ろから、ふくちゃんに手を上げて「ちゃおー」と挨拶している。
ゲームの中の存在でしかないはずのふくちゃんが、先生のスマートホンの中にいる。ルルの事例を考えたって、それはひとつの事実しか指し示さない。
「ほ……ほんとにほんとにほんとなの?」
先生はしつこいほど繰り返し、ルルに確認する。信じたいのに信じられないって感じ。ま、そりゃそうか。俺だって最初は……いや、そうでもないか?
だけどそれは、俺がいつも望んでいたからだ。誰だってあるだろ? こんな風になって欲しいって未来。現実の隣にだぶって見える妄想。俺の場合はそれがこのFLCだった。
先生は俺より十も歳上の大人だし、常識を知ってる(身に付いてるとは言わない)分、時間がかかるんだろう。でも俺は確信してる。自分の夢の具現化が目の前にあったら、誰だってきっと、そいつを受け入れずにはいられない。
「ご覧の通りですねえ。どんなに胡散くさく見えたって、目の前にあるのが事実です」
あっさりとルルが首肯すると、先生の動揺が目に見えて収まった。
「先生、言っとくけど、こいつらの世話、マジにめんどいかんな? 本気でプライベートとかなくなるから」
心の底からのアドバイス。
「あー、あるじ様がペット扱いした!!」
「いやペットより性質悪いだろ!! 餌(ゲーム内通貨)はバクバク食うし噛みつくし、近所迷惑だし、学校での俺の立場もなくなるし、断然凶悪だろ!!」
「もともとないものをあったように言うのはやめたほうがいいんじゃないですかねえ……」
「うるせえよ!! ささやかにはあったよ!! たぶん!!」
『……』
ぎゃあぎゃあとわめき合う俺たちをよそに、先生とふくちゃんは長い間見つめ合っていた。ふくちゃんの顔は涙と鼻水でぐしょぐしょで、先生の顔は目元が真っ赤で髪もぐしゃぐしゃで、それが互いにおかしくて、思わず笑い合ってしまう。
「ぷ。ふ、ふくちゃん。あんた、ひどい顔……」
「ごしゅじんさまも~、ひどいかおです~」
それを見て、俺とルルは争いをやめた。ほっこりしてしまって、なんだかそんな気分じゃなくなってしまった。涙も、心底嬉しそうにその光景を眺めている。
ゲームの中でいつもそうしているようにふくちゃん入りのスマートホンを抱き締めると、先生はなぜか偉そうに号令を下した。
「さ、やると決めたらやるわよみんな!! 蜂屋くんと武田さんはとっとと家に帰ってログインする!! 目標はPM5:00!!1分1秒の遅れも許さないわよ!?」
「うえ~? ちょっとそれ、もうギリギリなんすけど!!」
「わ、わたしも……お夕飯は家族と食べないと……」
「え、なんで? 食事って自分の部屋でひとりでとるもんでしょ?」
困り顔の涙を、けろっとした顔で追い込む先生。
「涙ん家は、あんたん家みたいに家庭崩壊してないの!! ゲームだって、みんなでわいわい言いながらやってる健全な家庭なの!!」
「なにそれ!! 差別じゃない!?」
「あ、あの……幸助くん? もしかして、わたしの家族の会話ってけっこう筒抜けだったりするのかな……?」
「ん? いんや? なにか楽しそうだな~って程度。会話の内容まではわからねえよ」
「そ、そうなんだ。よかった~……」
なぜかほっと胸を撫で下ろしている涙。
俺たちの抗議を無視して、先生はカウントダウンを始める。
「内申点が半減するまで、あと45分~」
「おいそういうのまじやめろ!! 涙が本気にしちゃうだろ!?」
「いや本気だけど」
「あ、これマジの顔だ。おい涙!! 急いで帰るぞ!?」
「え、ええ……!?」
動揺する涙の手を引いて、俺は走り出した。他人の家の廊下を走るのはどうかと思うけど、実際、途中で何人もの女中さん達に注意を受けたけど、構っている余裕はなかった。もともとそんなによくない俺の成績が、内申点減とのコンボで壊滅してしまう。
~~~~~
「ちょ……ちょっとこうす……くん!!」
息も絶え絶えな涙が、必死で俺を制止する。
「あ、悪ぃ」
俺は慌てて手を離す。先生の家の広すぎる敷地内を走り抜け、道路を駅まで向かっていたのだが、涙の体を気遣う余裕がなさすぎた。運動神経ゼロの人間を無理くり引っ張り回したらこうなる、の見本のように、涙はしゃがみこんで胸を抑えている。顔は真っ赤で、汗がだらだらと大量に出て、呼吸が荒い。
「悪ぃ。マジで大丈夫か?」
しゃがみこんで涙の顔を覗き込むと、症状はさらにひどくなった。「ひゃっ」と声を上げると、後ろに倒れるように尻もちをついた。
……い、いかん。なんたる罪悪感。
「ごめんな、涙。ちょっと必死過ぎた。そこの公園で少し休もうぜ?」
ちょっとぐらいの遅れなら許してくれるだろ、さすがに。……たぶん。
「う、ああ……えぇ?」
立ち上がらせようとして手を伸ばすが、涙は俺の手と自分のを見比べて、動揺を深くしている。
あ、そっか。
「悪い。おまえには好きな人がいるんだもんな。俺なんかと手ぇ繋いでるのみられたらまずいよな」
ガシガシと頭をかく。そうだ。迂闊すぎた。なんて気の効かない俺だ。
「……え? うん?」
涙はきょとんとして、顔全体に疑問符を浮かべている。
帰宅を急ぐのをやめると、なんだか急に体の力が抜けて、俺は涙の隣にあぐらをかいて座り込んだ。
「しかしすげえよな。おまえって。勇気があるっちゅうか……。俺だったら出来ねえよ。誰かに告白するなんて、想像しただけで心臓が爆裂する」
「……ん? あれれ?」
首をかしげる涙。
「うまくいくといいな。俺にできることがあるなら言ってくれよ。俺、全力で応援するから」
「――そ、そういうことになっちゃうの……!?」
なぜか慌てた様子の涙は、
「か、勘違いだよ幸助くん!! わたしが好きなのはね……!?」
地面についた俺の手に自分の手を重ねるようにすると、まっすぐに俺の目を見る。
「はーい。内申点半減まで、あと30分で~す」
ルルが冷たい声で告げる。
「……んー、マジか。しゃあねえ、怒られない程度に頑張ってみるか」
「ううぅ……!?」
涙を引っ張りあげて立たせると、そのまま手を引き……はしないで走……歩き出す。
「安心しろって。今度はゆっくり行くからさ」
後ろを振り向いて宣言すると、涙は自分の手を胸元で抱えるようにしながら、顔を赤らめている。少し残念そうに見えるのがなんでなのかはわからない。




